2-AI-「あ」から「ん」の無茶振り(2900)

あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわをん

「……『山月記』だ」

「え?」

「この本には、『山月記』が挟まっていたんだ。そしてそのページの上に、これがあったんだよ」

私は、メモ用紙に書かれた文字を指し示す。

――それは確かに、小説の登場人物であるはずの李徴の名前だった。

「この筆跡、間違いないと思う。これが誰のものなのか調べてもらえないか? それから……これも」

そう言って、もう一枚の紙を渡す。そこには、昨夜私が見たものが書かれていた。

「これは?」

「……わからない。でも、もしかしたら関係があるかもしれないから」

私の言葉に、職員は首を傾げながら去っていった。


***

翌日になって、早速調査が行われたようだったが、結果は芳しくなかったようだ。

「すみません、わかりませんでした……」

申し訳なさそうな顔をする職員を前に、「気にしないでください」と言うしかなかった。

「あの本についてはどうですか?」

「それがですね……。あれだけ探しても見つからないとなると、もう処分されてしまったのかと思ってたんですけど」

「違うんですか?」

「いえ、実は……あのあと、もう一度探しに行ったんですよ。それで、あの本があった場所に他の本が置いてあって」

「別の本?」

「はい。恐らく誰かが間違えたんでしょうね。元々あった方はなかったですから」

ということは、やはり例の小説だけが抜き取られていたということになる。……誰がそんなことをしたのか。

もちろん、犯人の目的まではわからなかったけれど。

(ただ一つ言えることは)

私の手元にあるのは、あの小説だけだということだ。

それなら、やるしかないだろう。

私は、再び図書館へと向かった。


***

今度は一人で、静かに席に着く。

さっきと同じ場所に座って、同じ本を開こうとした時。

――また、声が聞こえてきた。

「……おい!」

驚いて顔を上げると、目の前にいたのは先日と同じように男。

ただし今回は、前回と違って他に人がたくさんいた。

「お前! なんでこんなところにいる!?」

男は目を丸くして、信じられないものを見るような目つきをしていた。

「まさか、俺のことを覚えていないわけじゃないよな!?」

「……覚えていますよ」

「じゃあ何でここにいるんだ! ここは部外者立ち入り禁止なんだぞ!!」……そういうことか。だから彼は怒っているのだ。

「知っています。でも、どうしてもここに来たかったんです」

「どうしてだよ」

「……あなたに会うためですよ」

その言葉を聞いて、男がさらに驚いた表情をする。

「俺は今忙しいんだよ! 用がないなら出ていけ!」

「お願いします、少しだけでいいんです」

食い下がる私を見て、周りで見ていた人たちがざわめき始める。

「一体どういうことだ?」

「この前といい、今日と言い……」

「司書さんを呼びましょうか?」

その様子を見て、男の態度が変わる。

「ちっ……仕方ねぇ」

舌打ちをしながら、こちらに手を差し出してきた。

「来い」

そう言うと、くるりと踵を返してしまう。

慌ててその後についていく。すると、後ろから戸惑ったような声が投げかけられた。

「本当に大丈夫なのかしら……」

その不安そうな呟きに、振り返って答える。

「平気です、ありがとうございました」

それだけ言って、私はその場を離れた。

連れて行かれたのは、カウンターの奥にある部屋だった。

机と椅子があるだけのシンプルな造りの部屋だが、今はそこにパソコンが置かれている。

「座れ」と言われたので、大人しくパイプ椅子に腰掛ける。

しばらく待っても何も言わないので不思議に思って見上げると、眉間にシワを寄せて難しい顔をしていた。

「……」

「どうかしましたか?」

「……お前、やっぱり変だ」

「え?」

「普通、知らない奴がいたらもっと警戒するもんじゃねえのか? なのにお前ときたら、俺のことを見ても全く怖がらないし」

言われてみればそうだ。

最初に会った時は、明らかに不審者の風貌をした男だったというのに。

「それに、わざわざ俺に会いに来るなんておかしいだろう」

「それは……」

「大体、お前はなんでこの図書館にいるんだ? 見た感じ学生でもなさそうだけど」

「それは……」

そこまで言いかけて、ハッとする。

「そもそも、この前は自己紹介すらしなかったじゃないか。名前くらい教えてくれてもよかったんじゃないか?」

「えっと、その」

「もしかして、怪しい人間だと思われたくなかったとか?まぁ、確かに最初は怪しかったけどさ」

「うぅ……」

「なんだよ、急にもじもじし始めて」

「あの、実は私」

「うん」

「……記憶喪失みたいなんです」

「は?」

「自分のことも、家族のことも、住んでいる場所や通っていた学校まで、全部思い出せないんです。だから自分が誰なのかもよくわからなくて。唯一覚えていたのは、本を読むことと書くことでした。それで、とりあえずここで働かせてもらうことになったんですけど、なぜかあなたのことが頭から離れなくなって、どうしてももう一度会いたくなって。だから、こうしてやって来たというわけです」

一息でそう言った。

「……」

男はしばらくの間黙っていたが、やがて口を開いた。

「……悪いけど、ちょっと無理かも」

「……どうしてですか?」

「だって、どう考えても嘘にしか思えない。もし本当だとしても、そんなこといきなり言われたって信じられるはずがないだろ?」

「……そう、ですよね」

「あー、もうこんな時間か。そろそろ仕事に戻るから、出ていってくれるか?」

「……はい」

私はとぼとぼと図書館を出た。

空を見上げて、大きく深呼吸する。

それから、ゆっくりと歩き出した。

「……はは」

乾いた笑いが口からこぼれ落ちる。……馬鹿みたい。

一人になって、やっと冷静になれた。

結局のところ、私は彼に相手にされなかっただけなのだ。……でも、それでもいい。

いつか、信じてもらえるように頑張ろう。

また来週、ここに来てみよう。

そして、その時こそ彼と話をしよう。

――次はもう少しマシな理由で。

あれ以来、毎日のように図書館へ通った。本当はもっと早く来るつもりだったのだが、なかなか踏ん切りがつかなく、ずるずる先延ばしになっていたのだ。

私が働いている間、彼はいつもカウンターにいた。

相変わらず無愛想ではあったが、たまに目が合うことがあった。

その度に、心臓が跳ね上がるような感覚に陥る。……でも、きっと私の思い過ごしだろう。

そんなある日のこと。

閉館作業を終え、一人で帰ろうとしていると、ふいに声をかけられた。

「おい」

驚いて振り向くと、そこには彼が立っていた。

「あの、何か?」

「話がある。少し付き合ってくれ」

「え? いや、まだ片付けの途中なのですが……」

「すぐ終わるだろ、それくらい。ほら、行くぞ」

「えぇ!?︎」

有無を言わさず腕を掴まれ、そのまま引きずられるようにして連れていかれる。

「ちょ、待ってください!どこに連れて行く気ですか!」

「うるさい。静かにしろ」

「……」

仕方なく口をつぐむ。

「ここなら誰もいないな」

人気のない路地裏に連れてこられ、ようやく解放された。

「一体何なんですか」

「お前、最近ずっと俺に会いに来てただ

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