第32話 モテる女

初めはフィギュアスケートの安藤美姫さんだった。僕がまだ学生だった頃、大学に向かおうと電車に乗っていると数メートル先に立っている女性が遠慮がちに別の一人の女性に視線を送っている事に気が付いた。どうした事だろうと僕も視線の先に目を向けるとそれが安藤美姫さんであった。そして目が合った。視線を送っていた彼女と、だ。あれは安藤美姫さんですよね、と目で通じ合えた。その時に僕はすでに彼女に心惹かれていたのかもしれない。そのまま電車に乗っていると、彼女も同じ駅で降りてああ、同じ大学かな、と思った時に彼女の方から話しかけてくれた。私有名人とか見るの初めてでした、と少々興奮気味に語っていたのが非常に可愛らしかった。その後彼女とは定期的に会うようになり、じきに付き合うことになった。彼女と行動を共にするようになってから彼女がどのようなタイプの女の子であるかわかり始めてきた。彼女は異常なまでにわかるよ、という雰囲気を出すのが得意なのだ。それも露骨に口に出すわけではなく場合によっては目配せで、表情で、行動で伝える。自分は同類だよ、わかってあげられるよということを常に相手に感じさせることが出来る。僕が思うに、どんな相手に対してもだ。彼女の交友関係はとても広く老若男女問わず沢山の友達がいる。そして、非常によくモテていた。

どのような場面においても彼女はわかってくれていた。

テレビで凄惨な事件のニュースを見た時も、就職活動がうまくいかずに悩んでいた時も、大作ハリウッド映画を一緒に鑑賞した時も、

彼女は多くを語りはせず、それでいてこちらの気持ちを全てわかってくれているのだと感じさせてくれた。


少し時が流れて僕は彼女と結婚することになり、また少し時が流れて妻は、亡くなった。

全てをわかっていると思っていたあの彼女があまりにもあっさりと。

友達の多かった彼女のために沢山の人が泣いた。

みんな彼女は特別だったと言った。

全く愚かしいことに失うまで僕も彼女を特別だと思い込んでいた。

あまりの自らの愚かさに後悔することも出来ないくらいだ。

失ってようやく気付くことが出来るとは。

全てをわかってもらえてると思い込んでいたのか。

いつも同じ気持ちだと思っていたのか。

理想をただ押し付けてしまっていたのか。

彼女はごく普通の素敵な女性であったというのに。

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