1ー14.二つの顔を持つ男

 フェール辺境伯とシュヴィリエールの対話からさらに数刻を経た頃、メリッサ村ではリナ、ガーランド、ノイスの三人が途方に暮れていたのだった。


 結局あれから、しばらく村じゅうの家という家を探しまわった。だが生存者と思しき人影はひとつとしてなく、おまけにところどころに血痕さえ発見した。ここまであれば村人の行方も知れたものである。三人はいよいよシルベール皇国の侵攻を確信した。


「でも、なんだって、いまこの時期に?」


 リナのぼやきに、ガーランドは首を振る。


「そもそもどうやってこの村に攻めてきたかもわからないんだ」


 ここ四百年間、〈女神の平和〉とは言ったものの、これまで圏外の敵が幾度となく叙事詩圏へちょっかいを掛けてきていた。

 ただ、その度に騎士や軍団がこれを退けてきた。ときに武力で、ときに外交で。〈女神の平和〉というのは、あくまで圏内の大乱がなかったということを示すにすぎない。


 特に戦いが激しかったのは、かつて〈まつろわぬ支族〉を相手していた東部辺境ネステル砦──通称〝世界のはての壁〟と、それに加えて、荒野を挟んでシルベール皇国の繰り出す牙と対峙たいじしてきた北部辺境エルデンレーテ城──こちらはただ〝黒門〟とのみ呼ばれていた。

 シルベール皇国は雲海山脈を越えた北、荒涼たる大地を隔てた向こう側にある。そのため仮に軍を最短距離で運用すると衝突するのはあくまで北部辺境だった。雲海山脈の途切れ目で、しろがね山地とぶつかる箇所に陣取った〝黒門〟は、したがって皇国軍との激戦区に他ならなかった。


 ところが何度か矛を交えるうちに、シルベール皇国は別の侵攻行路を見つけたほうが効率的と判断したのか、しばしば東部辺境の圏外にも調査部隊を繰り出すようになっていた。これを最初に検知したのは、フェール辺境伯が抱えている軍団だった。


「〝はての壁〟が狙われている」


 その情報は、どこからともなく城市まちでうわさになっていった。

 城市タリムが〝はての壁〟の補給路となり、軍団や騎士の迅速な往来に対応できるようになったのも、この危機を察知してからのことである。もとから備えていたものを、さらに強化する。それで、この十数年は警戒を続けてきたのだ。


 しかし雲海山脈を〝通過する〟手段というものが、もし新規に開拓されたとしたら……それは大問題だった。


 ガーランドの懸念はそこにある。


「雲海山脈を抜けるなんて、そんなばかなことがどうやってできるんだ」

「竜が飛んだ、とかじゃ、ダメ?」とリナ。

「いいや。完全な飛行は古代種しかできない。その最後の一匹はアスケイロンが殺しているはずだ」

「でも、ほんとのところはわからないじゃないか」

「そうだが、可能性はあまりに低いよ。それよりも雲海山脈のどこかに、このメリッサに通じる洞穴があったと考えたほうが、適切だと思うな」

「洞穴?」

「山を越えるより、くぐるほうがまだ現実味があるからね」


 リナはそのとき、何かハッと思い当たることがあったのだがすぐに出て来なかった。そこにノイスが喚きだしたので、リナの思い当たった内容はすぐさま消し飛んでしまった。

 これが重要な情報であることに気づくのは、ざんねんながらもっと後の話である。


「御託はどうだっていい。おらぁこの村無くして、このあとどうすりゃいいんだよ……!」


 ひざを突いて、泣き伏した。

 ガーランドは横にかがんで、肩を持った。しかしそのさなかにも、必死に考えをめぐらせている。


 ふと、かれは山を見て、風を聞いた。暗くなりゆく空を見て、星の運行を捉える。

 月を見た。まだ満ち足りない月だった。しかしほぼ完成したものと見まごうばかりで、空気も澄んでいたためか、非常に明るい光を湛えていた。かれの知識は、この〈冬待月〉の暦を参照する。そしてまた、大地を見た。


 予感が、かれをおそった。


 その予断を確信に変えるために、かれはきちんと天体計算をしなければならない。だがそれをしている余裕も、器具もない。しかしもしそれが正しいなら、事態は確実に〝詰み〟に向かって進んでいる。


 やにわに立ち上がる。


「事態を辺境伯に伝達しなければ」


 必死の形相だった。そこでようやくノイスは思い至った疑問を口にした。


「はあ? なんでおまえさんが辺境伯に、何を伝えるってんだ?」

「…………」

「さっきからうかつに聞いてりゃ、竜のことに詳しかったり、辺境伯に物を伝える立場だったり……おまえさん、何者なんだ?」


 ガーランドは首を振った。


「大学都市で白魔術を習ってきた、一介の医術師にすぎませんよ」


 それ以上は言わせるなと態度が示していた。ノイスは黙り、リナは戸惑った。


「その白魔術で、どうにもならないんですか」


 ガーランドはさびしそうに微笑んだ。首を振る。


「魔術はそこまで便利なものじゃないんだ」


 かれは説明する。魔術とは単なる知識にすぎない、と。

 ロスマリスの葉が血液を増幅するとか、リュウゼンモウが痺れ毒の素になっているとか。あるいは、ある種のツノシシ科の四足獣は角を粉にすると生薬きぐすりとして心臓病に効く。そういうものの集まりが白魔術の基礎をなしている。


 おまけにこうした効能も、時と場合によって有効性が移り変わる。春に摘む薬草も、夏に摂れば毒草になりうるのだ。白魔術はこうしたことを知り、調べる学問でもあった。

 わかっていることは、周期性を持つ星々の運行が何かしらの見えない作用を、草花や樹々、けものや鳥たち、ときには鉱物にすら影響を与えているということだった。その〝見えない作用〟は星気せいきと呼ばれていた。


 白魔術はこうした、〝見えない作用〟をたどって理解する地味な作業の連続にしか成り立たない。逆に、一見ふしぎであるかのように振る舞っているのは、単によく見知ってる〝見えない作用〟を適切に活用した、論理的な結果に過ぎないのだ。


 だが、黒魔術は異なる。


「きみたちが期待してるような魔術は、女神の教えでは黒魔術とされてる。わかりやすくいえば、異端だよ。禁忌だ」


 黒魔術もまた〝見えない作用〟によって常軌を逸した事象を招き寄せる。だがその作用の名はと呼ばれていた。

 魔の本質は、だれにもまだ理解されていない。ただそれはそこに起こり、見て触れたものに、そこにはないを見せる。例えば、き木も燃えさしもない箇所から火を起こすこともあれば、人の心を手玉に取るように意見を変えさせることもある。自身を動物に変身させる術もあれば、触れた人間を温かい部屋で凍え死なせることもできてしまう。


 こう聞くと、いかにも万能の御業みわざと思えるかもしれない。

 しかしそれはあくまで魔の作用をうまく使いこなせた場合に限る。たいていは、うまくいかない。こうすれば結果がだいたい同じになる、という法則性のようなものは引っ張り出すことができるが、いつも同じ結果にはならない。あくまでさいころを振るような、運命を賭ける行為そのもの。


 それが、黒魔術の、たる所以だった。


「かつて古代魔法文明はだれもが魔法使いだったと聞くけど、黒魔術ひとつ手懐けられないわれわれの理解力をすると、それがどこまでほんとうだったか疑いたくなるね」


 しかしガーランドの頭の隅に、ある可能性が漠然と引っかかって消えていない。


 かれの密偵としての訓練は、単なる憶測でものごとを伝えてはならないということをその身に刻みつけている。いま確実に得ている情報は、シルベール皇国が陸生の四足竜を騎獣とし、軍勢をもってしてメリッサを通過したこと、それだけしかない。

 あとは憶測──かれの知識と状況理解が、ある最悪の事態を予感させている。


(もしそうだとしたら……フェール辺境伯がいくら切れ者でも対応しきれない)


 口先とは異なり、ガーランドは判断を迷っていた。


(このまま急ぎ、おそらく辺境伯ですら察知している情報を伝えるべきか、それとも)


 いや。急ぐのは下の策だった。

 たとえ愚かと言われても、ガーランドは自身の予感を確かめないといけないと、判断をあらためた。


「ノイスさん。頼みがあります」

「……なんだ」


 泣き腫らした目に、けげんな眉が動く。


「リナを連れて、もう一度タリムへ行ってください」

「…………」

「わたしにはやらねばならないことがあります」

「たかがギルドの医術師が、か?」

「はい。人命救助、とでも言えばいいでしょうかね」


 ノイスは無精ひげを撫でていたが、やがて首を振った。


「どうせあんたは何を言っても、ほんとうのことを話してくれないんだろうな」

「そうですね」

「ハッ、おれぁ悲しいよ。なんも信用されてねえみたいでよ」


 ガーランドは何も言わなかった。しかしノイスはその先がわかっているかのように先に二の句を足した。


「大丈夫だよ。こんな事態だから、あえてなんにも言わねえってんだろ。でもな、せっかく同じ土地で何年も暮らしてきた間柄なのによ、水臭えったらありゃしないぜ。おれの酒も呑まねえしよ」

「では、そのうちご相伴に預かりましょう」

「そういうとこだよ、そういう」


 言いつつも、ノイスはすばやく獣車とケヅノシシの支度に入った。

 その間、リナはあくまで食い下がった。ルゥがまだ見つかってない。居場所がわかるまでは自分もこの村から離れるわけにはいかない──そう主張した。


「だめだ」


 しかしガーランドは厳しくはねのけた。


「でも、ガーランドさんは人助けするためにここに残るんだろ?」

「そうだね。ただ、ここよりももっと遠くにひとりで行かないといけない」

「はぁ?」

「助けるってのはね、もうメリッサ村の人だけとは限らないんだよ」

「どういう……」

「わからないなら、きみはまだ騎士になる資格はないよ」


 息が詰まった。さながら予想だにしてない箇所から、急所を突かれた形である。


「騎士はおのれのふるさとを守るために戦うんじゃない。〈聖なる乙女〉を──ひいては〈乙女〉が守らんとしている叙事詩圏世界の危機を阻止するためにその身をささげるものだ。同じ圏内の人間が外敵によって傷つけられ、このまま使命を果たさずにいたらより多くの人が傷つき、殺されることになる。それを防ぐために行動するということ──わたしが騎士を志したとき、最初に叩き込まれたのがこの教えだった」

「……ッ!」


 激して言い放ったあと、ガーランドはしまったと思った。だが言ってしまったものは仕方がない。耳が少し熱くなる。


 言葉を待った。


「ガーランドさんも、騎士目指してたんだ」


 少女はゆっくり口を開く。

 青年は俯きたい衝動を腹で抑えた。


「なれなかったよ。まあこんなことを言って、足しになるかわからないけどね」

「……なら、アタシは行く」

「なッ」

「そこまで言われて、〝はいそうですか〟て安全な場所に引き下がるようじゃ、今後騎士としてもやってけないじゃんかよ!」


 リナはガーランドの胸ぐらをつかむような勢いで前進した。


「アタシは騎士になりたいんだ。なるためにここまで頑張ってきて、その資格がないって言われるような道に引き下がれるかッ」

「……わかった。その通りだ」


 降参の姿勢を取る。ガーランドはやれやれと大きなため息を吐いた。

 やがて、ノイスが戻ってきた。すぐに獣車に乗れるぞ、と言った。ただガーランドは先ほどのいきさつを説明した。けげんな顔をするノイスだったが、青年の意志は固かった。


 しぶしぶノイスは単身、タリムへの道を引き返すことになった。


「じゃあ、タリム城館への言伝はたのんだ」


 そう言って、彼らは別々の道を進んだ。片や道ある世界を、片や道なき世界を。

 ゆく背中を見送る余裕は、残されたものにはなかった。


「走れるかい」

「もちろん」


 しかしガーランドの求めた速度は、リナの予想をはるかに上回っていた。

 傾斜のある道を駆け上がり、けもの道もあるかないかの地点を次から次へと跳躍する。リナもこれまで培ってきた身体能力でこれを捌きはするが、ちょっとでも集中力を切らせば見失う懸念すらあった。


 ガーランドの目指す場所は、メリッサ村から東の方角──石垣をまたいだその先は、かつてタケダカソウが生い茂るその場所だ。そこからさらに街道から離れていく。里山から逸れて進むその先には、雲海山脈の切り立った絶壁が牙を剥くようにそびえていた。

 道なき道を駆けていく。手すりのない危険な一本道が繰り返し、繰り返し続いた。ほんらいなら、こうした地勢ゆえに行軍にはまるで向いていない。しかしガーランドの観察眼はこの道を抜けていく人間の、無数の足を捉えていた。


 おそらくそれほど多くはないだろう。三百から四百ぐらいの人数。しかしところどころ大股で進む丸太の直径にも等しい足跡、吸盤のように崖に食い込んだ痕跡だ。

 月明かりの下である。険しくて、歩くことすら困難な場所を、むりを承知で突き進むものたちが、影を落としていた。


 リナは息が切れていた。手足が震え、次の足を出そうとしてつまづく始末。

 振り返る。ガーランドは彼女の手を取って、安全なくぼみに身を寄せた。


「やすもう」


 ガーランドが差し出した干し肉をかじりながら、リナはかじかみそうな指先をすり合わせた。もう疲れ切ってるはずだった。それでも意志はくじけない。月明かりだけが彼女の青ざめつつも、気力の満ちた顔を映した。


 ガーランドは少女の心の強さに感心した。そして、つい言わなくてもいいことを、しかしきちんと話すべきだと決心した。


「きみに謝らなければならないことがある」


 リナは腰かけた岩から青年を見上げた。月がかれの顔に影を落としている。だから、リナにはガーランドがどんな面持ちでこちらを向いているのかがわからなかった。


「わたしはね、ほんとうはギルドの医術師ではないんだ。正確には、それ以外の顔も持っている」

「…………」


 リナは疲れ切っていて、反応が遅れた。構わずガーランドは続ける。


「いまはそれがなんなのかは、言えない。ただ、わたしはある任務から、きみのお父さんのことを監視する立場にあったんだ。もしきみのお父さんがいなくなったとしたら、それはわたしのせいだろうね」


 かれは月明かりが照らす空を、それから雲海山脈の絶壁のかなたを見上げた。


がいなくなったと知らされたとき、最初にこの雲海山脈のはなれに探索の手を伸ばしていたら──もしかするとこうはならなかったかもしれない。たらればをいま言ったところで仕方ないけどね。でも、残る選択肢が間違っていた以上、はまちがいなくここにいる。それ以外には、もうありえないんだ」

「……なんで」

「ん?」

「なんで、アタシたちの父さんは、ガーランドさんを怖がらなきゃいけなかったんだ。ガーランドさんは、悪い人じゃないのに」

「…………」


 ちがうよ、リナ。とガーランドは思った。世の中には善と悪だけがすべての判断を掌るものとは限らない。

 ただ、それでも善と悪が、人を裁き、人をくじけさせる。あいつが悪い。あの人は良い人だ──そうしたことが、絶えず権謀術数の世界を渦巻いている。


 しかしガーランドは、そんなことをいちいち口に出して言い聞かせるほど野暮ではなかった。わずかに「そうだったらよかったのにね」と含みのある言い方で抑えていた。


「きみたちの家族をバラバラにしたのは、ある意味ではわたしのせいだろう。おまけに騎士でもないくせに、騎士のなんたるかを説き、きみをここまで連れてきた。こんなわたしが善い人だったかどうかは、もはや〈沈黙もだしの地〉に置かれている女神の天秤だけにしか、測ることができないよ」

「それでもアタシはガーランドさんがのはわかるつもりだよ」

「…………」

「アタシだって、そんなにキレイな動機で騎士になりたかったわけじゃないし。でも、騎士になるってどういうことかを、きちんと話してくれるし、教えてくれる。だからアタシは前を向けたんだ。クヨクヨしてられないよ。せっかく叱ってもらったのにさ。アタシはまだ騎士じゃないけど、騎士の使命を果たす努力はできる」


 へへっ、とはにかんで笑む。

 その笑顔が、さらにガーランドの面持ちに影を落とした。


「そうだね」と言った。「そうだよ。わたしたちは、騎士の使命を果たすためにも、頑張らないとね」

「そうこなくっちゃ」


 リナは元気を出してそう返事をしたが、ガーランドの心中は複雑なままであった。


 このモヤモヤした気持ちは、おそらく生涯消えることがないのだろう。

 そうどこかで確信しつつも、かれはいまここでは直面している問題に取り組むことを、心に決めたのだった。

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