やんごとなき父子




 レーニエ王国の王太子妃エリザベスはこの国の支柱の一つ、バルアーズ公爵家の長女として生まれた。


 華奢な身体に小さな顔。

 ふわりとしたプラチナブロンドに菫色の瞳。

 それらすべて砂糖菓子のような甘さと儚さを兼ね備え、妖精姫と称されたが、彼女の知性も尋常ではなく、王太子との婚姻に明るい未来をみな予想し祝福した。


 政略結婚にも関わらず二人は仲睦まじい夫婦で、立て続けに子宝に恵まれたが、第一子第二子共に女児。

 エリザベスの美貌を受け継いだ王女たちはいずれも健康で賢い様子だが、貴族たちは男児を切望した。


 『バルアーズの女は女腹』。


 いったい、誰がそのようなことを囁きだしたのか。

 バルアーズ公爵家の跡取りであるライオネルも四人女児が続いてようやく誕生した。


 エリザベスは果たして何人産めば男子を産むだろうか、いや、あの細い身体では孕ませ続けているうちに死ぬに違いない。

 噂話はやがて賭け事にまで発展した。


 そんななか、男を産みそうな側妃を設けることを進言する者はまだましで。


 『男児が授かる方法を伝授いたしますよ』。


 怪しげなまじないに、食事療法、そして閨指導。

 老若男女問わず、下卑た笑いを浮かべエリザベスに注進する者が後を絶たない。


 ちなみにその一人はもちろん、やんごとなき老害だ。


 王太子夫妻の寝室は人々の好奇の眼に晒され心休まる暇もないが、エリザベスは不屈の女だ。

 泣いて自室に引きこもるなどあり得ない。

 群がるご注進者を次々と会話力でこてんぱんにやっつけた。

 やがて王太子妃の周囲がある程度は静かになったころ、第三子を授かったのだ。


 順調に臨月を迎え、予定日を過ぎた年の瀬に事件が起きた。


 王宮でのささやかな宴に現れたウェズリー大公が笑いながら、断りもなくいきなり王太子妃の腹に触れ撫でさすった。


 それから間もなく破水。

 王宮は上を下への大騒ぎになった。




「父上が…。父上のせいで…王太子妃が宴の間で?」


 淡々と精緻な字で綴られていても、文面全体から王太子の怒りが伝わってくる。


 ローレンスの父であるウェズリー大公が触れたのは偶然。

 腹を殴ったわけではない。

 しかし、その直後に王太子妃の身体に異変が生じた。


 もしこの出産に最悪の事態が起きたなら。


「君は…。これを予想していたのか?」


「いいえ。ただ、マリア様の分娩が早まった以上、王太子妃と出産が重なる可能性が高くなってしまったと思っていました」


 この状況で、誰かひとり有能な医師を寄こせとは到底言えるはずもない。


 しかも、いつまでも国の重鎮であるつもりの大公は、一室に閉じ込められていることを不服として大騒ぎしているとのことだ。


「どうしますか? ローレンス様は王宮へ向かわれるならば、雪に強い騎士たちを呼びますが」


 ナタリアとしては、その方が楽だ。


「なぜだ」


「ローレンス様は大公殿下のお子の中で一番寵愛が深いと聞いております。貴方様がそばにいらっしゃるなら気持ちが静まるかと」


「マリアがこのような状態で、どうして私が出かけると思うのか!」


 机の上の書類を薙ぎ払って激高した。



「わかりました。では、心置きなく先ほどの話し合いの続きをいたしましょう。まず…。そうですね。ジャネット・ストーム。この侍女をマリア様のお産が終わるまで使用人の隔離室へ封じ込めることを、マリア様の代理人として命じます」


「え…?」


 全員の眼が床に座らせたままの侍女へ集中する。


「ナタリア!」


「罪状は、服務違反。仕えるべき主人を侮り、陥れ、母子ともに命の危機にさらしているからです。このまま側仕えとして出産に立ち会う事も裏方を務めることも許しません」


 ナタリアの氷のような視線に、ジャネットはぶるぶると震え、ローレンスへ助けを求めるように手を伸ばす。


「ちょっと待て、何を証拠にそのようなことを言うのだ。ジャネットが美しいからとお前は…」


「美しいと。お認めになるのね。…まあ、私にはどうでも良いことなのですが」


 額に手をやり、心底呆れた顔をローレンスへ向けた。


「ローレンス様はこの窮地がご自分のせいだと気づいておられないようなので、ここではっきりします。少なくともこの数時間前にジャネットと関係を持たれましたね?」


 お手付きなのがいつからなのかは問題ではない。

 いつ、関係をもったかだ。


「……そんな。下衆の勘繰りはよせ」


 子どものように目をそらすローレンスを鼻で笑いながらナタリアは続ける。


「貴方は、私のところに来ておっしゃったわ。『侍女が、本館がずいぶんにぎやかだと羨ましそうに言うものだから、何があっているのかと…』その侍女はジャネットですね」


「だからどうだと言うのだ。世間話をしただけだろう」


「もしそうなら、マリア様がこの寒いなか、冷たい廊下に立ち尽くすことはないのです。マリア様はさきほど漏らされました。『私がローレンス様を探しに行ったりしなければ』と。ジャネット。貴方はマリア様に何を言ったの?」


「わ、私はなにもっ。何も言っていません! この方の言いがかりです! 信じてください、ローレンス様!」


 ジャネットは床を這い、ローレンスの足に縋り付く。


「ジャネット……」


「そうね。あくまでも推測。もしも、マリア様がこのままお産で亡くなれば、貴方があの幼き方の耳に何を吹き込んだのか、だれにも分からなくなる。だから、とりあえずスコット医師を引き離そうとしたのよね? 貴方、逆子だと言うことも知っていたのだから」


「あ……そんな、知りません。私はただの侍女です。だって、お医者様には守秘義務が……」


「守秘義務も何も、腹の中の子が活発に動くようになった時にホーン医師はマリア様本人に説明はしたし、側付きの侍女を集めて注意喚起をしたはずよ。このお産は大変危険だから、精神的に追い詰めるようなことは、絶対にしないようにと」


 世間知らずのマリアを壊すなんて簡単なこと。

 例えば、ローレンスの愛を疑うような言葉を耳打ちする。

 たったそれだけで彼女は。


「知りません。聞いたこともありません。ホーン医師は私なんかに……」


 部屋の隅でやり取りを見ていた侍女長が憤怒の表情を浮かべた。


「嘘つきね」


「な……。ひどい……」


 はらはらと涙を流すジャネットに、ローレンスだけが心を揺らす。


「カルテに書いてあるのよ。説明した侍女の名前」


 スコット医師から一枚の書類を受け取り、ローレンスとジャネットへ向ける。


「ほら、日付と詳細。ちなみにこれは写しだから、本物はもちろんホーンが持っているわ」


「あ……」


 わなわなと口をふるわせるジャネットの手を、ようやくローレンスは振り払った。


「ジャネット……。いったい、お前は……」


 問いただそうと身体をかがめたローレンスを騎士たちが割って入る。


「詳しいことは、全てが終わってから聞くわ。貴方に構っている暇はないの。連れて行ってちょうだい」


「ローレンスさまぁ~っ」


 引きずられていくジャネットの声は吹雪の音にかき消されていった。



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