役立たずを追い出して



「落ち着いてください、ローレンス様」


 気を失ってぐったりとしている少女の手を握りしめ、騒ぎ立てるばかりの男の肩を後ろから叩いた。


「落ち着けだと!」


 払いのけようと振り上げた手をナタリアはすかさず強くつかんだ。


「え……?」


「こちらへ移動しましょう、ローレンス様」


 ぽかんと口を開いたローレンスをそのまま寝台から引き離す。


「タリア……」


「ナタリア、です。お気を確かになさってください」


 足を踏んでやりたいところをなんとか耐え、かわりに掴んでいる手首への力を増した。


「今、苦しんでいるのはマリア様だということをお忘れなきよう。耳元で騒ぎ立てるのは非常に迷惑です」


「な……っ」


「なんてことを! 不敬だぞ、ナタリア・ダドリー!」


 今度は家令のグラハムが乱入してきてナタリアを糾弾した。


 しかも家名での呼び捨てとは、いったいこの家はどうなっているのだろう。


 あきれ返りながらもナタリアは声を上げた。


「ダビデ!」


「はい。お待たせしました」


 ぬっとダビデの巨体が入ってくる。


 マリアが寝かされている寝室は豪華で広いが、幾人もの専属侍女たちと侍女頭のアルマ、そしてアニーと本館から連れてきた下級侍女たち、ローレンスにグラハム、そしてナタリアにダビデと人だらけで窮屈な状態になってしまった。


「ダビデはローレンス様、それとウェンはグラハムを執務室までお連れして。話はそこでしましょう。とりあえず数分間。その間はアルマの管理下で私の連れてきた侍女たちとスコット医師についていてもらいます」


 ナタリアの一声に、ダビデと彼に次いでこの屋敷で二番目に大柄なウェンという騎士が二人を連れ出そうとする。


「そんな、下級侍女とスコットになんか……」


「彼女たちはお産に立ち会った経験があります。スコット医師も同様に」


 名指しされたスコットは一瞬、なんとも言えない顔をしたが、ナタリアはそのまま押し通す。


「獣とマリアを一緒にするな」


「生き物の身体の構造を心得ているだけ、あなたよりましです」


「マリアの身体に指一本でも触れさせたら……」


「ああ、もう、静かにしてください」


 反発するローレンスの顎をナタリアは掴んだ。


「ぐっ……」


 女と思えない力に、ローレンスは息をのむ。


「時間がないのです。母子ともに命を救いたいなら従ってください。それとも、あなたは年若い奥方と生まれてくる息子を殺したいがために、わざとこうして騒いでいるのですか?」


 顔を寄せ強く睨みつけながら、低い声で囁いた。


「……っ!」


 やはり後でグラハムが喚いているが、ウェンがとうとう後ろ手に拘束し、引きずっていく。


 そんななか、寝台のほうから頼りない声が聞こえてきた。



「……ナタリア、さま?」


「マリア様!」


 枕元に立っていた専属侍女たちたちが声を上げる。


「ああ、ああ、マリア!」


 とたんに暴れ出したローレンスに、堪忍袋の緒が切れたナタリアはそっと腹の真ん中に一発拳を入れた。


「う……」


 ありがたいことにほとんどの視線は寝台に集中しているので、この凶行に気付く者はいない。


「ダビデ、もう担いでちょうだい」


「はい」


 膝から床に崩れ落ちた男をダビデは肩に担ぎあげた。


「~~~!」


「執務室まで、丁重にお連れするように」


「はい」


 さすがにみな、ぎょっとしていたが、構ってはいられない。


「マリア様の様子を見てから伺いますので、あちらでしばしお待ちを。おそらくそろそろホーン医師の件もわかるでしょう」


 両手を腹の前で組み、ナタリアは深々と頭を下げる。


「おろせ、降ろすのだ、ダビデ―――」


 ローレンスの声がだんだんと小さくなっていった。


「意外と丈夫なのよね、あの人…」


 ナタリアは一息ため息をついて姿勢を正し、すぐに寝台へと向かう。


「マリア様。お待たせしました。驚かれたでしょう」


 マリアは細くて頼りない手を必死でナタリアに向かって伸ばした。


「なたりあ、さま……」


 大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。


「大丈夫。家族のお産に立ち会ったことのある子たちを連れてきています。まずはゆっくりと呼吸をしましょう。赤ちゃんもゆっくりできるでしょう」


 手を握ってやると、細い指がすがるように絡みつく。


「こわい……。こわいの。どうしよう。こんなことになるなんて、あかちゃん……」


 おそらく、冷たい廊下に立ち尽くしていたことを後悔しているのだろう。


「まずは、スコット医師にお腹の様子を見てもらいましょうね」


 聴診器を手にして佇んでいたスコット医師に手を振ると、彼はちらりとアルマを見た。


「…どうされました?」


 ナタリアが問うと、二人は困惑顔で視線を交わし合う。


「実は、先ほどスコット医師が診察しようとしたのですが、ローレンス様が絶対だめだと」


「まさかそれは、獣医師だからなのではなく、男だからだなんていわないわよね?」


「そのまさかです。ホーン医師以外は認めないとの一点張りで、騎士たちに取り押さえさせようとしたくらいで…」


「ローレンス様の世迷言はもう無視して。命がかかっていることを全く分かっておられないの。正気じゃないわ」


 ナタリアはマリアの手を握ったままスコット医師に頭を下げた。


「あとの責任は私がとります。とにかく一刻も早く二人の状態を見てちょうだい」


 それでもなお躊躇うスコットたちの耳に、たえだえのマリアの声が聞こえてくる。


「スコットせんせい……。おねがいします。あかちゃん、たすけて……」


 まだ幼さの残る少女が嗚咽しながら頼む姿に、スコットは目を見開き、駆け寄った。


「すまない。私は王都暮らしをしているうちに大切なことを忘れていたようだ」


 耳当てをはめ、ゆっくりとマリアの盛り上がった腹の上に聴診器を当てる。


 全員が固唾をのんで見守る中、そっと一人が動く気配をナタリアは感じた。


 ちらりと視線を送った後、スコットの様子を見守る。



「……うむ。赤ん坊は大丈夫だ。心音を聞く限りはな」


 スコットは何度も確認した後に答えを出した。

 安どのため息があちこちから漏れる。


「陣痛はまだだと聞いているが、おそらく数時間以内に始まるだろう。とりあえずこのまま安静にして子が下りて来るのを待つしかあるまい」


「大丈夫、なんですね。先生」


 はらはらとマリアは涙を流す。


「ああ、そうだ。だから安心して、少し眠りなさい。陣痛が始まったら目が覚めるだろうから」


 年老いた医師は静かに妊婦を諭した。


 そこへ、ナタリアが連れてきた侍女をひとり呼び寄せる。


「マリア様。この、デイジーなのですが、この子の姉が同じように突然破水した時に出産を手伝った経験があります。とりあえず今はこのデイジーに傍にいてもらいます。他の侍女も部屋の隅で控えさせます。だから安心してください」


 そばかす顔のデイジーは緊張した面持ちでマリアに頭を下げた。


「デイジーです。誠心誠意お仕えさせていただきます」


 若いが誠実そうなデイジーの様子に、マリアは好意を持ったようで嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます、ナタリア様…」


 額にかかる髪を優しく指先でのけて、頭を手のひらで撫で続けると、緊張が解けたのかマリアはうとうととし始める。



「私が……、ローレンス様を探しに…。行ったり、しな、ければ……、こんな……」



 夢うつつの呟きに、ナタリアの手がぴくりと止まった。


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