そろそろもう・・・ね?


「ナタリア様がそうおっしゃるならば、ご提案があります。・・・ただし、王太子妃さまにいったんご相談申し上げてからにはなりますが」


 パール夫人は姿勢を正した。


「マリア様の教師についてですが、できうる限り最高の布陣を敷くことにしましょう」


 ローレンスとの契約の場で提示した「教育の付与」はあくまでも、パール夫人の中ではナタリアに便宜を図る人物を頻繁に出入りさせるための口実に過ぎなかった。


「わたくしを一度マリア様に会わせていただけませんか。小一時間ほど会話をさせていただければ、これからどのような教育が必要なのかを割り出すことができるでしょう。その上で、王女の並みまで仕立て上げてくれる教師たちを紹介いたします」


 当初の予定では、あくまでもぎりぎり侯爵夫人として申し分のない程度の指導。

 夜会、お茶会でのふるまい、手紙のやり取り、屋敷での差配。

 二年弱という期間と妊娠出産を考えるとカリキュラムとしてぎりぎりだろう。

 正直、その程度の教師はパール夫人の図書仲間で事足りる。

 爵位ならばせいぜい子爵。

 腕は良いが生まれも育ちも雑多だ。


 そこをさらにランクを上げ、各国の大使の来訪の時にも立ち会えるだけの技量を身に着けるとなると、教師自身が侯爵夫人などかなり高位となる。


「それと本人のやる気次第ですが、ナタリア様がウェズリーを離れた後も継続することをお約束いたしましょう」


 その時点で、マリア・ヒックスはようやく16歳。


 法的には成人で庶民なら子供を産み始めるが、貴族令嬢はおおむね未婚で親の庇護のもと淑女教育を受け続けている状況が普通だ。


 理由の一つに王立学院で特例のみだった女子の就学が先代の王より正式に許され、王都での暮らしが可能もしくは寮生活も厭わない貴族令嬢が通うようになった。

 これにより卒業を待っての挙式が増え、おおよその適齢期が十八歳以上となったのだ。


「それは・・・。願ってもないことです。ご協力いただけるならこれほど心強いことはありません」


 王妃教育なみの指導を受けたということは、修了すれば周囲への顔が立ち自信が持てるだけではなく、王家の後ろ盾がありと保証されるも同じ。

 それと同時に、高位貴族の知己も得るというおまけ付きだ。


「ご結婚祝いの一つとお思いください」

「何よりの贈り物です。ありがとうございます」



 和やかな空気が流れたところで、リロイが持参していた箱を長椅子に置いた。


「私からもナタリア様にお渡ししたいものがあります。運び込んだだけなので贈り物というわけにはいきませんが」


 箱を開き、中から取り出してテーブルの空いている場所へおかれたのは衣類。


「これは・・・」

「そろそろ、好きに動いても大丈夫ではと思いまして」


 次々と重ねられたのはスラックスを何本か、ブラウス、ベスト、ジャケット、ハーフコート…。


「暴れたくなってきた頃合いでしょう」

「・・・よくわかったわね」

「もう、四年のお付き合いですから」

「本当は少し前にダドリーからレドルブ侯爵邸へ届いていましたが、なかなかお運びする機会がなくて」

「・・・あれも?もしかして」

「もちろんです」


 リロイが頷くと、ナタリアの瞳にさあっと明るい色がさした。


「なら、今から良いかしら」

「はい」


 リロイは極上の笑みを浮かべる。


「俺は、そのために来たのですから」


 窓から差し込む光を浴びきらきらと輝くリロイの美しさを、うっかり目にしてしまったアニーは思わず拳で胸を押さえた。




「ああ、愛しい私の子よ、久しぶりね」


 ナタリアはそれを抱きしめ、うっとりと目を閉じる。


「・・・正気か」


 命知らずな誰かのつぶやきが地面を這う。


「おい・・・」


 慌ててそばにいる者が注意のために動くのを、上の方から低い声が下りてくる。


「いや、誰だって思うだろう」


 この場で一番大柄なダビデが深い息をついた。


「信じられないだろう…。俺だって自分の目が信じられない。まさか、奥様が・・・」



 ここは騎士団の練習場。


 上級士官を除いた数十人の騎士たちが自主鍛錬しているさなかに、彼らとよく似たいでたちの者が二人現れた。


 一人は、数日前から西の館に滞在しているレドルブ候家の従僕、リロイ・ウインター。

 もう一人はなんと、この屋敷の女主人になったばかりのナタリアだった。


 どこかの私設騎士団の支給服と思われるそろいの上着とぴったりと足を包むスラックス、ブーツを二人は着用している。


「ごめんなさい練習中に。ちょっと私たちも混ぜてもらうわね」


 その声は、間違いなく侯爵夫人のもの。


 一瞬、何を見て聞いたのか男たちはわからず、石のように固まった。



 王都の貴婦人たちは常にドレス姿だ。

 乗馬の時も極力足及び体型を隠すためにふんわりとしたスカートをまとい、いかに優雅に見せるかに重きを置く。

 狩猟大会に参加してもあくまでも『華』の役割でしかなく、男たちに交じって獣を追うことはない

 たとえ騎士に女性がいてもあくまでも護衛としてであり、その職に就くのは代々騎士か平民出身。

 それが、この国の常識。


 一部の目撃談で、夫人が男性用乗馬服で早朝馬をかっ飛ばしている噂は聞いたことがあっても、誰もが冗談だと思っていた。


 だが、深い茶色の髪を大雑把に束ね、すらりと長い手足を晒して堂々と大股で歩く姿は、どう見ても生粋の騎士だ。


 そして、武器庫で保管していたらしい長剣をトリフォードが持参したのを見るなり、彼女は喜色満面で駆け寄り、受け取った。



 そうして、今に至る。



 この騎士団の女主人が。

 ナタリア・ルツ・ウェズリー侯爵夫人が。

 二十歳の淑女が。


 装飾は一切なく、使い込まれた雰囲気の長剣へ「会いたかった…」と愛おしそうに口づけ、頬ずりする姿。


「これは、いったい・・・」


 我々は、いったい、何を見せられている。

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