『エルヴィス伯爵夫人の甘い秘め事』読書会

「『ああ、やめないでくれ・・・っ!』と、男は懇願した。『・・・何を?』女が耳元に息を吹きかけると、ひくひくと彼は喉をふるわせ…」


「昨夜の今で音読はさすがにご勘弁を・・・。パール夫人」



 ふーっと天井を仰いでナタリアはため息をついた。


「お疲れですねえ」


 ぱたりと手にした本を閉じ、パール夫人は笑った。


「ええ、そりゃあ、とても」


 私室の椅子にだらりと身体を預けただらしない恰好のまま答える。

 濃い目に淹れてもらったコーヒーが舌にじんわり染みて辛い。


「結局、明け方近くまでかかりましたからね、尋問・・・」

「うふふふ。尋問という名の、甘い拷問ですわね!いやあ、感服しましたわ。ナタリア様がこの本の妙技をあれほどまでに実現なさるとは!」



 二人の間にあるテーブルには、先ほどパール夫人が音読した本がある。


 題名は『エルヴィス伯爵夫人の甘い秘め事』。



 女性向け官能小説の中でもかなりニッチな嗜好を攻めているマグナ・ディドル夫人の作品で、ざっくり言えば、美貌の有閑夫人が婚外情事を楽しむ話だ。作中では主人公が地位も名誉もある男たちを色々な道具を使いながらさんざん弄ぶ場面が微に入り細に入り描かれている。

 女が閨で男の妙技に翻弄される話に飽きた女子たちの間でバイブルとまで称され、今や恋愛小説初心者の少女たちですら題名は小耳にはさんだことがあるとまで囁かれる、影のベストセラーだ。


 要するに、ナタリアはこれを参考文献としていろいろ再現し、ローレンスを篭絡した。

 部屋の内装も、香油も、衣装も、化粧も、物言いも。


 ブランデーと料理はさすがにオリジナルだが、ベッドに上がってからのほとんどは、そらんじられるほどに読み込んだ官能小説の女主人公を模倣しただけだ。



「あれ、本当にすごいですね。たかだか目隠しして手足を拘束するだけであんなに上手くいくとは・・・。驚きました」



 というか、正直、引いた。

 かなり、引いた。



 最初は、うつぶせにさせて背面のオイルマッサージを施術しただけだ。


 そもそもマッサージ自体はダドリー騎士団直属の療法士に習った筋肉をほぐす手法で、ちょっと甘ったるい雰囲気たっぷりな香りがするオイルを使って全裸に剥いたローレンスに試みたのだが、その時点でマタタビにまみれた猫のような状態になった。

 計画通り腑抜けになったところで官能小説の実行開始である。

 目隠しをさせて仰向けにひっくり返し、ついでに両手も拘束して腹の上に乗り、今度は表面に施術を開始すると、彼は作中の男が憑依したのかと途中本気で疑ったくらいの喘ぎっぷりで、最後までノリノリだった。


 聞いたことはペラペラ答えるし、変態行為のおねだりはノンストップだし、媚薬を飲ませたわけでもないのに、なんなんだあれは。


 ああいう趣味だったのか、あの男。


 もしも、愛のある関係ならばこういうのも楽しいかもしれない。

 しかし今、ナタリアの中でローレンスはクソ以下である。

 苦行だ。

 山にこもって百日断食修行するよりも功徳を積めたのではないかと思うくらい、心身ともに削られた。

 その上、聞き出せば聞き出すほど、このまま縊り殺したほうがいいのではないか?という衝動が湧いてきたが、なんとか故郷に残した最愛の妹の顔を思い浮かべてやり過ごす。

 そのようなわけで、途中かなり嫌気がさしてやめたくなったが、目的のためなら手段を択ばない…というか、これだけ大掛かりな仕掛けを作り、たくさんの人に目撃され、聞かれているのだ。


 もう、やるしかない。


 ぎりぎりと歯を食いしばってナタリアは己に課した任務を遂行した。



 ちなみに、ローレンス側のドアの鍵をかけたが、ナタリア側は開けっ放しである。

 要するに、隣の私室でパール夫人が待機し、尋問を始めたあたりから寝室近くに机と椅子を配置し、すべてを丁寧に記録した。

 これは、ナタリアが王太子妃へ計画を持ち掛けた当初からパール夫人が立案し立候補していたことなので、大満足らしい。

 徹夜だったにもかかわらず、彼女は今、出会って以来最もきらきらと輝いている。



「だから言ったでしょう。マグナ・ディドルは実体験から書いているって!」


 両手を胸の前でぎゅっと組んで、主張する。



 パール夫人はマグナ・ディドルの大ファンだ。


 作家自体は女性である以外謎に包まれているが、ナタリアの母の実家がある北国で出版されている。

 それをパール夫人が偶然見つけ、出版元経由で了解を得て自国語に翻訳して自費出版し、親しい人々に布教した。


 小さな体にもかかわらず、太陽より強烈な力を秘める女、それがパール夫人だ。

 そんな彼女は、この国でひそかに王太子妃を中心に通信制読書会というものを発足させた。


 会員は読書好きの貴族と商家の女性中心で、年々増え続け今やけっこうな人数になりつつある。

 この国の出版能力として女性向けの本はまだまだ後回しにされがちなので、それぞれのお勧めの本をそれぞれ貸しあううちに冊数も増え回遊ルートが発達し移動距離も伸び、ちょっとした移動図書館のような状態になりつつある。


 ちなみに、これは女性たちのひそかな楽しみなので、男たちは全く気付かない。

 単純に贈り物のやり取りやドレスの貸し借り等だと思いこんでいる。

 よって、かなり過激な世界を淑女たちが把握していることも、知られていないのだ。

 そして、読書会は増殖・発展をしているうちにじわじわと人脈を作り上げていった。


 その一つが、娼館。

 パール夫人はとうとう高級娼婦たちと懇意になり、いろいろなコネを手に入れた。

 その成果が、昨夜のおもてなしセットだ。


 部屋の雰囲気を一転させた淫靡な内装たち、ローレンスを喘がせた数々の小道具、そして魅惑のランジェリードレス。


 全てとある高級娼館から借り出し、先日、パール夫人とリロイが西の館に運び込んだ。



「それにしても彼は、地位も名誉もあって女を食いつくした男に限って、ベッドでは支配されるのがお好きという典型でしたわね」

「エエ・・・。ソウデスネ」


 マグナ・ディドルの作品は、まさに、地位も名誉金も美貌もある男のプライドを快楽で粉々に砕く話が多く、既婚者たちに人気が高い。

 その男たちの特徴そのもののローレンスは、ある意味うってつけだった。


 本の世界の二次元からローレンス・ウェズリー侯爵を通して三次元の世界へ。

 いや、これはあくまでもナタリアたちの演出によるものなので2.5次元と言うべきか。


「ああ、実践と検証。これほど楽しいものはありませんわ~」


 つやつやと白い光を放つパール夫人の顔面が、あまりにもまぶしすぎて目が潰れそうだ。


「ハハハハ・・・。オヤクニタテテナニヨリデス」


 一晩中、殺人衝動と戦ったナタリアとしては腹いっぱいだ。

 だが、おかげで知りたい以上の情報を引き出せたのは間違いないので、不満があろうはずはない。




「さて・・・。そろそろお目覚めでしょうかね、旦那様は・・・」

「そうですわね。まずは目覚めてびっくり、そして飛び起きてここまで猛ダッシュされるってところでしょうか」


 パール夫人の言葉が終わらぬうちに、ものすごい勢いで走る男の靴音と追いかける騎士たちの腰にぶら下げられた剣による金属音が廊下から聞こえてくる。

 ふーっと深呼吸をしてナタリアは首を回し、両腕を天に向けて上げ軽く背伸びをした。


「予想通りで何より」


 いったん立ち上がり、髪とドレスの体裁を整えなおす。


「いよいよ、本戦ですね」

「はい。準備はできております」


 パール夫人がにやりと不敵な笑みを浮かべた。


「ふふふ。ジョロウグモの巣に飛び込む間抜けな蝶は、美しければ美しいほど痛めつけるのが楽しいのですよね・・・」



 ・・・一生、この人は敵に回したくないな。


ナタリアは心から思った。


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