式と誓いとキスと

 結婚式当日は、雲一つない晴天だった。


 夜明け前から侍女たちが総がかりでナタリアを押さえつけ、渾身の力をもって着付けを施した。



「さすがにこの肌色は無理なのでは・・・」



 ナタリアの首から上は漆喰でも塗ったかのようにまっ白に仕上げられてしまった。


 これではまるで、数百年前の貴族か喜劇の女優のようだ。


 表情筋を動かしたら、確実にひびが入る。



「いえいえいえ。ナタリア様のそもそもの肌の色なのですから、これくらい詐欺にあたりません」



 ああ、やっぱり詐欺だと思っているんだ、本当は。


 皮膚呼吸ができない状態なのも問題なのでは…と思いつつも、周囲は戦闘状態で殺気立ち、とても口を挟めない。


 事の発端は、ナタリアのしっかり焼き上げた小麦色の肌がとんでもなくウェズリーが用意したウエディングドレスに似合わないと滞在初日の衣装合わせで判明したためだ。


 侍女長を始め女性たちは半狂乱になった。


 しかし、待ったなしだ。


 そこから挙式前日まで、肌の状態を少しでも白くするためにあるゆる手立てを施されることに費やされた。


 その過程で、ナタリアの元々の肌色を知ったわけである。


 要するに、背中、胸元、腕に肌の色の境目がくっきり出ていた。


 すると、彼女たちは何故かそちらへ寄せていこうと決めたらしい。



「ローレンス様もきっと驚くと思うけど?」



 この厚化粧を見て、打たれ弱い新郎が壇上で腰を抜かすのではないかと心配だ。



「大丈夫です。グラハム卿に話は通してありますから!」


「あ、そうですか・・・」



 せめてもの救いは、用意されていたドレスがコルセットで締め上げるものでなかったことだ。


 胸の下で切り替えのあるローマ風エンパイヤドレスで、当初は背中と襟ぐりが大きく空き二の腕もむき出しだったが、レースをふんだんにとり付けてナタリアの肌の境界線を覆い隠すよう大きく変更した。


 突貫工事のようなものだったにもかかわらず、前日にはドレスが出来上がり、しかも使用されているレースは文句なしの最高級。


 財力で殴れるとこんな無理が効くものなのか…と感動した。


 せっかくすっきりとした意匠だったドレスにごてごてと後付けせねばならなくなったのは申し訳ないが、宝飾もベールも靴に至るまで全て、この立場にならねば身に着けられないものばかりだ。


 花を生けるのが得意な侍女が作ってくれたブーケの薔薇もとても良い香りがしている。


 せめて今を楽しむことにしよう。





「ご両親もさぞ悔しい事だろうな。こんな時期でなければ何が何でも駆けつけただろうに」


「ご多忙のところ、立会くださりありがとうございます。いくら感謝しても足りません」


「いいや、光栄なことさ。あの小さかったナターシャの花嫁の父を私にさせて頂けるとはね」



 長身の身体を礼装に包み隣で腕を貸してくれているのはカーソン・レドルブ伯爵。


 父ジャックの長年の友人であり、義姉ディアナの父だ。


 家族ぐるみの付き合いは先々代からになる。


 ディアナはウェズリーの婚約申し込みを知ってすぐに実家へも伝令を飛ばし、結婚式に父代わりとして出席するよう頼んでくれた。


 まだ十五歳のジュリアンをダドリーの立会人にした場合に生じる不利益の可能性を未然に防ぐためだ。



「それにしても、綺麗になったね、ナターシャ」


「おじさま・・・。優しい慰めをありがとうございます。おかげで司教様までの道行きをなんとか正気を保って歩けそうです」


「・・・中身が面白いところは相変わらずなんだね、ナターシャ。大好きだよ」


「私も、おじさまの事を敬愛しています。父よりも」


「あはは、ジャックが今頃泣いてるね」



 小声で軽口をたたきあいながら身廊を進むうちに、内陣にたどりつく。


 両側にはウェズリーに招待された客たちが立ち並んでいるのがベール越しにも見えた。


 うちうちのもので小規模だと聞いていたが百人くらいはいるのではないか。


 その中に、ジュリアンを見かけて噴き出しかけた。


 会うのは彼が王立学院に入学して以来だが、姉のかつてない姿に目と口が真ん丸になっている。


 唇がぱくぱくと動いているのも見られて、ジュリアンをこれほど驚かせたなら、それで今日は十分仕事をしたような気になる。


 祭壇前には、ステンドグラスから差し込む光を浴びて輝くローレンス・ウェズリーが待っていた。


 金髪も白い肌もきらきらと光を放ち、彼の立ち姿はまるでギャラリーに飾られる肖像画のように完ぺきだった。



「ナターシャ、幸運を祈るよ」


「ありがとうございます、おじさまも」



 レドルブ伯爵からの心からの言葉に微笑みながら、足を進め、ローレンスの横に並ぶ。


 王都で二番目の位にあたる教会は堅固で壮麗な造りでかつ歴史も古く、ダドリーの田舎のそれとは比べ物にならない。


 しかも、高位の司教が式を執り行うと知った時、どうしてたかが偽装結婚にここまで大掛かりな演出が必要なのかと不安が増した。


 そんなナタリアの胸中もおきざりに、どんどん進行していく。




「私、ローレンス・ミゲル・ウェズリーは汝を妻とし、今日より永遠にいかなる時も共にあることを誓います」



 こんなところでこんなにさらっと誓ってしまう、この男の晴れやかすぎる笑顔が、本当に恐ろしい。



「私、ナタリア・ルツ・ダドリーもこれよりあなた様を夫とし、共にあることを誓います」



 うわべだけなぞりながら、心の中でナタリアは誓った。


 神よ。


 知恵を絞り、力の限りを尽くし、何が何でも、生きることを誓います、と。




 そして向かい合い、指輪をそれぞれの指にはめ、司教の指示に沿ってローレンスがナタリアのヴェールを上げた。



「・・・っ」



 ローレンスが息をのみ目を開いたのを間近に見られて、思わず笑ってしまった。


 今日初めて素の部分を見た。


 いや、彼は初日の会見から今まで、ずっと『ローレンス・ウェズリー侯爵』を演じてきた。


 そこにきて、この驚異的な厚化粧。


 乳白色の肌、薔薇色の頬、極限まで延ばされた長いまつ毛、紅でかたどられた唇。


 記憶の中のナタリア・ダドリーとは別人だ。


 替え玉だと思われても不思議はない。



「ローレンス様落ち着いて。これは侍女たちの努力のたまものです」



 ナタリアが囁くと司祭にまで聞こえたらしく、彼は唇をぎゅっと引き結んだ。


 しかし、頬の筋肉がぴくぴくと痙攣している。



「失礼しました」



 ローレンスは我に返る。



「ああ・・・。そうか・・・。では、ナタリア」



 彼の喉がこくり動く。


 そしておずおずとぎこちなく両手を差し出し、ナタリアの頬を包み込んだ。


 ゆっくりと彼の顔が降りてくるのをゆるく瞼を伏せて待つ。



「・・・・・・」



 意外に長い間だった。


 離れる時、互いの視線が絡み合う。



「・・・では・・・お二人ともこちらへ」



 司祭の声に、二人は身体の向きを変える。


 小机の上の婚姻宣誓書を示され、それぞれ署名した。



「ここに、二人が夫婦になったことを宣言します」



 立ち合いの人々からの拍手が起こり、高い天井に反響して降ってくる。


 讃美歌の流れる中、二人はふかぶかと息をつく。



「ようやく・・・」



 終わった。





 ローレンスの腕に手をかけて、ゆっくりと出口に向かって進む。


 ヴェールを背中に流し視野が広くなった中、ナタリアは軽く会釈しながらさりげなく視線を巡らせた。


 大公夫妻と兄弟は欠席。


 それは予想通り。


 あとは列席している女性の顔を、年齢を問わず全て頭に叩き込んだ。




 彼は、誓いのキスを行いたくなかった。


 でも省くわけにもいかなかった。




 美しい夫に夢中な幸せいっぱいの新婦のふりをして、ローレンスを見上げる。


 視線に気が付いた彼は少しぎこちない笑みを返してきた。




 大勢の列席者には幸せだと思わせねばならない。


 しかし、ある人物には解ってもらいたい。


 けっして、この女を愛しているわけではないと。




「ごくろうなこと・・・」



 香りを愛でるふりをして白薔薇のブーケに口元を寄せ、こっそり本音を落とした。




 この教会の中に、この偽装結婚の、真の原因がいる。


 ローレンスの両の手のひらに隠された二人の唇は、一瞬も触れたりはしなかったのだから。



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