第16話 魔法ってなんですか?

「というわけで、今日から姫様の魔法のコーチを務めさせていただく、ルーナ・パルティーンです」

 魔王城の屋上にてアメリアの前に立つルーナは、そう言って普段はかけていない眼鏡をクイっと上げた。

 今日のルーナは服装こそいつものメイド服ではあるが、髪型は肩ほどの長さのものをアップにしており、その手には指揮棒のような短い杖を持っていた。その雰囲気は、さながらエリートスパルタメイド家庭教師といった様相である。


「ルーナ、あなた目が悪かったのね」

「いいえ、視力は2.0を遥かに超えています。これは伊達メガネです」

 ルーナは形から入るタイプであった。


「じゃあ、ルーナ——」

「ルーナ先生とお呼び下さい」

「ル、ルーナ先生、よろしくお願いします」

「よろしい。ではまず、先程お渡ししたテキストの一ページ目をご覧下さい」

 アメリアがルーナから貰ったお古の魔法教本の表紙には『トロールでもなれる!? 一から始める魔法使い!』というタイトルが書かれており、やけにノッペリとした絵柄で杖を手にした可愛らしいトロールが描かれている。そして表紙を開くと、そこには見出しにこう書かれていた。


「まず、『魔法とは何か』です。姫様は魔法とは何かご存知ですか?」

「えーと……なんか魔力をなんちゃらして、火を出したり、空を飛んだりする事?」

「七十点です」

「今ので七十点も貰えるの!?」

 予想外の高得点にアメリアは驚く。


「だって簡単に言えばそれで合ってますもの。もうちょっと細かく説明しますと、まずはこの世界を満たしている魔素というものを体内に取り込み、魔力に変換して、それを用いて世界に呼びかけ、本来そこに起こり得ない現象を起こすのが魔法です。世界に正しく起こっている現象を人の意思で惑わす魔の法則、即ち『魔法』というわけですね」

「へぇー……」

「わかります?」

「なんとなくは。要するに、川から水を汲んでくる事を魔素の取り込みだとすると、それを火にかけてお湯にしたり、茶葉と合わせて紅茶にする事とかが魔法を扱うって事なのかしら?」

「まぁ、大体そーゆーことです」

 そーゆーことらしい。

 そして腕の良い魔法使いというのは、魔素の取り込みが上手かったり、その魔素を効率よく魔力に変換できたり、より少ない魔力で複雑な現象を起こせたりする者の事である。まぁ、基準は色々だ。


「では次のページにいきましょう。えー、続いては——」

 テキストの二ページ目には、『自分の魔力適性を理解しよう!』と書かれており、目を閉じたトロールの周りに様々な色の玉が浮いているイラストが描かれている。


「人はそれぞれ魔力適性というものがあり、自分の魔力適性に合った魔法ほど扱いやすくなります」

 それは例えば、火の魔力適性がある者は火に関する魔法の習得や扱いがしやすく、火と対の属性である水の魔法はその逆という具合にだ。しかし、その者の努力と才覚にもよるが、その気になれば全ての属性の魔法が扱える。それから、属性が関係ない魔法というのも色々あるのだ、とルーナは言う。


「なんか面白そうじゃない。それはどうやればわかるの?」

 テキストのページを捲ると、自分の魔力適性を調べる方法がズラリと箇条書きで書かれてある。しかし、どれを試すのかはルーナに任せるのが良いだろう。

 すると、ルーナは僅かに考える素振りを見せてから言った。


「テキストの通り自分の魔力適性を知る方法は色々ありますが、今現在正確で手っ取り早い方法が二つあります」

「うん、教えて」

「まず一つは、ドリス博士に採血をしてもらい、検査をしてもらう方法です」

 その名を聞いて、アメリアは一瞬嫌そうな顔をした。

 ドリス博士とは、つい前日アメリア達を鼻血が出る魔法の実験台にしたあのマッドサイエンティストである。


「まぁ、それが手っ取り早い方法なら仕方ないかなぁ」

「ただ、これは杞憂かもしれませんが、あの人は採血した血を使って姫様の複製人間を作ったりしかねません」

「それはやだなぁ……。じゃあ、もう一つの方法は?」

 アメリアの問いに、ルーナは躊躇いの表情を浮かべる。

 そしてしばらく考え込み、なんだかモジモジとし始めた。


「その、もう一つの方法はもっと手っ取り早いのですが……」

「ならそっちにしましょうよ。どうすればいいの?」

 アメリアは尋ねるが、ルーナはやはりモジモジとしていて言うかどうか迷っている様子である。しかし、やがて決心したかのように口を開いた。


「そのー……私と……キスをしていただければ……」

「キ、キス!? なんで!?」

「べ、別に私も冗談とかセクハラで言ってるわけじゃないんです! 魔族には粘膜接触した相手の魔力適性を感じ取れる能力がありまして! いや、私はした事ないのですが……これは魔族には皆備わっている能力でして……」

 ルーナは赤面しながらブンブンと手を振り回す。


「わ、わかってるわよ! 別にセクハラだなんて思ってないけど、でも……」

 二人はモジモジとしたままチラチラとお互いを見合う。

 恥じらうのも無理はないだろう。いくらこの三年を共に過ごし、風呂で洗いっこまでした仲とはいえ、キスとなると話は違う。勢いでチューッとやってしまえばなんて事はなかったのかもしれないが、ルーナが変に躊躇したのがまずかった。それにより二人は互いに妙な意識を抱いてしまったのだ。


「あ! なんなら私じゃなくても全然いいんですよ! 魔族なら誰でも持っている能力ですから!」

「とは言っても……」

 魔王城内でアメリアと繋がりのある魔族というと、ルーナを除けば魔王、ドリス博士、図書館の司書ラミアくらいのものである。マチルダはダークエルフだし、プリムは精霊族だ。その中で誰かとキスをするとなれば——


「——が、いいわ……」

「え?」

「キスをするなら……私はルーナがいいわ」

「ひ、姫様……」

「やりましょう」

 そう言ったアメリアはテキストを床に置くと、真っ直ぐに目を見据えながらルーナへと歩み寄る。

 なんとも言えない空気が二人の間に張り詰める。

 それは風呂場で互いの体を洗い合った時の、冗談めかした感じとはまた違うものであった。


「ゴメンねルーナ、私とキスなんて嫌かもしれないけど」

「そんな事ないです! 全然嫌なんかじゃ……」

「あんまり溜めると恥ずかしいし、チャチャっとやっちゃいましょう! それで、犬に噛まれたとでも思って忘れてくれれば——」

「それは嫌です!」

 ルーナは真剣な表情で叫んだ。


「私、ファーストキスなんです」

「それならやっぱり……」

「いえ! いいんです。私はまだ恋というものをした事ありませんが、姫様がファーストキスの相手でむしろ嬉しいくらいです……。だから、犬に噛まれただなんて思いません。ちゃんと覚えておきたいんです。初めてのキスの相手が姫様だったと……」

「ルーナ……」

「だから、ちゃんとしましょう!」

 ルーナは辺りを見渡すとアメリアの手を取り、屋内への入り口へと引っ張ってゆく。


「誰かに見られたら恥ずかしいので……」

「……うん」

 ルーナが手を離すと、二人は見つめ合う。

 二人の胸は相手に鼓動が聞こえてしまうのではないかと錯覚するほどに高鳴っている。


「その……私も初めてだから上手くできないかもしれないけど——」

 アメリアの唇を、ピンと伸びたルーナの人差し指が塞ぐ。


「姫様、良いキスに言葉は要らないそうです」


 アメリアが頷くと、ルーナは眼鏡を外し、目を閉じた。

 辺りはとても静かで、二人の耳に聞こえてくるのは細やかにそよぐ風の音だけ。


 アメリアはルーナの輪郭を優しく撫でる。

 するとルーナはピクリと身を震わせ、せがむように少しだけ顔を上げた。


 入り混じる期待と不安、そして恥じらいの中で目を閉じてキスを待つルーナは、抱き締めると壊れてしまいそうなほどに儚げで、愛おしく、可愛らしかった。


 まるで宝石のように映る小さくて桜色の唇がアメリアを誘う。

 それに吸い込まれるように顔を寄せたアメリアは、自らの前髪をかき上げると、首を傾けて目を閉じ、息を止めた。


 ちむっ……


 柔らかく、温かな、しかし生涯忘れる事ができないような、強烈に印象に残るような感触。

 潰れてしまわぬように、壊してしまわぬように、アメリアはルーナの唇に自らの唇を押し当て、離した。

 時の流れが遅くなったかのような感覚の中、二人はどちらともなく目を開ける。ルーナは恍惚としたような、しかし今にも泣き出してしまいそうな切なげな表情を浮かべていた。


「……ルーナ」

「……いけます。あと僅かで見えそうでした。もう少し……長く……お願いします……」

 その言葉が再度唇を合わせる要求だと理解したアメリアは、半歩歩み寄り、ルーナの腰と後頭部に手を回す。そして抱き寄せるように、再度自らの唇をルーナの唇に押し当てた。


「ふむっ……!!」

 身を震わせたルーナの手が、アメリアの服をギュッと握りしめる。ドクンドクンと、密着したルーナの鼓動が服を通してアメリアへと伝わってくる。きっとアメリアの鼓動も同じようにルーナに伝わっているだろう。

 アメリアは自らの体がこのままルーナと溶け合ってしまうのではないかと錯覚する。


 はぷり——と、ルーナの唇がアメリアの唇を食んだ。

 それは些細な事でありながら、アメリアにはとても淫靡な事に感じられ、嗜めるようにはぷりとやり返す。

 そんな戯れの中で、もはやアメリアの脳はルーナの事しか認識する事ができなくなっていた。


 すると————


 トントン


 一瞬と永劫の境目がわからなくなるような感覚の中で、服を握りしめていたルーナの手に背中をタップされ、アメリアは我に返る。そしてルーナを放した。


「ぷはっ!」

 どれほどの間唇を合わせていたのだろうか。

 息を止めていたせいで急激に空気を取り込んだ肺がハァハァと荒い呼吸を促してくる。ルーナも同じようで、フラフラと後ずさると、壁に背をつけて深く呼吸をし始めた。

 羞恥心により、しばらく互いの顔は見られなかった。


 呼吸が元に戻ると、アメリアはルーナに尋ねる。


「どう? わかった?」

「え? 何がですか?」

「わ、私の魔力適性よ!」

「あ、あー! そうそう! そうでしたね! 頭が真っ白になっちゃいました……」

「……それって、もしかしてもう一度って事?」

「違います違います! 私の頭の中に、真っ白な光が浮かんだんです!」

「つまり……?」

「姫様の魔力適性は間違いなく『光』です! まぁ、なんとなく予想できていましたが」


『光』の魔力適性は魔王の持つ『闇』の魔力適性と対をなすものである。それは、二人がいずれ対峙する事を示し合わせる符号だったのかもしれない。


「あのー、姫様」

「なぁに?」

「今、二回キスしましたよね? キリが悪いからサードキスまで姫様で埋めたいのですが……」

「……まぁ、いいけど」

 こうして、二人の人生キス名鑑は一番から三番目まで同じ人物で埋められたのであった。

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