第8話 三年前のお話

「ふぅー……」

 程良い湯加減の湯船に浸かりながら、アメリアはうっとりとした表情を浮かべて浴場の天井を見上げた。

 その隣で湯船に浸かっているルーナは、なぜだか口を半開きにして意識がどこか遠くに行ってしまったかのような顔をしている。あの後アメリアがどのようにルーナの背中を流したのかは我々には知る由はない。


「やっぱり広いお風呂は良いわねー」

「はひぃ……」

「ちょっと、いつまで惚けてるの?」

「だって姫様が、あんなこんなで……そんなこんなを……なんじゃもんじゃしたもんですから……」

 本当に何があったというのであろうか……。


「ふふふ、今度はマチルダも連れて入りに来ましょうよ」

「……ええ、その時は二人でマチルダさんの背中を流してあげましょうね」

 そう言って二人はウフフと意味深な笑みを浮かべる。そしてその時、城内の見回りをしていたマチルダは得体の知れぬ寒気を背後に感じたのであった。


 それから二人は、世の男達が『女の子達はお風呂でこんな会話をするんだろうなー』と想像するようなガールズトークにキャッキャウフフと花を咲かせた。

 そんな中、アメリアはルーナに言った。


「ルーナって体格の割に結構大きいわよね。マチルダみたいにボイーンて感じじゃないけど、なんていうか絶妙なバランスというか……。これは男にはたまらないでしょうね」

 すると、ルーナはいつになく真面目な表情を浮かべる。

「姫様、私はですね、城に住み込みで働くことが決まった時に実家の母に『あなたは人生を豊かにする三つの武器を持っている』と言われたんです」

「三つの武器?」

 アメリアは「突然何のこっちゃ」と首を傾げる。


「一つは『程良い真面目さ』だそうです。何事にも真面目に誠実に向き合うけれど、無理はせず、他者にもプレッシャーを与えない程度の真面目さは立派なあなたの武器だと。それを忘れなければいつか必ず出世できると」

「確かにそうかもねー。あと二つは?」

「この二つの胸です」

 ルーナは自らの胸をむにゅりと掴んだ。


「母は言いました。『あなたは私譲りのその絶妙なサイズの胸で、お金持ちのいい旦那を捕まえるんだよ』と。因みにウチは魔界では中流家庭ですが、両親が子作りに励みすぎたせいで貧乏なんです」

 自分の娘になんちゅう事を言うんだと思うアメリアであった。すると今度は、ルーナがアメリアに尋ねる。


「でも、この前のマチルダさんの話ではないですけど、姫様はエスポワールでは結構モテたんじゃないですか? 美人ですし、スタイルもいいですし」

「うーん……まぁ、モテなかったって言ったら嘘になるわね」

「じゃあ、婚約者とかもいたんじゃないですか? 王族の方ってお世継ぎを作らなければいけないから結婚も早い印象なんですけど」

「それがいなかったのよねぇ。あの頃はあんまり恋愛とか興味なくて……」

 そう言ってアメリアは遠い目をした。


 約三年前————


 ここはダンゲール大陸の中央にあるのどかな国、エスポワール王国。

 この国を治める王族達が住う王都シャイニードに建つエスポワール城の庭園では、まだ僅かに幼さの残る美しい少女が子供達と共に追いかけっこに興じていた。


「ほらほらミゲル、捕まえちゃうわよー。ほら、アンナも油断しないで、ガオーッ!」

 その少女こそが、まだ若かりし頃の……いや、今もまだ十分過ぎる程に若いが、とにかくその少女が、まだ魔王に囚われる前のアメリア・エスポワールその人である。


「ほーら、捕まえた! 次はレオの鬼よ」

「姫様は足が速いなー! 今度は俺が捕まえてやる!」

「あはは、やってごらんなさい」

 追いかけっこで少年を捕まえたアメリアの元に、沢山の子供達が集まってくる。


 ねーねー姫様ー、次はおままごとしようよー

 えー、勇者ごっこしようよー

 あたしはかくれんぼがいいなぁ


「はいはい、順番順番」

 当時のアメリアは、気品がありながらも気さくであり、天真爛漫で誰にも分け隔てなく接する事から、子供達だけでなくエスポワール国民皆に愛される姫であった。


「よーし、じゃあ次はおままごとをしましょうか」

 アメリアが子供達と遊んでいると、そこに小綺麗な軽鎧を身に纏った一人の女騎士が慌てた様子で走り寄って来た。


「アメリア様! こんな所で何をされているのですか!? あぁ、お召し物もこんなに汚されて……。コラ! お前達もこんな所まで入ってくるんじゃない! ここは遊び場じゃないんだぞ!」

 彼女の名はエルザ・クルーガー。

 アメリアの護衛を任されている女騎士である。

 アメリアは子供達をシッシッと追い払おうとするエルザを嗜める。


「ちょっとエルザ、そんな言い方はないでしょう? この庭園は国民に開放されているのですから、子供達が入っても問題ありません。それに、この子達が将来税を払い、この国を支えていってくれるのよ。そんな子供達を動物を扱うように——」

「それどころじゃありません姫様! 今日は隣国のガーランド王子とのお見合いの日ではありませんか! こんな所で子供達の相手をしている場合じゃありませんよ!」

 アメリアはエルザが悪い人物では無い事は理解していたが、真面目過ぎてお堅いうえに、やけに圧が強い彼女の事が苦手であった。


「またお見合いかぁ……。どうしても行かなきゃダメかしら?」

 エスポワール王国基準で十五歳の成人を迎えたばかりのアメリアには、多くの国の王子達から見合いの申し込みが殺到しており、毎週のように行われる見合いにアメリアはウンザリしていた。アメリアは元からその美しさが噂になっており、諸外国からも注目されていたのである。

 そしてこれはアメリアの知らぬ事ではあるが、彼女は美しい腰付きの姫として、国内でも密かに『美腰姫びようき』と呼ばれていたりもした。


「当たり前じゃないですか! 姫様の婚礼はこの国の今後を大きく左右するのですからね。一人でも多くの方と見合いをして、より良い縁談を見つけていただかなければなりません! もっとご自分のお立場を理解していただかないと!」

「でも、お父様もお母様も、『お前にはちゃんと愛し合えるような人と結ばれて欲しい』って言ってるわよ……」

「それは存じ上げておりますが……。王も王妃様も本音を言えばできるだけ早く、より国のためになる縁談を結んで欲しいと願っているに決まっております。それに愛し合える人を探すにしても、一つでも多くの見合いをこなすに越した事はないでしょう?」

「まぁ……それはそうかもしれないけど……」

「ご理解いただけたなら早く参りましょう! お着替えもしなければ。そんな格好じゃガーランド王子の前には出られませんよ!」

 憂鬱そうな表情を浮かべるアメリアの袖を、一人の男の子がクイクイと引いた。


「姫様、オミアイってなんだ?」

「えーと……。そうね、結婚する相手を探す事よ」

「えー!? 姫様ケッコンするのか!? 俺が姫様とケッコンするつもりだったのになぁ……」

 それを聞いたアメリアは一瞬驚きの表情を浮かべると、朗らかに笑い、男の子の耳元で囁く。


「大丈夫よ、私はしばらく結婚する気無いから。あなたが大きくなるまで待っててあげる」

 そう言ってアメリアがパチリとウインクをすると、少年は頬を赤く染め、ヒヒヒと照れ臭そうに笑った。


「さぁ、姫様行きますよ!」

「ちょ、ちょっと引っ張らないでちょうだい!」

 こうしてアメリアはエルザに手を引かれ、無理矢理見合いの場に引き摺り出される事となったのだ。

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