勇者は助けにきませんでした。

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第一章 勇者は助けにきませんでした。

第1話 勇者は助けにきませんでした。

 暗黒の地と呼ばれる険しい山岳地帯に建つ巨大な古城。

 魔に属する者達を統べる王が住まうその城の一角には、頂上にてドラゴンが目を光らせる高い塔が建っていた。


 塔の最上階には古城らしからぬ小綺麗に飾られた部屋があり、部屋の窓からは一人の若く美しい少女が顔をのぞかせて夜空を見上げていた。


「勇者様、どうか早く私を助けにきてください……」

 長く艶やかな金髪に、雪のように白い肌、そして澄んだ翡翠色の瞳と慎ましいバストを持つ彼女の名はアメリア・エスポワール。

 彼女は今から約三年前、魔王によりこの城に拐われてきたエスポワール王国の第一王女——つまりはお姫様である。

 アメリアは待っていた。

 いつか勇者が自分を助けにくる日の事を。


「あなたの旅の無事を祈っております……」

 アメリアは星空に祈りを捧げ、きっと今頃自分のために険しい道のりを旅しているであろう、まだ見ぬ勇者に想いを馳せる。それは、この塔から出る事を許されぬアメリアの毎日の日課であった。


 コンコン


 不意に、部屋の出入り口である分厚いドアが何者かにノックされ、アメリアが返事を返す間も無く開いた。


「ご機嫌麗しゅう、アメリア姫」

 するとそこに立っていたのは、額から二本の角を生やした黒衣の青年——アメリアをこの塔に幽閉した張本人である魔王であった。


「……なんですか。こんな時間に女性の部屋を訪れるなんて無礼ですよ」

 ハンサムな顔にニヒルな笑みを浮かべて恭しく礼をする魔王を、アメリアは翡翠色の瞳でキッと睨み付ける。


 魔王はこの三年、自らの妃にするために拐ってきたアメリアに不便はさせなかった。

 食事は毎食上質なものを用意し、衣服も季節ごとに最高級のものを与え、監視役を兼ねてとはいえ召使いまであてがった。

 それでもアメリアにとっては自らを幽閉し、不自由を強いる魔王は軽蔑の対象であったのだ。


「ククク、随分と嫌われたものだな」

「あなたに抱く好意など持ち合わせておりません。私に好かれたいと思うのであれば、今すぐ私を解放し、軍と共に魔界へ帰るのですね」

「フン、接吻の一つでもしてくれれば考えてやらん事もないがな」

「誰があなたなどに……!」

 魔王の軽口にアメリアは唇を噛み締める。


「あなたなど……今に勇者様が……」

 すると、その言葉を聞いた魔王の口角が下がった。


「今、勇者と言ったか? アメリア姫」

「えぇ、言いましたとも。選ばれし勇者が私を救うためにエスポワールを旅立ったと教えてくれたのはあなたではありませんか」

 そう、アメリアがこの城に来てまだ間もない頃、それを教えてくれたのは魔王本人であった。その日からアメリアはずっと勇者の事を想い、待っているのだ。


「そうだったな……。そうそう、今日はその勇者について一つ報せたい事があって来たのだ」

「勇者様について……?」

 意味深な魔王の物言いに、アメリアは嫌な予感を感じて息を飲む。そして次に魔王の口が開かれた時、信じられぬ言葉がアメリアの鼓膜を震わせた。


「勇者は、お前を助けにこない」


 アメリアの思考が止まった。


「…………え?」

「勇者はお前を助けにこないと言ったのだ」


 アメリアは震える唇で言葉を紡ぐ。

「ど、どういう事ですか!? まさか勇者様はあなたの配下に倒されたのですか!?」

「いや、そういうわけではなくてだな……」

「ではどういう事ですか!?」

 縋るような視線を魔王に投げるアメリアの目からは、今にも涙が溢れ出しそうであった。

 そしてアメリアは再び自らの耳を疑う事になる。


「勇者は逃げたのだ」

「……に、逃げた?」

「使い魔の話によると勇者は旅の仲間である魔法使いと恋仲になっていたのだがな、つい最近魔法使いの妊娠が発覚したらしい」

「妊娠……?」

 魔王は唖然とするアメリアの顔をチラリと見やり、話を続ける。


「んで、責任を取りたくなかった勇者は全てをかなぐり捨てて他の大陸に逃げたのだそうだ。だから勇者はもうお前を助けに来ないというわけだ」

 アメリアは目を見開き、口をパクパクと開閉させながら魔王を見つめている。


「な……な……」

「まぁ、そういうわけで勇者は助けに来ないという事で、大人しく私の妃に————」


 魔王が言いかけたその時である。


「なんですってぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええ!!!!!!!!!!????????」


 アメリアの叫びが暗黒の地に響き渡った。

 ドラゴンの咆哮をも凌ぐそのあまりの声量に、魔王は思わず耳を塞ぐ。そんな魔王の胸元に、恐ろしく打点の高いアメリアの飛び蹴りが炸裂する。


「ゴフッ!?」

「ちょっとどういう事よ!? 私がどんな気持ちで勇者を待っていたと思ってるのよ!?」

 武闘家顔負けの飛び蹴りから華麗に着地したアメリアは魔王の胸ぐらを掴むと、力の限り壁に叩きつける。その形相はいつもの『お淑やかで気品に溢れていながらも勝気なお姫様』のものではなく、我が子を傷つけられたベヒーモスに近いものであった。


「い、いや……私に言われても……ぐ、ぐるじい……」

「三年よ!? 三年もこんなカビ臭い塔で待たされていたのよ!? 若い女の三年がどれだけ貴重かわかってるの!?」

 アメリアは魔王の頭をゴンゴンと壁に叩きつけながら、爪先でスネを激しく何度も蹴り上げる。


「痛い! 蹴りが的確すぎて痛い!」

「痛いのは私の心よ! 今すぐ勇者のクソ野郎をここに連れて来なさい! その下半身の聖剣を切り落としてポトフに入れてやるから!!」

 するとそこに、騒ぎを聞きつけた一体のガイコツ兵士が飛び込んできた。


「魔王様、いったい何が……!? 姫様おやめ下さい!」

「うるさい!!」

 アメリアは近くにあった花瓶を手に取ると、止めに入ろうとしたガイコツ兵士のこめかみに向けてフルスイングする。するとクリティカルヒットした花瓶は粉々に砕け散り、ガイコツ兵士の頭は部屋の窓から城外へと吹っ飛んでいった。


「お、落ち着くのだアメリア! まずは茶でも一杯飲んで……」

「飲んでられるかぁ! そもそもあんたが私を拐ったのが悪いんでしょう!?」

「も、者共! であえであえ! 姫がご乱心だ!」


 その後、取り押さえようとするガイコツ兵士八体と魔王の鼻骨が犠牲になったところで、ようやくアメリアの暴走は止まった。

 アメリアの大暴れのせいで室内は荒れに荒れ、ベッドやテーブルはひっくり返り、床には物が散乱している酷い有様である。


「はぁ……はぁ……」

 アメリアは顔を紅潮させ、肩で荒く息をしている。そして疲労のせいか、それとも精神的ショックのせいか、床にペタンと座り込んだ。


「ア、アメリア……。落ち着いたか?」

「落ち着く……わけないでしょうが!!」

 アメリアの投げた鉄製の文鎮が猛スピードで魔王の耳元を通り過ぎ、壁に激突する。


「なんで……なんでよ……。私、ずっと待ってたのに……!!」

 アメリアの目からこぼれ落ちた涙がぽたりとカーペットを濡らすのと、魔王の額を冷や汗が伝ったのは同時であった。

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