十二月十四日  おやすみ 弐

 空木は慰霊碑の前で立ち尽くした。

 寺の者か遺族の者かが花を供え、水受けは澄んでいる。戦勝したといっても無傷で終わるわけではない。半年近くたっても、色褪せない傷跡だ。線香はとうに灰と化していたが、まだ匂いが残っているように周りの空気は重い。

 教師になるために通った母校のほど近くにある墓地は昼過ぎということもあり、人影はなかった。初めて来たが、さみしい場所だと空木は思う。

 慰霊碑の横に立つ石盤には、戦没者の名前が並んでいる。

 水桶を置いた空木は顔もわからない人の名前を順に読んでいった。わかっていたはずなのに、あってほしくないと願っていた名前を見つける。また、何かが崩れ落ちた気がした。

 じっと眺めていても名前が消えるわけでもない。持ってきた花を仲間に入れてやり、寒かろうとかける水は少しだけにした。線香に火をともし、手を振って熱だけを残す。

 風もないのに、煙は揺れていた。

 少しだけそれを眺めた空木は積もった灰の上に線香を置く。細く息を吐き、頭を空にしてから両手を合わせた。一拍だけ時間をおいて、すぐに両手を離す。膝を折ったまま上を見上げれば、血の通わない石に見下ろされた。

 『戦没者慰霊碑』は心の拠り所になるのだろうか。霊はいるのだろうか。残された者の自己満足ではないのか。自分が立てたわけでもないのに、空木は自問を繰り返す。

 煙は風にさらされ、どんどん消えていった。


「何処で亡くなったのでしょうね。……寒くはありませんか?」


 たった一人でたたずむ空木は戦地で散った学友へ問いかけてみた。予想通り、期待は実現しない。

 終戦間際に聞いた彼の人の知らせは、多くの情報を持っていなかった。

 年が開ける前に、北の大地で亡くなった、らしい。家族なら詳しいことを知っているかもしれないが、縁も面識もない。世話になったからと言って、ただの学友が訪ねるのも気が引けた。正直、どんな顔をして会えばいいのかとわからない。

 ただの学友だ。彼にとっても空木にとってもそうだっと思う。入学式で出会い、同じ図書委員をしていただけだ。男女で組を分けられていたし、後ろ指をさされるのが嫌で距離は取っていた。

 終戦から遅れて帰ってきた手紙と桜の花弁だけが唯一残された繋がりだ。

 桜の花弁を十枚集めたら願い事が叶う。入学式の日に浮かれていた空木はつい試してしまった。子供だましだとわかっていても、ひらりふわりとかわされる花を捕まえるのは至難の技だ。その間抜けな様を見られ、穏やかに笑った彼は桜の花弁を十枚集めてみせた。

 手紙では、空木との思い出はズルをしたのだと明かされていた。戦地で咲く桜を相手に、自力で集めた十枚を送ってくれた彼はどういった気持ちだったのだろう。

 もう確かめられない事実は空木の目頭を熱くするには十分な理由だ。

 白い欠片が舞い落ちる。思い出にひたるばかりではなく、幻まで見始めたかと空木は自分に呆れた。

 白い欠片が頬で溶ける。

 雪だ。


「冬に桜はないか」


 溶けた雪が頬を伝い、光る一筋を作る。やわらかく突き刺さる冷気が心地いい。それに生を感じた空木は涙をこぼした。少しだけ、と空木はそれを許す。

 雪は静かに降っていた。



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