25 悪魔と取り引き。


 私の透明な棺桶は、我が家の魔法訓練広間の奥の壁際に置いてあった。

 まるで、ここはそのための場所のようにも見えてしまう。

 私の棺桶を飾る場所。青白い我が家が、派手な墓の中に思えてしまった。


「……エグジ? アルテ? スク?」


 私は弟子達の名を呼ぶ。

 しかし、静まり返った我が家から、返事はない。

 立ち上がろうとした私は、倒れた。

「べふっ!」と声を漏らす。

 まるで、生まれたての小鹿が立ち上がろうとして失敗したみたい。

 いや、きっと生まれたてなのだろう。


「お肌、赤ちゃん肌みたい……ぷるつや」


 頬に手を当てて、その心地よさを味わう。

 いや、そんな場合ではない。


「全く、十年前に私は不老不死の薬に何を入れたんだ……?」


 あいにく泥酔していたので、レシピは覚えてないのだ。

 魔導書に、書き留めてもいない。


「思い付きで若返るような効果のあるものを入れたとか? ありえる……」


 泥酔しているにも関わらず、思い付きで入れたに違いないだろう。


「ぴちぴちの十六歳ならまだしも……絶対に十歳とかそこらでしょ」


 十六歳なら自分の理想の若返り。

 でもこれは若返りすぎ。もはや、幼女じゃないか。


「絶対に手元狂ったな……いや、不安定なのか? なんで十年越しに効果が出てきたんだ? んー……本当に何入れたんだ! 私ってば!」


 ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。

 キラキラな黄金色の金髪が踊るように揺れる。


「自分で飲んだのが間違いだ……なんで飲んだかなぁー」


 はぁーっと大きなため息をつく。


「そのせいで、弟子と友人を悲しませた……」


 私は、一度死んだ。

 弟子と友人に看取られた。

 泣きじゃくる弟子達がどんな苦しみを味わったか。

 きっと私よりも、つらかったに決まっている。


「謝らなくちゃ」


 再び立ち上がる。よろっとしながらも、私は歩き出す。

 ブラウス一枚という姿。しょうがない。服が大きすぎる。

 ズボンとローブを抱えて、左の扉を押し開けて、廊下を進む。


「エグジ? エラン?」


 一番弟子エグジの部屋をノックした。

 しかし返答はない。開けてみても、ものけの殻。

 守護獣のエランがいないのだ。きっと留守。

 私は隣の自分の部屋に入る。

 ズボンとローブを放り投げたあと、念のため研究室とダイニングルームを覗いた。

 ここにも、弟子の姿はない。


「アルテ?」


 二番弟子アルテの部屋を覗く。

 彼女もいない。


「スクリタ?」


 三番弟子スクリタの部屋も覗いでみた。

 しかし、やはり弟子達はいない。

 どこかに出掛けてしまったのか。


「……みっともない。着替えるか」


 とりあえず、ブラウス一枚の姿ではみっともない。

 自分の部屋に戻って、着替えることにした。

 十年前まで着ていたキャミソールワンピースを着る。

 ミニスカートなので、全然着てなかった。まさか十年経って着るとは。

 ちょうどいいサイズになるので、取っといてよかった。

 十月と言う寒くなる時期なので、カーディガンを羽織る。


「私の杖はどこだ?」


 白い木の柄と深紅の石をはめ込んだ杖がない。

 もしかして、私が死んだから、誰かが受け継いだのだろうか。

 多分、エグジだろうな。弟子の中で、杖を使うのは、エグジだけだ。

 まぁ、今あっても、重いだけか。


「ここにいないなら、きっとキャロッテステッレ国の城ね。ジェフにも会いに行こう」


 パチンッと指を鳴らして、転移魔法と使おうとした。

 しかし、グラッと揺れるだけ。何も起きない。


「んん?」


 もう一度、指をパッチンと鳴らす。

 しかし、魔力が渦巻いては、静まるだけ。


「どうなってる? 魔力が……。回復していない、のか?」


 身体の中で、死に逝くのを感じていた。

 魔力も、徐々に失われていっていた。

 一度死を迎えなければいけなかったのだろう。

 そして身体を再構築して、不死の者として、誕生した。

 破壊して創造したのだ。

 身体が作られたばかり。

 魔力もきっと徐々に戻るだろう。


「今の私は、転移魔法もろくに使えない子どもか」


 額に手を当てて、はぁーっとため息をつく。


「んー……」


 私は自分のベッドに腰を下ろして、腕を組んで考え込んだ。


「このまま誰か帰ってくるのを待つか……」


 いつ帰ってくるか、わからないもんなぁー。


「やっぱり行こう。魔法が使えそうなら、使って城に行けばいいし」


 思い立ったが吉日。

 すぐ行動がモットーな私は、ベッドを飛び降りて、向かうことにした。

 キャロッテステッレ国の城へ。

 この小さな足で、歩いていく。

 大きなキャロッテステッレ国の最果てに位置しているが、何かしていないと気が済まない。

 歩いていき、転移魔法が使えそうになったら、使って城へ移動すればいいのだ。

 先ずは、靴を用意しなけば。

 そう言えば、アルテの足は小さかった。アルテのブーツを借りよう。

 ちょっとぶかっとしたが、私のよりはマシなので、これに決めた。

 それから、研究室に行って、あるだけの魔法薬をポーチに詰める。

 爆発の薬から、体力回復の薬まで。

 魔力回復薬だけがないが、十年前に常備していたアイテムだ。

 弱かったあの頃は、こういうアイテムを使っていたっけ。

 レベル50までは。今の私は、せいぜいレベル1だろうか。

 魔力がまともに使えないのだ。むしろレベル0かも。

 投げるだけで発動する魔法薬を持って行って、損はないだろう。

 自己防衛はしておくべきだ。魔法壁も作れないもんなぁ。

 裸で出歩いている気分だ。

 私は神秘的な青白い我が家を見回したあと、玄関の扉を押し開けて、出発した。

 我が家は地面に大きな大きな穴を空け、そしてその地面の岩を使って建てたのだ。

 周辺は階段がある。それを登るのは一苦労した。

 なんせ、生まれたてなのだ。体力がない。

 

「ふへー……つかりた」


 身体能力を強化する魔法が使いたいが、あれは高度な方の魔法だ。

 難しいだろう。今の私では。


「……はぁー。会えたとしても、私だってわかるかしら」


 こんな弱々しくなった私を、私だと認識してくれるだろうか。

 ちょっと心配になってきてしまった。

 とにかく。神殿のような我が家に手を振ってから、私はたまに買い出しに訪れる一番近い街を目指して歩き出す。

 そうしようとしたが、目の前に黒い煙が広がっていく。

 にんまりと笑う猫みたいな顔した青年が、立ちはだかった。

 闘牛のような角を生やしていて、耳は尖っている。

 マントは靄のように揺らめく。


「悪魔?」

「やぁ、天才魔術師リリカ」


 愉快そうに笑みをさらに歪めて、しゃがみ覗き込む悪魔。

 瘴気が立ち上る崖に、悪魔が住んでいるとは聞いたことがあった。

 会うのは、初めてだ。


「あれ? 覚えてない? まぁ呂律が回らないほど泥酔してたもんねー」


 いや、どうやら初めて会ったわけじゃないらしい。


「泥酔って……まさか十年前?」

「そうだよ。あれは十年と三十日と三日前の夜のことだった」


 懐かしそうに大きな猫目を細めた悪魔。


「……泥酔した私は、あなたに何を願ったの?」

「にゃはははっ。それも覚えていないんだぁ?」


 この世界で、悪魔は願いを叶える存在だ。しかし、その引き換えは大きい。

 悪魔の気まぐれ次第で、叶えた代償は破滅や死に直結することがある。

 太古の昔に、その悪行のせいで、勇者一行にある崖へ追い込まれた。

 それ以来、瘴気が立ち上る崖に引きこもっていて、普通の人は入れない。

 だから、今は気まぐれ悪魔に願いごとを頼むおバカはいなくなっていた。

 そう聞いていたのに、どうやら泥酔した私は、そのおバカになったようだ。


「お酒の飲みすぎよくない。泥酔だめ。絶対」

「そうだね、だめだねー。お酒飲まないからわからないけど」


 にっこにこと笑う悪魔は、全然理解していなかった。

 崖にお酒があるわけないもんね。


「それで、私は何を願って、何を代償に支払ったの?」


 不老不死の薬の完成、なんて願ったわけではないだろう。

 そんな他力本願ではないはず。

 すると、悪魔は私を持ち上げた。

 魔法壁を仕込んでいないので、無防備な私は軽々と持ち上げられる。


「願いは、若返る効果のある材料の所在」


 片腕で、右肩に乗せられた。

 おお、高い。


「代償は、完成した薬を飲むこと」


 なんて!?


「正気なの!?」

「いやいや、君の方が正気じゃないだろう? 泥酔したまま不老不死の薬を作るなんてね」

「それを飲ませるのも正気じゃない!」

「面白そうだったからね!」


 ケラケラと笑い出す悪魔の闘牛みたいな角を掴み、精一杯に振り回した。


「これが悪魔か! なんで泥酔した私は承諾したの!?」

「いや、ぴちぴちに若返るならサイコーとか言って、心から承諾してたよ?」

「私なら言いそう!!」


 泥酔していたからこそ、きっと私はぴちぴちに若返るなら飲んでもいいと思い立ったに違いない。

 それでも、悪魔の角を振り回し続けた。


「この悪魔め! よくも泥酔した私をもてあそんだな!」

「だって暇だったんだもん。人間が不老不死になる薬を作るために、若返る効果を入れる材料を探しに来たんだ。この上なく、楽しい時間だったよ。泥酔しているのに瘴気から身を守る魔法を保ちつつ、呂律が回らないのに不老不死の薬を作るレシピを語ってくれた。君を見るのが、ここ十年の唯一の楽しみだったよ」

「監視してたの!? くそ! 見られていたなんて気付かなかった!! 悔しい!!」


 この天才魔術師様を監視なんて、天才的な覗き魔だ。


「にゃはははっ。君は失敗したなんて言うから、てっきりそうだと思ったよ。でも君が倒れてエルフの弟子が回復出来ないし、死んだあとも魔王が蘇生の魔法を使って弾かれたのを見て、何か起こるなぁーって気付いた。ちょうど君と会って十年目の日だ。きっと効果が発揮されたんだってわかったよ」


 私はようやく角を振り回すことをやめた。


「魔王が蘇生の魔法? 何それ? シャンテが私をアンデットにしようとしたってこと?」


 魔王は、シャンテのはず。

 死者の蘇生の魔法は、人をアンデットにしてしまう。

 アンデットは、魔物のしもべ。言いなりとなるのだ。

 なんでそんなことを……。


「見物だったよー? にゃはは。ぶちゅってしてたよ」

「……何? ぶちゅって?」

「ちゅー」

「ちゅー? ……キスしたってこと!? シャンテが!? 私に!?」


 ぶちゅーっと唇と突き出す悪魔から、とんでもないことを聞いてしまった。


「蘇生の魔法を体内に吹き込むための行為だよ。……多分」

「まぁそうだね、その方が早く効きそうだもんねー。でも弾いたのでしょう? 効かなかった」

「うん。正確には死んでなかったからだ」

「その通り。私はレシピを言ってたんでしょう? 教えて」


 厳密に私の身体に起きていることを調べられると思う。

 レシピさえ思い出せば。

 すると、また笑う猫みたいに、悪魔はにんまりと深く笑った。


「教えてほしい? それが願い?」

「……さっきまでベラベラ喋ってたのに? いきなり取り引きするの?」


 私は何か目論んでいると、じとりと睨んだ。


「さぁ、教えてほしいなら、要求を呑んでもらおうか!?」

「んーいいや」

「いいの!?」


 首を横に振っておく。


「レシピは自分の症状と身体を調べれば、導き出せるはずだし、だいたい悪魔に願うほどの代償を背負うことないもの。今背負うと厄介そうだし」

「そんなぁ、吾輩の要求は些細だよ?」


 大きな猫目で、うるうると見つめて来たが、私に通用しない。


「それで。あなたは一体どこに向かってるの? 私を運んで」

「街に行くんだろう? 運んであげる。お喋りしたかったし」

「それは助かるわ。でも悪魔って、街に入っちゃいけないんじゃなかった?」

「うん。だから街の入り口まで」


 悪魔が崖に引きこもっている理由は、街や村に入ってはいけないと決められているからだ。

 人々と取り引きをさせないため。悪魔にも悪事を働かせないためだ。

 運んでくれると言うので、私はこのまま運ばせてもらうことにした。


「……ちょっと待って。あなた、十年と三十日前だって言った?」

「いいや、十年と三十日と三日前って言った」

「私、一ヶ月も寝てたの!?」


 声を上げたら、お腹の虫が鳴る。

 きっと、私は空腹だ。

 ううん、それよりも。


「早く弟子に会わなくちゃ」

「その願いは叶えられないよ? 吾輩は街にも城にも入れないからね」

「わかってるよ……魔力が回復次第、城に行くわ」


 街の手前まで送り届けてもらった。


「じゃーあ、またねー天才魔術師リリカー」


 ふんわりと煙のようにマントから身体を消して、くるりと笑みを浮かべた顔を最後に消して、悪魔はいなくなる。

 本当に、不思議な国の笑う猫みたいな顔をする悪魔だった。



 

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