寒風吹きすさぶ冬の朝、キミの笑顔は眩しく輝く

 早朝の冷気が、肌に突き刺さる。


 一陣の風が吹きつけて、思わず首をすくめながら、マフラーを巻いて来ればよかったと後悔した。季節はもう、秋から冬に様変わりしつつある。


 最寄り駅から僕の通う高校までは、徒歩で約十五分といったところか。駅前の、さして長くもない商店街を通り抜けると、その先には小高い丘に沿った坂道がある。この坂を登りきった突き当たりが高校だ。


 坂はそこそこ勾配があって、そのくせ結構な距離がある。毎朝眠い目を擦りながらえっちらおっちら登らないといけないから、生徒たちにも評判が悪い。特に遅刻しそうになった時なんか、目の前にそびえる急坂に絶望的な気分になる。


 僕なんかは徒歩だからまだ良い方で、自転車で通う連中にはなかなかの苦行だろう。でも彼らには自転車通学者の意地があるのか、絶対に足をつかずに登ろうとしてはふらついてることも多い。ああいうのを見ると、素直に自転車を降りて押して歩けば良いのに、と思う。


 おまけにこれからの季節は、たまに吹きつける風に震えながらになるから堪らない。僕はせめて首筋を守るように、肩を怒らせながら坂を登る。


 ここまで来れば周りに見かけるのは、同じ高校の制服に身を包んだ男女たちばかりだ。でも幸か不幸か僕は友人知人が多いとは言えず、道行く生徒たちの中に見知った顔を見かけない。


 だが今朝は違った。


 数歩先を行く女子生徒に、どことなく見覚えがある。僕より多分少しばかり背の低い、細身の後ろ姿。ストレートの黒髪は、首にかけた赤いマフラーの下からも毛先が覗く。そして右肩にだけ引っ掛けた、やや大きめなデイパック。


 もしかしたらと思った矢先、彼女に向かってよろめく自転車が見えた。


 ──危ない! ──


 そこで咄嗟に自転車から彼女を守ることが出来れば良いのだが、僕の反射神経はすこぶる鈍い。だが僕の心配は、幸いにして杞憂に終わった。


 彼女は自転車の接近に気づくや、すかさず右肩のデイパックでガードしてみせたのだ。自転車を運転してた男子生徒は「いてえっ!」と叫んでたから、きっと中には相当量のテキストなりなんなりが詰まってるのだろう。おそらくそれなりのダメージを負った男子生徒を、彼女が「危ないでしょ!」と言いながら手にしたデイパックで押し返す。弾みで自転車はさらにふらふらしながら離れていく。


 あの華奢な体つきで見事な身のこなし、川島かわしま望子みこに間違いない。


 僕が確信したのと、デイパックを引っ掛け直した彼女と目があったのは、ほぼ同時だった。


「あれ。あんた、確か」


 どうやら彼女は僕の顔を覚えていてくれたようだが、名前までは知らないはずだ。


石田いしだです。おはよう、川島さん。朝からさすがのデイパック捌きだった」

「デイパック捌きって、何それ。そういえばあんた、なんで私の名前知ってんの」

「そりゃあまあ、川島さんは有名人だからな」


 これは本当だ。友人が多いとは口が裂けても言えない僕だが、その数少ない友人から彼女の存在は聞き及んでいた。クラスや学年の女子で誰が一番可愛いかという、よくある男子トークの中で、川島望子みこの名前は必ず挙がる。


 さすがに面と向かってそう告げるつもりはないが、多分川島はそう噂されていることを自覚しているタイプだと思う。だって僕の言葉を不審がりもせず、そりゃまあそうかという顔で納得しているのだから。


「それにまあ、花田はなだからよく聞くし」


 僕がその名を口にすると、川島は途端にげんなりした顔を見せた。毎日丁寧に手入れしているのだろう形の良い眉が、露骨にひそむ。


「ああ、そっか。リュウと同じ文芸部なんだっけ」

「そんなに嫌そうな顔しなくても」

「ごめん。石田が嫌なんじゃなくって、リュウのせいだから。許して」


 花田りゅうと川島は、いわゆる幼馴染みだ。といってもイチャラブ恋愛小説みたいな甘ったるい関係ではないらしい。花田は川島のことを「外面にステータス全振りの凶暴女」と毛嫌いしているし、それは川島も同様であることをつい最近知ったばかりだ。


「あんなのが同じ部員って、石田も大変でしょ」


 もっとも毛嫌いとまではいかなくとも、花田に辟易とさせられているのは僕も同じだから、どちらかといえば川島の方に共感する。


「まあ、川島さんほどではないけど。大概振り回されてる」

「だよねえ。まあでも、中学時代に比べれば随分とマシになったと思うよ」

「中学生の頃はもっと酷かったのか……」


 僕と川島は、そのままなんとなく並びながら、高校へと続く坂を登り始めた。


 女子生徒と喋りながら登校するなんて生まれて初めての経験だったし、ましてや見るからに陽キャで可愛い川島が相手なのだから、僕はもう少し緊張してもおかしくなかった。そうならずに済んだのは、僕たちの共通の話題が花田だったからだろう。お互いあいつには苦労させられているつもりだから、なんとなく話が合うのは自然な成り行きだった。


 花田の存在が初めて役に立った、記念すべき瞬間と言えるかもしれない。


 川島も花田に関する愚痴なら、僕にも気安く話せると踏んだのだろう。彼女はせっかくの可愛らしい顔を思い切りしかめながら、かつての花田の行状を語り出した。


「中学の時は、いろんな部活に入っては騒動起こして、追い出されたかと思ったらまた別の部活に入ってまた騒動の繰り返しだったから」


 その説明だけで僕はもうお腹いっぱいで、ゲップが出そうな気分になる。


「何をやらかしたのか、聞きたいような聞きたくないような」

「聞いてもらおうじゃない。あいつ、最初は野球部に入ったんだよね」

「野球部って、まさかの体育会系?」

「リュウはちっさい頃は、結構運動得意だったんだよ。でもあの性格でしょ? 入部した途端、『俺がこの野球部を甲子園に連れてってやる!』とか言い出してさ。甲子園は高校野球だって、当然周りから突っ込まれるわけ。それで引き下がればいいんだけど、そしたらあいつ何を勘違いしたか『諦めるな、俺に任せろ』とか言って、協会だかなんだかに突撃しようとしたの。『中学生にも甲子園を目指す権利はある!』とか、意味わかんないよね」


 それを言い出したときの花田のドヤ顔と、周囲の困惑した顔ぶれが、僕には容易に想像ついてしまう。


「そのときの私、野球部のマネージャーやってたからさ。本当に最悪だったわ」

「……そいつはご愁傷様。心から同情するよ」


 僕は本心から彼女にそう告げた。彼女自身には何の責任もないにせよ、きっと花田と幼馴染みということは知られていただろうし、居心地が悪いどころか針のむしろだったに違いない。


「そんなわけで、これ以上迷惑かけるなってことで野球部を追い出されて。そしたら次はサッカー部やバスケ部、ラグビー部とか、色々と渡り歩いては似たようなことしてやっぱり追い出されて。運動部からは一通りNG喰らっておとなしくなるかと思ったら、今度は『俺の才能は汗臭いスポーツじゃなく、芸術で花開かせるべきだと思う』とか言い出して」

「その調子だと次は美術部辺りか」

「よくわかったね。でも落ち着きのない奴だから、何時間もカンバス睨んで絵を描き続けるとか、出来るわけないの。すぐ動き回るわ、色んなもん蹴躓けつまづくわぶっ壊すわで、美術部も早々にクビ」

「他の文化系も……」

「文化系の方はもう、途中で入部そのものを断られてたね」

「それは賢明だな」


 運動部がいい迷惑を被っている間に、文化系部員の間では既に危機が共有されていたのだろう、と僕は想像した。しかし自業自得とはいえ、あらゆる部活動から拒絶されたというなら、さすがの花田もへこたれただろうと少々同情する。


 しかし川島は顔の前で、それこそでっかい窓ガラスを雑巾がけするときのように左右に大きく手を振って、否定した。


「あのリュウが、そんなわけあると思う?」


 彼女の言う通り、へこたれる花田の姿が想像つかなかったのは否定できない。


「リュウの奴、あんまり色んな部活から邪険にされるの、むしろ楽しんでたからね。何かにつけて『そんなこと言うと、今日はお前の部活に入部しにいくぞ!』とか言い返すもんだから、最後の方は花田注意報とか出回る始末だし」

「あいつのメンタルは鋼かダイヤモンドでも出来てるのか」

「それで、みんなどうしようもなくなると、最後は私のとこに来るんだ……」


 そう吐き出した川島は、まだ学校にたどり着いてもいない登校途中だというのに、既に人生そのものに疲れ切ったような表情を見せた。そして間もなく坂を登り切って校門が見えるというところで、ついに足を止めて俯き出してしまった。もしかしたら当時の辛さを思い出したのだろうか。こんなところで泣き出すのではないかと、僕もさすがに気を揉んで彼女の顔を覗き込もうとしたところ――


「『お前、幼馴染みなんだからなんとかしてくれ』って、私はあいつの親でも保護者でもなんでもねーっての! あいつに困らされてるのは私も同じだっての! なのにどいつもこいつも私に押しつけて、いい加減にしろっての!」


 いきなり顔を上げた川島は、寒空に向かって、思いの丈を叫び放った。


 よほど溜め込んでいた想いが、僕との会話――といってもほとんど川島が喋っているばかりだったが――によって沸々と思い返されてしまったのだろうか。登校途中であることなどお構いなしの叫びは、テレビ番組で見たことのある若者の主張コーナーなんぞよりはるかに切実で――というか、はっきり言ってとんでもない大声だった。


 だから周囲の生徒たちは当然驚いて、僕たちに向けて奇異の視線を向けている。しかも唐突に叫んだのは校内でも名の知れた美少女となると、一緒にいてあたふたしている僕は、見るからに怪しいと思われても仕方ないシチュエーションだ。


 ――違う、違うぞ。彼女の叫びは僕のせいじゃない。全部、花田が悪いんだ。だからみんな、僕を非難するような視線を向けるのはやめてくれ。誤解だ、僕は何もしていない。むしろこの場においては被害者と言っていい――


 背中に嫌な汗が滲み出す。周囲の白々とした目に晒されて、僕が引き攣り笑いで誤魔化していると、不意に両手をぐいと引っ張られた。


「だから石田には、ホンットに感謝してる」


 僕の両手を自身の手で挟み込んで、先ほどまでの苦渋に満ちた表情が嘘のように両目にキラキラした光まで湛えながら、川島はようやくその顔立ちに相応しいとびきりの笑顔でこちらを覗き込んでいる。


 いったい今までの話の流れから、何がどうなって僕が感謝されるのか。さっぱり理解できない僕は、川島の掌の少しひんやりとした感触にどぎまぎしながら、目をしばたたかせるしかない。


「中学であれだけ部活を荒らしまくってたリュウが、高校で文芸部を辞めずに続けてるのは、きっと石田がいるからなの。あの奇人変人の相手が出来るのは、石田しかいない。お陰で私の高校生活は、今んとこ平穏無事、順調そのもの」


 それはなんだか釈然としないけど、どうやら川島は本気で言っているらしいので、僕は余計な茶々を入れないで素直に感謝を受け容れることにした。


「あ、ああ、そういうこと。そいつは良かった」

「私の平和な高校生活は石田にかかってる。だから卒業まで、お願いだからリュウの面倒見てやって!」


 この子、サラリととんでもないことをお願いしてきたぞ。しかも必死な表情で大きな瞳を少しばかり潤ませるところなんか、さすが自分の可愛さを自覚している女子はあざとい。


「こんなこと頼めるの、石田しかいないんだよ」


 まるで長年の親友に頼むような顔をしているが、僕が川島と口をきくのは今日でまだ二回目だ。押し切られてはいけないと思いつつ、女子との接触経験が乏しい僕には川島の懇願を断れるはずもなかった。


「まあ、あいつが文芸部にいる間なら」という回答は、僕にしては精一杯の条件付きだ。多分あんまり意味がないとは思うけど。


「サンキュー、石田! じゃあリュウのこと、後は任せたよ!」


 僕の返事を聞いた川島は満面の笑顔を浮かべると、そう言って手を振りながら校門に向かって駆け出していった。その姿がまた絵になるなあと変なところで感心しながら、一人取り残された僕はふと我に返る。


 つまり僕は、体よく花田の世話を押しつけられたということか。聞き間違いようのない川島の願いを一字一句振り返って、今度は僕の眉間に皺が寄っていることだろう。それにしてもなんというマイペースぶり。さすが花田の幼馴染みだけあると言ったらきっと冗談じゃないと嫌がるだろうが、僕にはそうとしか思えなかった。


 マフラーを巻いてない首筋がなんだか嫌にヒヤリと感じたのは、きっと初冬の訪れを意味するものだと、僕はひとり自分にそう言い聞かせるしかなかったのである。


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