第25話、表面的にはわからないまでも、何かに怒っていたと言うのならば



それから、柾美を迎えに行くことを豊に話して。

そこに一仕事終えた? 香澄も加わり、三人で柾美を迎えに行くことにした。

もう、すっかり日は暮れていて。

普段ならとっくの間に帰途についている時間帯。


旧体育館のあるクラブ棟とも、教室のある教義棟とも離れた場所にある図書室は、

教義棟にある図書館とは別に、学習室が併設されているプレハブの建物の中にあった。


受験勉強が締めを迎える秋頃にでもなればこの時間帯でも賑わっている場所なのだが、時期外れの今は、そこへ向かうものも帰るものも、晃たち以外にはいなかった。



「……ところで、自主練というのは?」


その道すがら、晃はふと疑問に思っていたことを口にする。

「ナニナニ~?トヤちゃんってば柾美ちゃんのコトが気になるのかい?しかしっ、残念だったな!彼女にはオレという心に決めた人が……とうっ!」


ひゅんっ、ごすっ!


「ぐほっ」


あれほど目の当たりにし、学習していたはずなのに。

華麗にかわした豊を脇目に、気付けば香澄の裏拳は晃の横っ腹に炸裂していた。


「ああっ!? ご、ごめんなさいっ!」

「い、いや、平気……」


上手く避ける豊がにくいのか。

避けられない晃がどんくさいだけなのか。

あの本の世界で遭った蛸の魔物から受けた一撃よりよっぽどど効いたぜ、などとは言えず。

曖昧な笑みで誤魔化す晃。


「よけるな、この馬鹿っ!」

「へっへ~ん。つかまえてごらんなさーい。愛しのボクの元へーっ」


再び腕を振り上げる香澄をからかうようにヘラヘラと駆け出す豊。

流石、上手い逃げ方だなと密かに感心する晃だったけれど。


「晃さん、聞いてないんですか? 柾美さんのこと?」


切り替えるように発せられた香澄の言葉内には、どこか深刻そうな雰囲気があって。


「……? 彼女に何かあるのか?」


先を促すように晃が問いかけると、香澄はしばらく迷った後、重々しく頷いて、


「晃さんなら大丈夫かな。まぁ、演劇部のみんなは知ってることではあるんですけど、実は彼女、感情が欠落……っていうとちょっとおおげさかもしれませんけど、うまく感情が表せないらしいんです」

「……」


雰囲気通りの、へビィな香澄の言葉。

豊が気を使って席をはずした理由がよく分かるくらいに。


「感情が欠落? 別にそんな風には……いや、待てよ」


言われてみれば、確かに思い当たる節があった。

笑顔などは、とても自然なのに。

それ以外の感情を見せるときに、何かを考えて固まっているような、そんな表情を見せていたことを。


「そう言えば、柾美さんが泣いたところや怒ったところを、見た記憶はないな」


まだまともに会話を交わしてそれほど経っているわけでもないし、泣く機会も怒る機会も、そうそうあるものでもないだろうけど。


「よく見ていますね。そうです。柾美さんは喜怒哀楽のうちの二つ、怒と哀を上手く表わせないそうなんです」


晃の考えと言葉に頷く香澄。

しかし、そうなってくるとさらに新たな疑問が浮かんでくる。


「一体何故、そんなことに?」


それに関しては、おいそれと聞いていいものでもない気はしたけれど。

案の定、香澄は首を横に振った。


「その辺りは私たちもよく知らないんです。ただ噂では、柾美さんの両親がいないことが原因らしいですけど」


またしても初めて耳にする、柾美のこと。

いないとは、亡くなったからいないのか、それとも別の意味なのか。

それこそ聞いてどうにかなるものでもないだろうが。


そんな事を考えている間に、香澄は再び気を取り直すようにして言葉を続ける。


「それでですね、柾美さん本人はその事を取り立てて大事だとは思ってないみたいなんですけど、演劇部に所属する身としては大事なんですよね、これが」


大きく分けて四つある感情のうち、二つがまともに表現できない。

それは、生きていくには周りがフォローすればなんとかなることなのかもしれないけれど。

演じる、となれば流石にそうはいかないだろう。


「一年期待のエースだって聞いてはいたがな」

「期待のエースですよ。私なんか到底足元に及ばないくらい。だけど、今の演劇で評価されるのは悲劇なんです」


言われて理解する、演ずるものにとっての大事。

喜劇だけで頂点は取れない。

それは、ここ数年の関東大会、全国大会に如実に現れていて。

頂点を目指すならば悲劇の枠から外れられないことはもはや常識、と言ってもよかった。


「だから柾美さんは自主練をしているんです。泣くこと、怒ること、それを目や耳で感じて覚えるために。そんな努力をされたら私たちだって全力で全国を目指すしかないじゃないですか。そう言う意味でも、柾美さんは演劇部のエースですね」


その言葉に強い意志を込め、微笑む香澄。

今更ながらそんな事も知りもせずに自己欺瞞も甚だしい上っ面の評価をしていた自分が恥ずかしくなってくる晃。


「軽率だったな。……重ね重ねすまない」

「だから、そこで謝っちゃったらダメなんですって。まだまだなのは重々承知してます。それをふまえてポジティブになれるセリフ、お願いしますよ? 私のやる気が出るようなのを」


言葉通り前向きにまとめる香澄。

しかし、気の利いた言葉の一つも出てこない晃は、余計に申し訳なくなるばかりで。



「ま、それはこれからに期待ってことで。それより晃さん、今思い出したんですけど柾美さんに何かしたんですか? 随分と怒っていたみたいですけど」


そんな晃を察して話題を変えてくれる香澄に、晃は気遣いを感じずにはいられなかったけれど。

それと同時に、また浮かんでくる疑問。


「怒っていた?」

「ええ。まぁ、表情の上では変わらないんですけどね。結構分かるものなんですよ、これが」


返ってくる答えは、たとえ感情がうまく表現できなくてもちゃんとそれを受け取ることができることを誇りに思っていることがよく分かって。


「と言うか、その原因は俺なのか?」

「はい、それはもう。覚悟しておいたほうがいいんじゃないですかね。あんな柾美さん、私初めて見ましたから。存外、晃さんもやりますね」

「……う~む」


打って変わって意地悪そうな香澄の笑み。

そこはかとない不安が晃をよぎって。

仏頂面のまま、晃は足取り軽く図書室へと向かう香澄の後を追うのだった……。



             (第26話につづく)






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