第十八話 兄に殺された妹が遺した想い

「お前そっちな」

「うん」


 ジャン=ポール・エヴァン効果かそれとも俺に慣れてくれたのか、浩輔は返事をしてくれるようになっていた。大人しく布団に潜り込み、ちらちらと俺を横目で見ている。ばーちゃんみたいなテンションでノリノリな会話とまではいかないが、この数時間で大きな進歩だ。

 けどそれと同時に、俺は金魚屋の女との会話を思い出していた。あれは居酒屋の前で死亡した金魚見た帰りの事だった。


「君の言葉は金魚を殺すのだよ。君に金魚が殺せるかい? 殺せないだろう?」

 女はひどく悲しそうな顔をして笑った。きっとこれは沙耶の時と同じ選択を迫られているのだ。


『殺すかい? それとも殺すかい?』


 殺すしかなかった。

 俺のために出目金となり消える事を選択した沙耶にしてやれるのは、せめて沙耶が望んだように俺が生きる事だけだ。だから俺は金魚屋には頼まずこの手で弔った。

 それでも沙耶を殺したくはなかったし、でももうそれは無理だった。でも浩輔にはそうなってほしくない。妹を犠牲にするなんて、そんな立ち直り方はしてほしくない。

 だから俺はの答えは――


「金魚も人も殺しません。俺は金魚を人に戻します」

「無理だよ。金魚が人に戻る事は無い」

「俺は金魚屋じゃありません。バイトです」

「屁理屈だよ」

「屁理屈も理屈の一つですよ」

「……君のエゴで他人の運命を捻じ曲げるのかい?」


 女は疲れたように息を吐いた。

 俺だって分かってる。そんな事できない。やりたくてもできない。金魚の弔いでも本人の意思を捻じ曲げる事はできなかった。だから俺は運命になんて関わる事はできない。


「俺にはできません。でも本人が自力で捻じ曲げる事はできます。そのために俺は選択肢を作りたい。そうすれば選ぶのは本人です」

「選択肢?」

「あなたは俺に選択させてくれました。沙耶を自分の手で弔う殺すか、あなたに弔って《ころして》もらうか。けどそうなる前にもう一つ選択肢を作ります」


 女は怪訝そうな顔をして、タイムリミットまでなら好きにするがいいよ、と言って俺を突き放したのだった。


 死を悼み続けるのが悪いとは言わない。でも桜子のくれた選択肢想いにも気付いてほしい。そしてそれに気付かなければ浩輔は変われないだろう。

 ふと頭の中に金魚屋の女の姿が浮かぶ。


金魚屋人間にどんな言葉を伝えた?』


 金魚屋が俺に伝えた言葉。

 沙耶に頼まれた、沙耶が死んで良かったと思うように仕向ける言葉と、それを金魚屋に伝えた時の沙耶の言葉。それは金魚屋の想いや考えじゃない。


金魚屋は誰にどんな言葉を伝える?』


 第三者が伝える言葉は桜子の気持ちじゃない。感情を一切含まない『事実』のみだ。そして、俺が語れる『事実』はたった一つだ。


「俺さ、沙耶が憎かったんだ」

「なっ……」

「俺はバイトも勉強も大変なのにあいつは病院で三食昼寝付き。親の遺産なんて無い。沙耶の治療費と家賃で精いっぱいなのにこの先どうしたらいいんだ。誕生日楽しみって、何が? プレゼントが? 馬鹿言うなよ。どっからその金出すんだよ」


 これは事実だ。俺が目をそらしていた俺の出目金恨み


「それでも沙耶が可愛かった。これ以上沙耶を憎みたくなかった」

「だから何だよ。お前は妹より自分が可哀そうだったんだろ!」

「……当時は責任能力は問えない精神状態だったとか言われたんだよ。だから周りはみんな夏生君は悪くない、仕方なかったんだって言いやがる。そんなわけないじゃないか。そんなわけないって自分でも分かってるんだ。でも俺は間違ってない、沙耶の死は俺のせいじゃないって思いたかった」

「それですぐ立ち直ったってのかよ!」

「いてっ!」


 浩輔は布団から跳ね上がり俺に馬乗りになって首を締め上げた。


「不幸自慢して同情買って快適な人生を手に入れて満足なのかよ!」

「沙耶から解放されたいと思ってたのは本当だ。それが全てじゃないけど」

「お前っ!」

「じゃあ何て言って欲しいんだよ! 魔が差したって⁉ 仕方なかったって言えばいいのか⁉ それでお前は納得するのかよ!」


 一瞬怯んだ浩輔を押しのけて、俺は浩輔の胸倉を掴んだ。明らかに揉め事に慣れてないであろう浩輔は俺の声にびくりと怯えた。


「仕方ないなんて保身のための言い訳だ! 周りがそれを言っても俺がそれを言ったら沙耶の死を踏みにじる事になる! だから俺はもう嘘はつかない!」

「……沙耶ちゃんがお前を恨んでてもか」

「沙耶は俺を信じてくれた。俺を好きだって言ってくれた沙耶を俺は信じる」

「都合のいい事言うなよ! 本人に聞かなきゃ分からないだろそんなの!」

「じゃあ恨んでなかったら⁉ 沙耶は俺を愛したまま死んだのに、沙耶が俺を恨んでるって思い込んだら俺が沙耶を憎しみの権化にする事になるんだ!」


 後悔の念を背負っていれば殺した事が愛を理由に許される気がする。反省してると言い聞かせていれば、誰にも赦されなければ、苦しんでいれば沙耶の苦しみと同等でいれば、そうすれば自分の罪が軽くなる気がする。

 でもそんなのは自己満足にすぎない。

 でも沙耶は俺に生きろと言ってくれた。


「俺は自分を慰めるために沙耶を利用したりしない」


 もう二度と。


「俺が桜子を利用してるって言いたいのか」


 浩輔は俺から目をそらした。強く握りしめた拳をガタガタと震わせて、歯の奥もカチカチとぶつかる音がする。俺はスマホを立ち上げ一つの動画を出して見せた。


「これ覚えてるか? 病院のクリスマス会」


 そこには病院の子供を集めたクリスマスの様子が写っていた。

 当然沙耶が写っているわけだが、沙耶が一緒に遊んでいる小さな少女がいた。桜子だ。桜子は浩輔に駆け寄り抱っこしてほしいとせがんでいて、それを見た沙耶が同じ事を俺にせがんできたから抱き上げてやった。だから動画はあらぬ方向を撮影し始めたが、そこから桜子の声が聞こえて来た。


『ちゃく、おにいちゃま大好き!』


 きっと桜子が浩輔に抱っこされたところだろう。浩輔は目に涙を浮かべ、それはぼろぼろと零れ落ちていく。


「桜子がお前を恨んでるかは俺には分からないよ。でもこの言葉は嘘じゃない」


 憎んだり恨んだりなんて生きてりゃ誰だってある。例え身内だろうが恋人だろうが、どれだけ大切でもそういう時はある。


「妹を思い出すなら笑顔がいいだろ」


 浩輔はべたりと畳に膝を付き、わあっと声を上げて泣き出した。行き場のない拳で畳を叩き、どうして、どうして、と叫び続けた。

 俺はこんな風に泣けなかった。沙耶の死から逃げ、沙耶のために何をするわけでも無く周囲を憎み当たり散らしていた。俺の流した涙は全て俺自身のためだったんだ。泣くのならこんな風に妹を想う涙であるべきだった。


「……兄貴だもんな」


 浩輔の背を撫でてやると、俺の手にしがみ付いて泣き続けた。加藤さんやばーちゃんならもっとうまく慰めてやれるんだろうか。

 俺は母親のようにしてやれるわけじゃないけど、怒りや悲しみをぶつける相手になってやるくらいならできる。頼りなげに身体を震わせる浩輔の頭を抱きかかえて、ぽんぽんと背を軽く叩いてやった。しばらくそうしていると少しずつ落ち着いてきた。浩輔の涙は止まらなかったけど、顔を隠すように俺の肩に額を預けながら声を聴かせてくれた。


「……俺がちゃくを殺したんだ……」

「ああ」

「俺が手術しようなんて言わなかったら……ちゃくはまだ生きていられたんだ……」

「そうだ。お前の選択が桜子を殺したんだ」


 ぎゅうっと浩輔は俺の服を掴んだ。その手は震えているけど、こくりと頷いていた。


「けど、沙耶が生きてって言ってくれたから俺は生きる。お前は?」


 俺は鹿目の胸をとんと指差した。いつだったか金魚屋の女にされたのと同じように。


『君の言葉は金魚を殺すのだよ』


 殺さない。

 金魚も人も。

 出目金も。


「……俺も、生きる……」


 浩輔がそう言ったその時だった。

 急に窓の外からするりと一匹の金魚が飛び込んで来て、空中でくるりと前転するとその姿は一人の少年の姿になった。金魚屋の弟だった。

 まさか変身するとは思ってもいなかった俺は声を上げそうになった。けれど金魚の見えない浩輔を前にして騒ぐわけにもいかず必死に声を呑み込んだが、弟はするりと浩輔の肩に触れた。すると浩輔はそれに気付いたようで、がばっと振り返った。


「……桜子?」

「え?」

「桜子! 何で、お前どうして!」

「お、おい! 落ち着け! これは桜子じゃない!」

「桜子だ! 何で⁉」


 どういう事だ。

 俺の目に映っているのは弟だが、まさかこれが桜子に見えているのか。それに今までも周りに金魚はたくさんいたけど浩輔には見えていなかった。なら金魚屋の弟が見えるわけが無い。金魚に憑かれなければ金魚は見えないのに何故、今急に。

 しかしそれは、金魚が憑きさえすれば見えるという事だ。

 ここには金魚がいるじゃないか。


「……まさかお前、憑いたのか?」


 弟はこくんと小さく頷いた。では今浩輔が桜子に見えているのも弟の仕業なのか。

 何故そんな事を弟がするのだろう。

 そんなの、理由は一つだ。


「金魚屋に連れてってくれるのか?」


 弟に手を伸ばし頬に触れると、突如視界が真っ赤に染まった。いや違う。赤い何かが飛び込んできたのだ。


「金魚⁉」 

「な、何だよ、何だよこれ!」


 部屋の中が金魚で埋まった。

 混乱して腰を抜かした浩輔は俺にしがみ付き、何だ、何だ、と震えている。金魚慣れしてる俺もさすがにこれは恐怖を感じる。

 一体何が起きてるんだ。

 逃げ場が無いうえ混乱してまともに動けない浩輔を連れたこの状態で出目金に襲われでもした日には食い殺されて終わりだ。どうしたらいいんだと焦っていると、次第に視界の赤が引いていく。ようやく全ての金魚がいなくなると、そこは俺の部屋では無かった。


「……金魚屋?」

「金魚屋? 何それ。どうなってるの」


 巨大な水槽。これは間違いなく金魚屋だ。

 そしてそこにいたのは。


「ようこそ金魚屋へ。君が来るのを待っていたよ」


 女はいつも通り、演技じみた口調だった。

 そしてその右肩には桜色の金魚が泳いでいた。

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