第7話 異物が起こす波紋


「お前……何しているんだ……?」


 結果的に言えば、イグリットはすぐに見つかった。

 どこで何をしているのかと思えば、彼女は逃げも隠れもせず、食堂で当たり前のように朝食を摂っていた。


 ロールパンを農園エリアで採れた蜂蜜をたっぷりつけて頬張りながら、合成的に作られたミルクを美味しそうに飲んでいる。


 本来ならば、レモラの居場所だった椅子に座って。


 イグリットの予想外の行動に、セタグリスは怒りよりも先に、戸惑いが来てしまう。



「あ、おはようございます御主人様。美味しいですよ、このパン」

「は……? いや、お前……さっき、何があったと思って……」


 テーブルの上には、誰かが収穫してきたであろうサラダや生のフルーツもある。


 それを我が物顔でモリモリと食べている目の前の女が、どれだけ考えても理解が出来ない。


 気付けば、皿の傍には見覚えのある包丁も置かれていた。まさか、というおぞましさが鳥肌となって襲ってくる。


「あぁ、レモラちゃんですか。ビックリですよね~。小さな身体に、あんなおっきな包丁がザックリ刺さっちゃって。でも苦しまずに逝けたみたいですし、本当に良かったです」

「はぁ? なにを……」

「皆に見送ってもらえて……なんて素敵な最期……」

「お前……おまえぇええっ!!」


 遂に怒りが上回ったセタグリスは、衝動的に椅子に座ったままのイグリットに掴みかかった。


 セタグリスの子どもとは思えない剛力で、彼女の華奢な肩がミシリと軋む。普通の女子であれば、突然襲った激痛に泣き叫ぶだろう。


 しかしイグリットは苦痛にもがくこともせず、むしろ恍惚な表情を浮かべて熱い吐息を漏らしていた。


「うっ……!?」

「やんっ」


 あまりの気色悪さに、セタグリスは思わず彼女を突き飛ばす。


 イグリットは椅子ごと床に投げ出された。


 だがそれでもニタァと彼を見上げている姿は――彼に恐怖を覚えさせるほどに異常な有り様だった。



「もしかして御主人様は、私がレモラちゃんを殺めた……そう思っていらっしゃるんですか?」


 床に倒れた衝撃で、彼女のなまめかしい脚にジャムがネットリとついてしまっていた。それを指ですくい取っては口に含み、その甘さにうっとりとしている。


 レモラが死んだことに関して、悲しみも驚きも……興味すらも無い様子だ。


 その態度にセタグリスは怒りが再燃し、彼女を怒鳴りつける。


「ふざけるな!! お前以外に誰がレモラを殺すっていうんだ!!」

「さぁ~? だって私には、レモラちゃんを殺す理由なんて、なぁんにも無いですよね?」


 イグリットは「昨日来たばかりの私が、なぜ?」と首を傾げる。


「……っ!!」


 確かに言う通りである。彼女のセタグリスに対する執着は、もはや異常と言えるだろう。だが、他の子どもたちに関してはほぼ無関心。


 そんな彼女が最も幼いレモラをあんなむごたらしく死に至らしめる必要性なんて無かった。


「……だが、俺たちは家族だ!!」

「家族だからこそ、理由が愛情も、憎しみも生まれることもあるのでは?」

「そんなことは……俺たちに限ってそんなこと!!」


 セタグリスの脳内は混乱していた。なんなのだ、コイツは。こっちは家族を殺され、悲しみ、そして怒っている。


 それなのに、イグリットはまるで理解していない。むしろこっちを煽っているようなふしすらある。



 ……やめよう。


 これ以上、イグリットを責め立ててもレモラは帰ってこない。ましてや、目の前の少女に今までの雛鳥ハーピィたちの苦労を口で説明したところで、到底理解できないものなのだ。


 そう自分に言い聞かせ、どうにか心を鎮めようとする。



「セタ君……」


 こんなことをしている間にも、レモラの葬儀を終えたツィツィが食堂に帰ってきていたようだ。


「ツィツィ。話がある」

「大丈夫? 凄い怒鳴り声が聞こえたけど」

「……あぁ。すまない、取り乱していたんだ」


 紫紺のローブの中で、自分よりも背の小さな姉が小刻みに震えている。黒の瞳は滲んだまま。


 ツィツィは優しい。彼女はここの管理者として、雛鳥の母親として。本当に様々なものを背負っている。


 年長者というだけで、その重圧に必死に抗っているのをセタグリスはずっとそばで見てきた。


 だが彼もまた、そんな彼女に頼ってしまっている。今回の件だってそうだ。



 セタグリスは激しく後悔していた。彼女にこんな顔をさせてしまった自分がどうしようもなく情けなかった。

 自分が今ここで怒りに任せて暴れれば、間違いなく彼女の心を更に乱すだろう。



 ――いったい自分はなんだ?


 スノゥドームの副管理者だろう?

 家族が大事なら、他にやるべきことがあったはずだ。



 セタグリスはようやく、落ち着きを取り戻そうとしていた。



「ツィツィ。対策を立てよう。何者かがこのスノゥドームに紛れ込んでいるかもしれない」

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