◆07 ~ 伝説の剣聖

 その日、信じがたい連絡を受け取った男――ヴァイセフ・リヴォレ中将は、手元の書類を処理しつつ、何度となく時計を気にしていた。


 何度も軍服の襟元を直し、喉を鳴らす。

 歴戦の勇将であり、戦時において師団を率いれば『鬼』とも例えられる彼が、こうも緊張を隠せないのには、無論理由がある。


 それは、先ほど無線によって告げられた、ある来客についてだ。


「閣下。お客様がお着きになられました」


「っ、通せ!」


 椅子から立ち上がり、開かれていく扉を凝視する。

 ――かつて見たときよりも白髪が増えたように見える黒髪。腰には一本の刀。間違いない!


「よく来て下さりました。お目にかかれて光栄です、老師」


「突然の訪問、失礼する」


 それは、伝説に語られる剣豪。

 『剣聖』と大陸に謳われる、唯一の人物。

 曰く、世界最強。

 曰く、単独にして戦車大隊に匹敵――いや凌駕すると情報局が戦力評価した男。


 武を貴ぶ帝国陸軍において、決して無碍に出来ない人物だった。

 失礼にならないようソファーに案内し、彼が座るのを確認してから、自分もまたソファーに腰を下ろす。


 秘書が差し出してくれた茶――老師の趣味に合わせ、予め用意しておいた東方茶である――で唇を湿らせつつ、ヴァイゼフは口を開いた。


「まさか、老師ほどの方に、我が要塞にお越しいただけるとは」


「……旅の道中でな。精強と聞くこちらの訓練を見聞させて頂きに参った」


「ええ、それは是非とも」


 ヴァイゼフ中将の心が躍るのも、当然のことだ。

 伝説と名高き剣聖が、訓練を見学する。士気も上がろうというものだ。自分も参加できないものか、あわよくば手合わせなど――という考えが浮かぶ。


 帝国陸軍というやつは、どいつもこいつも戦闘狂の気質がある。そんな連中にすれば、世界最強の武人など大スターもいいところである。もちろん、自分もそうだ。

 とはいえ、サインなんていう話にはならないが、もし手合わせできたら末代までの自慢話となるだろう。


「旅とおっしゃいましたが、どこまで?」


「帝都まで」


 ほう、とヴァイゼフは相槌をうつ。

 この後即座に、帝都にいる大将閣下や皇帝陛下にお伝えせねば、と思いつつ。


「この時期に帝都ですと……武芸大会ですかな?」


 帝都武芸大会は毎年秋に行われる、双月祭イリオヴァーレの目玉のひとつだ。

 現代戦において戦車や銃といったものが登場し、主役となりつつある今であっても、白兵戦は極めて重要視されている。

 魔法で強化した剣士が、銃を装備した一個小隊に優るのだから当然である。もっとも、それを成しえる者は極めて少数派であるが。

 そういう意味で、軍もまた武芸大会を注視していた。スカウトの場としてだ。

 ギルドや傭兵もそうだろう。あるいは犯罪組織も。


 もし、伝説に謳われる老師が観劇するともなれば――今年の武芸大会はかつてない盛り上がりになるだろう。ヴァイゼフは密かに身震いした。


 しかし……彼が武芸大会を見に来る、などというのは聞いたことがない。

 剣聖といえば、ただひたすらに鍛錬に没頭し、他者に興味を示すことはあまりないと聞いていたが――どういう心境の変化なのだろう。


「なに、あやつもそろそろ来る頃だろうと思ってな」


「あやつ……?」


 ふ、と笑って、老師は茶を啜る。

 まさか、老師が気にしている人物が……? どのような手練れだ?


 結局、老師はそれ以上何も喋りはしなかった。


 その後、老師が手合わせをしてくれることを了承し、小躍りしたヴァイゼフだったが……『老師が気にしている人物』を報告し忘れてしまったのは、果たして吉と出るか凶と出るか。

 今の段階では、誰にも分らないことだった。

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