7. レイン

 劇団に入って二年目の夏。少しずつ、ちょっとした役を貰えるようになってきて、バイトと劇団の忙しい日々を過ごしている。


 咲樹ちゃんは今年から高校生か。どうしてるかな。そろそろ連絡とっても良い頃かな。


 今日、稽古が終わったらメッセージ送ってみようかな。夏休みだろうから、ちょい役で出演する舞台に誘ってみよう。


 稽古場へ向かう途中で急に降りだした夕立から逃げるように、駅に入って水滴を払っていると、覚えのある声が聞こえた。


「また行こうね。こっちに来る予定はまた連絡して。」


 声の主を眺めながら、記憶と結びつける。


『咲樹ちゃん?』


 大人っぽくなった彼女の姿に、記憶の中の彼女と結びつけるのに少し時間がかかった。この状況はデートの帰りに違いない。

 二年前、中学生の彼女に恋をして、時期を見て想いを伝えようと思っていたが、時期を見ている間に他の男に獲られるリスクを考えていなかった。


 咲樹ちゃんは相手の男と一緒に改札を抜ける。声もかけれず、他人のそら似なんじゃないかと自分に言い聞かせる。本人に聞いてみようかとメッセージアプリを開くが、メッセージを送ることはできなかった。


 

 二十歳になり、所属している劇団のみんながお祝いしてくれる。表現することの面白さに没頭し、いろんなお芝居をさせてもらったが、色っぽいシーンがなかなかうまく出来ないことが悩みだ。だいたい、プライベートで色っぽいことを経験していないのだから、どう演じていいかわからない。

 たくさんの映画やドラマ、舞台を見て勉強しても、臨場感のある演技に結び付かないでいた。そんな僕を見かねたのか、先輩が夜のお店に連れて行ってくれた。


 先輩は、嫌なら無理には連れていかないと言ってくれたけれど、色んな経験をしてみたいとお願いした。感じている行き詰まりをどうにか解消する手だてが欲しかった。先輩の話によると、二十歳の童貞率は約四十%で、初体験が風俗店という男は結構いるらしい。(独自調査)。


 ずいぶん昔の時代から、性的サービスは商売として成り立っているわけで、需要があるから供給がある。初恋はきっと失恋だろうし、前に進みたい気持ちで焦っていたのかもしれないが、プロによる性的サービスを受けた僕は、結果として前に進んだ。

 キスの感触とか、肌の触れ合う感じとかを実際に体験したことにより、演技の幅が広がったのだ。ラブシーンも怖がらずに出来るようになり、もちろん脇役ではあるが、舞台などでは重要な役どころでの出演も決まり出した。

 


 その日も雨だった。サブスクで『雨』縛りの選曲を聴きながら駅へ向かう。劇団とは別で、サポートメンバーとして活動しているバンドのリハーサルへ向かうためだ。

 シドの『レイン』に曲が差し掛かったとき駅に着いた。改札を抜けようとICカードをかざしたがゲートが閉まる。

 残高不足だ。

 チャージしようと財布を広げて焦る。お金が無い。

 明日バイト代が入るまでお金が無い。無駄だとは思ったが、切符売り場の隅で財布に入っているものを全て出す。

 もしかしたら折り畳んだお札をどこかに入れているかもしれないという淡い期待は散った。


「矢野さん?何してるんですか?」


 振り返ると、高校の制服姿の咲樹ちゃんが立っていた。やはり、この前見た子は咲樹ちゃんだったと確信する。


「なんか雰囲気変わりましたね。大人の男性って感じがします。声かけるの緊張しちゃいました。」


 笑いかけてくれる彼女に、初恋のトキメキが甦る。平静を装い、会話を返す。


「咲樹ちゃんも、大人っぽくなったね。ギター頑張ってる?彼氏とか出来た?」


 さりげなく彼氏の有無を聞いてみる。自分の中で、もうこの恋は失恋として履歴に残してあったため、答え合わせをしたかった。


「そうですか?矢野さんにそうやって言っていただけると嬉しいです。今、軽音楽部でギター頑張ってます!ほら、これはエレキなんです。矢野さんにもいつか聴いて欲しいなって思ってたんですよ。お忙しそうなのでなかなか・・・。彼氏はまだいないです。矢野さんは?何してるんですか?というか、この状況は?」


 くるっと体を反転させて、背中に背負っているギターを見せる仕草が可愛い。彼女の言葉を聞いて、体温が下がっていく気がした。僕は、自分勝手に失恋していた。可能性を信じず、勇気も出さなかった結果がこれだ。


「今の状況は、ICカードの残高不足でチャージしようとしたけど手持ちのお金が無いっていう辛い状況なんだけど・・・。」


 彼女はどこまで行くのか聞くと、千円貸してくれた。


「これで往復は出来ますね。これ、早く戻して行かなきゃ遅れるんじゃないですか?あと、ご迷惑じゃなければまた、メッセージ送ったりとかしてもいい・・・」


 さっき全部出した財布の中身を手にとって渡そうとしてくれたところで最悪なことが起きた。


「・・・ファッションヘルス?」


 一番上にあったカードがそれだった。咲樹ちゃんは『次回のご指名もよろしくお願いします!マユ』というメッセージもバッチリ読んでいた。

 キスマークついてるし。血の気が引く、ということを身を持って体感した。

 終わった・・・。


「あ、それは、その・・・。違うんだ、って違くないんだけど・・・。本当は咲樹ちゃんのことが・・・!」


 彼女はこっちを見てくれない。


「矢野さんって、こういうお店、行くんですね。別にそれが悪いことだとは思ってないですが、なんか、気持ちに折り合いがつかないです。本当は矢野さんのこと好きでした。でも、こういうお店に行く人は好きじゃないです。ごめんなさい、顔、見れないです・・・。」


 咲樹ちゃんのとても悲しそうな顔が忘れられない。彼女は小走りに改札を抜けて行ってしまった。僕も、気持ちに折り合いがつかないです。彼女は俺の事を好きでいてくれたの?どうして、どうして早く気持ちを伝えなかったんだろう。取り返しがつかないことをしてしまった!


 さっき流れたシドのレインの歌詞がリフレインする。


『♪雨は どうして僕を選ぶの 逃げ場の無い僕を選ぶの・・・』


 同い年だったら、この前見かけた相手の男の子みたいに過ごせたかもしれない。歳の違いに臆病になって、初めて手に入れたいと思った恋も手にいれることは出来なかった。

 あの時、勇気を出していれば。初キスも初エッチも、彼女と実現できていたかもしれないのに。


 結果として、初恋の失恋はリライトされず、失恋の辛さだけが更新された。失恋した女子高生の初恋相手に借りた千円で、リハーサル会場へ急ぐ自分が、とても残念に感じた。

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