3. Family Song
二歳の頃、母親は俺と双子の咲樹を置いて居なくなった。そんな小さい頃の記憶は無いから、母親がどんな顔だったのかも分からない。母親が出ていってからは、同居しているばあちゃんが親に代わって面倒を見てくれた。
俺は咲樹よりもばあちゃん子だったと思う。小さい男の子は、母性を求めるのかな。いつもばあちゃんの気を引こうとして困らせていた気がする。
中学一年生の秋、ばあちゃんが天国へ旅立った。
「朔ちゃん、もう少し一緒にいてあげたかったけれど、ごめんね。おばあちゃんはあなたたちに出会えて、一緒に過ごすことが出来て本当に幸せだった。ありがとう。おばあちゃんはいつでも、朔ちゃんたちを見守っているからね。」
最期にばあちゃんが俺にかけた言葉は、もう自分が死ぬことを受け入れてからのものだと思う。
小学六年生の時にばあちゃんにガンが見つかり、入退院を繰り返していたし、夏からは随分やつれてしまって、幼心にももう先が長くない事くらいは分かっていた。
けれど、いざその時が来てしまうと喪失感が凄くて、俺は一ヶ月くらい学校にも行けなかった。咲樹は多分、そんな俺の姿もあって、自分はしっかりしなきゃって思ったんだと思う。葬式の一週間後から学校に復帰し、俺の分の宿題などを持ってきてくれて助かった。
あまりにも落ち込んでいる姿を心配してか、叔父さんと叔母さんが『元気が出る音楽』をプレゼントしてくれた。その音楽の中に星野源の『Family Song』があった。
「♪微笑みが 一日でも多く 側にありますように 涙の味は 次のあなたへの 橋になりますように 遠い場所も 繋がっているよ・・・」
ばあちゃんの笑顔を思い出す。今流した涙は次の俺に繋がっていくし、ばあちゃんが天国にいても繋がっている。いつまでもこうしていてはダメだ。そんな気持ちになり、俺はなんとか学校にも行けるようになった。
その冬、誕生日が一月で、プレゼントとしてアコースティックギターを父さんに買って貰った。叔父さんたちに貰った『元気が出る音楽』を演奏してみたくなったからだ。
でも、ギターの腕はさっぱり上達しなかった。試しに咲樹に弾いて貰うと、だいぶ練習した俺よりも上手に弾いていることに嫉妬する。咲樹は器用に何でもこなす。要領が良いんだろうな。ポイントをしっかりと押さえている。
夏になると、叔父さんたちの計らいでギターの短期集中レッスンを受けさせて貰えることになった。講師として教えてくれたのは、高校三年生の矢野さんというお兄さんで、教え方も丁寧で、俺もコード演奏が出来るようになった。
十回のレッスン中、九回目のレッスンの日、俺は所属しているバスケ部の試合に出ることになり、ギターレッスンを欠席した。いつもは部活が終わってからギターのレッスンに行っていたけれど、試合は時間がかかるのでレッスンに間に合わない。
三年生の先輩達は中学最後の試合だ。気合いが違う。俺は補欠だったので、ベンチから声援を送る。メンバーチェンジで戻ってきた尚が隣に座った。
「今日の竹下先輩、ゾーンに入ってるよ。」
竹下先輩は副キャプテンで、優しくて面倒見も良く、努力を惜しまない姿勢がかっこ良くて俺も慕っている。竹下先輩を見ると、一瞬目が合ってニコッとしてきた。見てろよってことかな?
「うぉー!入った!今のロングシュート、凄かったな。」
「竹下先輩は確実に入れるね。練習も人一倍やってるし格好いい!」
尚と一緒に盛り上がる。そのロングシュートで軌道に乗ったうちのチームは得点を重ねてその試合に勝ち、大会で優勝した。
学校に戻った後、部活を引退する先輩たちに向けてちょっとした送別会が行われた。運動部だけど、絶対的な上下関係はあまり無くて、みんな優しくて良い先輩たちだった。引退しちゃうの寂しいな。
「佐倉、この後少し時間無いかな。渡したいものがあるんだけど。」
「この後は特に用事無いので大丈夫です。」
竹下先輩に声をかけられ、渡したいものって何だろうと思いながらも先輩の家にお邪魔することになった。
竹下先輩の家は、尚と一緒に何度かお邪魔したことがある。特に緊張せずに家に上がり、部屋に入れて貰った。綺麗に整えられている部屋は、俺の好きなテイストだ。時計を見るともう午後六時だった。
「何か飲む?」
「いえ、大丈夫です。あの、渡したいものって・・・?すみません、俺は引退の餞別みたいなの用意してないんですけど・・・。」
先輩はフッと笑い、引き出しから封筒を取り出した。
「いいよ、そんなの。おばあちゃんが亡くなってから、佐倉はずっと元気がなかったから心配だった。もう大丈夫なの?」
「あ、ありがとうございます。そんなに気にかけて貰って・・・。でも、いつまでも泣いていられないし、少しずつですけど、ばあちゃんがいない生活にも慣れてきました。まだ少しは寂しく思うときがありますけど、強くなります。」
先輩は俺の頭を撫でて、「佐倉は強くなった。」と言ってくれた。
「あのさ。佐倉は、俺のことどう思ってるの?」
「え、どうって、どういうことですか?先輩はかっこ良くて、優しくて、一生懸命で、好きですよ。俺も先輩みたいに・・・・」
・・・えっ?な、何!?
急にぎゅっと強い力で抱き締められて固まる。力が緩まって体が離れたと思ったら、先輩の顔が近づいてきて、唇に柔らかくて温かい感触がした。後頭部は先輩に手で固定されていて身動きが取れない。訳が分からないまま固まっていると、先輩がゆっくりと離れた。
「ごめん、急にこんなことして。・・・好きなんだ。佐倉が言ってくれた『好き』は、ただの先輩としての『好き』なんだろうけど、俺はお前のことを後輩としてとかじゃなくて好きだ。恋してる。
好きで仕方がなくて、元気がない時は心配だし、嬉しそうにしている時は俺も嬉しかった。一緒に部活出来て毎日が楽しかった。
これ、俺の気持ちを手紙に書いた。捨てても良いから、必ず読んで欲しい。」
手紙を受け取る。
「あの・・・。とりあえず、お邪魔しました!」
どうしよう、先輩を傷付けたくない。でも、俺は彼の気持ちに応えることは出来ないと思う。
何となく、走って家まで帰った。同性から恋愛対象として好意を抱かれるなんて、全くの想定外だ。この前たっくんが言ってた「彼女なのか彼氏なのか・・・」っていう言葉を「キモい」って言ってしまった自分を恥じる。
竹下先輩の気持ちは気持ち悪くは感じない。真摯で真っ直ぐな人だってことを知っている。もしも俺が女だったら、自然に受け入れることが出来た気持ちなのかもしれない。
家に着き、自分の部屋のドアにもたれ掛かって深呼吸をすると、封筒から手紙を取り出す。手紙には竹下先輩の気持ちが事細かに綴られていた。
肩を組んだときにドキドキしたとか、俺のことを自然に目で追ってしまうとか、笑顔が可愛くて好きとか。本当に恋愛対象として見られてたんだ・・・。
一応返事を聞かせて欲しいということが文末に書かれていたので、始業式の後に学校で時間を貰うことにした。
そして始業式の日。皆が帰った後、部室で落ち合った。
「あの、返事を考えてきました・・・。本当に悩んだんですけど、ごめんなさい。先輩と恋愛は出来ません。」
先輩は寂しそうだけど嬉しそうでもあった。
「分かってるよ。だって、それが自然なことだからさ。でも、ちゃんと悩んでくれて嬉しかった。俺は佐倉のそういうところが大好きなんだ。ありがとう。」
「あの、どうして俺なんですか?咲樹のことは好きになりませんでしたか?」
じっと見つめられる。熱っぽい視線を感じる。
「いくら双子でも、俺はお前のことが好きなんだ。どうして佐倉の方が女じゃないんだろうって何度も思ったよ。もしお前が妹の方だったら、気持ちを隠したりする必要も無かった。でも、仕方がないよ。俺が好きになったのは、一つ年下で同じ部活の後輩の、同性の佐倉朔なんだ。お前にフラれたからといって、妹の方に手を出したりはしない。」
やっぱり真面目な人だな。
ちょっと笑っていると、抱き締められた。
「あのさ。最後に、もう一回だけキスしても良い?この前のは、俺、ファーストキスだったし余裕無くてあんまり覚えてないから。」
恋愛感情が挟まると、こんなにぐいぐい来るものなんだな。この前のキスは俺も衝撃でしかない。
「俺もあれ、初キスでした。・・・嫌だって言ったら、傷付きますか?」
「傷付くって言えば、させてくれるんでしょ?佐倉はそういう奴だよ。優しすぎる。でも今の俺はその優しさに付け入るよ。お前はもう、俺のことを忘れることが出来ない。それで充分。」
先輩は俺よりも十センチ以上背が高い。
はっきりと返事をしていないのに、ちょっと強引に唇を塞がれ、抱き締められる。
それだけじゃなくて、さらに舌を入れられた。
先輩が俺のことを求めている熱量が分かる、激しいキスだった。
「先輩・・・、もぅ、ここまでで・・・。」
なんとか体を離す。先輩の寂しそうな顔が胸を抉る。あぁ、なんで拒否れなかったんだろ。下手に期待を持たせてしまったんじゃないかな。
「ありがとう、俺の我儘に付き合ってくれて。拒絶されなかったこと、凄く嬉しかったよ。これからも好きだよ。俺の気持ちは忘れないで欲しい。俺はお前に何かあった時、頼って貰えるような人間になる。元気でね。」
先輩は先に部室を出て行き、ドアが閉まると体が震え出した。
先輩の思惑通り、俺はもう彼を、彼としたことを忘れることは無さそう。
春、竹下先輩は卒業した。二回目のキスの後は特に連絡もない。本当は俺が困っていることをちゃんと分かっていて、困らせたら悪いって思っているんだろうな。優しくて面倒見が良くて、一生懸命なところは見習っていこう。
そして、俺自身もそろそろ進路を考えなくてはいけなくなってきた。
「佐倉。志望校はどうするんだ?佐倉はバスケ部の副キャプテンで部活の成績は良いから、南校なら部活推薦も出来るぞ。妹は東高を志望しているそうだけど、今の君の偏差値と内申だとかなり頑張らないと東校は厳しいな。」
進路指導の先生に進学の道を教えて貰う。
南校は尚が志望している高校だ。一緒に行ければ楽しいかもしれないけれど、そこには竹下先輩も在学している。それに、高校ではバスケ部ではなく、軽音楽部に入りたい。
将来何になりたいとか、はっきり言ってピンと来ない。父親が医者だから、医者になるのかとか聞かれることはある。だいたい俺にはそんな頭も無いし、志もない。
部活のバスケもずっとやりたいわけではない。歌うのは好きだけど、誰かに披露したこともない。
志望校を選ぶ前に、何になりたいかを決めなきゃいけないんじゃないのかな。
咲樹は何もない俺とは真逆で、大抵のことは器用にこなし、成績も良い。将来の話なんかしたことないけれど、きっと何か考えているはずだ。
「咲樹は良いな、色々持ってて。」
リビングで進路希望のアンケート用紙を見ながらふと呟くと、咲樹はムッとした。
「え?朔は私と違って友達がたくさんいるじゃん。思っていることを伝えるのも上手だし、初対面の人と仲良くなるのもはやい。私には無いものばかり。」
そう。人は、無い物ねだりなのだ。確かに咲樹は、よく喋るほうではない。でもそれは、相手のことをちゃんと見て、考えてから話すためであって、内気とは少し違う。だから、俺とは違って内面を見てくれる友達しかいない。そんな咲樹が羨ましかった。
そんなある日、俺は違うクラスの男子に殴られた。理由は良く分からない。
同じクラスの友達が大丈夫か、と駆け寄る中、大きい音がして教室の空気が凍りついた。咲樹が近くの机を思いっきり蹴り、殴った相手にぶつけていたのだ。
「やられたらやり返す。」
たった一言だったけど、普段の咲樹からは想像もつかない低く怒りのこもった口調に、殴った男子はびびって逃げていった。咲樹は蹴った机を元に戻し、机の主に謝っている。
「ごめん、咲樹、ありがとう。」
「殴られっぱなしじゃ嫌でしょ。朔がちやほやされるのは、それだけ魅力があるからなのに、あいつは何も分かっていない。上辺だけで判断されるの、腹立つ。
朔は優しいから手を出されても出さないし。そんなの家族としては理不尽で、つい足が出てしまったわ。」
俺を殴った相手はすぐに先生に捕まった。俺は頬には痣が出来て口も少し切れてるけど、事を荒立てる気はないことを学校側に伝えると、殴った相手は厳重注意と反省文を書かされていた。親も家まで謝りに来た。
咲樹は素行が良いため特に咎められなかったが、自主的に反省文を書いていた。変なところに真面目だ。
「別に求められてないんだから書かなくても良いじゃん。」
「反省文なんて書く機会あまり無いし、勉強になった。」
放課後の教室でそんな話をしていると、殴った相手がやって来た。
「佐倉くん、殴ってしまってごめんなさい。みんなの人気者の佐倉くんを見ていたら、羨ましくて、自分勝手な行動をしてしまいました。佐倉さん、叱ってくれてありがとう。」
そう言うと、走って逃げていった。
「なにあれ。誰かにそう言えって言われたのかな。」
咲樹は人の言動の真意や裏をすぐに推理してしまう。故に人付き合いは苦手だ。
「まぁまぁ、殴られた本人が良いって言ってるんだし、もう良いじゃん。咲樹を見てると殴られて申し訳なくなってくる。」
咲樹は困ったような、柔らかい笑顔だ。
「まったく、優しすぎなんだよ。そこがいいところでもあるけどさ。でも、私が殴られたら、朔はどうする?私が良いって言ったら許すの?」
言葉に詰まる。
咲樹が同じ状況だったら、自分も同じ行動をしていたかもしれない。
咲樹とは産まれたときから、いや、顔も覚えていない母親のお腹にいるときからずっと一緒だ。
無意識かもしれないけれど、いろんなところで支え合って生きてきたし、お互いを認めている。お互いのことを心配しあったり、励まし合ったり。表に出すのはちょっと照れ臭いけど、家族って良いなと思った。
「咲樹は高校に進学したら、部活とかやるの?」
「ん?実はね、軽音楽部に入ってみようかなって思ってるんだ。東校のパンフレットの部活動一覧に載ってたの。大学受験に備えて早めに引退するかもしれないけど、少しでもバンド活動をやってみたくて。」
それ、良いな。咲樹と一緒にバンド活動、楽しそう!
家に帰ってから、進路希望のアンケート用紙を眺める。Family Songを聴きながら、かなり頑張る必要があるけれど、咲樹と同じ高校を目指そうと決めた。
俺は俺のままで良いし、俺には俺の良さがある。まだやりたいことや就きたいたい職業は分からない。だから、それを見つけるために高校に行こう。
まだ俺たちは、何にでもなれる。
今からでも勉強を頑張って、咲樹と同じ高校で、もう少し、双子として生まれたことで味わえる同じ時間を楽しみたいと思った。
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