第2話 『ぶれいく・だうん!』

「おはよう、お母さん。」

 龍崎綾はいつも通り母に挨拶をした。黒い髪は後ろに束ねられている。

「ご飯出来てるわよ。」

 いつもと同じトーストを、いつもの卵焼きに乗せて食べる。

「行ってきます。」

 いつも通り制服を着て、学校に向かっていく。いつもと違うのは、痣のできた右手を隠していることだ。








「おめでとうございまッス!龍崎綾ちゃんは『憂鬱の眷属』に選ばれました!」

 夢で語りかけてきたのはアスタロトと名乗る緑髪で背の高い女性だ。

 そこからは訳のわからない話の連続だった。

 やれ異能…だの眷属…だの、いきなり言われても信じられなかった。

 しかし、どうにもこれは事実のようである。彼女はほとほと困り果てた。もしそうなら、高校に行く自分のために毎日働いてる母はどうなるのか。

(絶対に…迷惑をかけるわけにはいかない。)

 龍崎は母のために『まとも』であろうとしていた。だから欲しいゲームや行きたい店があっても、机に落書きをされても、トイレに閉じ込められても全て心の中に閉じ込めていた。

 いつも通る道の右の裏路地。龍崎はふとそれに目をやった。

(あの奥には何があるんだろう。)

 そう考えたことはあったが、結局寄り道をすることはなかった。トラブルに巻き込まれてはいけないからだ。








「今日の一時間目は田所先生が出張のため、自習となります。先生はいませんが、みんな静かに勉強するように。」

 龍崎は自分の不運を呪った。

 教師がいないならば、必ずあいつらが何かしてくるに違いない。

 担任が教室を出た瞬間─

「おい龍崎、ちょっと来いよ。」

 悪い予感は当たった。

 龍崎は物静かで、何をされても文句を言わなかった。

 桐島達のに選ばれたのは、そのためである。

 桐島咲良は正真正銘のスクールカーストのトップで、教師含め誰も逆らえる者はいなかった。

「なぁ聞いてくれよ。この前のテストさぁ、全教科平均が5点下がってたんだよね。」

「うそ、下がり過ぎじゃない?まぁそれでも私より上なんだけど。」

 取り巻きAが返す。

「あ、はい…そうなんですか。」

『無視罪』は『虫食い刑』にされるので、なんとか龍崎は返事を絞り出した。

「大親友の龍崎にだから頼むんだけどな、慰めてくれよ。」

 桐島と同じく龍崎もそうは思っていないが、逆らってはいけなかった。

「ど、どうすればいいんですか…?」

「こういう時は応援してもらうのが一番じゃない?」

 取り巻きBの言葉に桐島が頷く。

「あーそれいいな、じゃあ精一杯頼むわ。」

「え、えっと…フレー…フレー…桐島さ…」

「腹から声出せよ」

 桐島が突如制服の前襟を掴む。

 取り巻き達がいつの間にか龍崎の周りを囲んでいた。

「なぁお前ら、腹から声出すためには何が大事だ?」

 桐島が大声で問い掛ける。

「やっぱり腹筋じゃない?」

「そうだよなぁ。腹筋鍛えないと運動機能に内臓機能、姿勢まで悪くなっちまうんだ。大親友としてこれは見過ごせねぇわ。」

「あ…あ…」

 霧島は右腕を回している。龍崎はこの後自分が何をされるのかわかった。

「おーしじゃあいっぱい腹に力入れろよー」

 ボンッ!

「あがぁ…!はぁ…!」

 腹に鈍い痛みが走る。

「おいおいもうへこたれてんのか?根性の無さも治さなきゃなぁ…?行くぞ熱血指導!」

 ボンッ!

「ぐっ…」

(だ、ダメ…耐えないと…お母さんに迷惑が…)

 霧島が項垂うなだれた時、自分の右手の痣が見えた。








 父は龍崎が生まれる前に、交通事故で亡くなった。

 母は初めは綾のことを愛していたが、育児と労働で擦り減っていく内にだんだん娘のことを億劫に思うようになった。

 もちろん最低限のことはするようにしていたが、冷凍パスタだけ置いて帰ってこないことはザラだった。

 龍崎綾にとって母に迷惑をかけることは大罪だった。

 母だって我慢してるんだから、自分も我慢するのは当然だった。








「私も龍崎さんと仲良くなりたいからやっていい?」

「いいぞ。お前ほんっとに人気者だな、羨ましいぞ。」

 また、痛みがやって来る。

 鈍い痛みがやって来る。

 けど、もしあの夢が本当だったら?

 自分が特別な力を持っていたら?

 試してみたくなった。




 ザシュ!

「キャァァァァァァ!!!!!」

 目を開けると、そこは紅白の世界だった。

 桐島やその他大勢の腹には、氷の刃が突き刺さっていた。

 他のクラスメートは皆パニックになって教室から抜け出していく。

「お…おいぃ…?」

 桐島が驚嘆に満ちた目でこちらを向く。

 しかし彼女の心には、復讐によるカタルシスや、人を殺した罪悪感はなかった。

(案外いいかも…)

 龍崎は気づく。

 そもそも世界が終わるというのに、母の命の心配を自分はしていなかったことに。

 虐められていた現状を、心の底では楽しんでいたことに。

 最初から、どうでもよかったのだ。

 危ないことが大好きだったのだ。

(母さんごめんなさい…私まともじゃないみたい。)

「楽しかった…!」

 恍惚感と高笑いが、教室を埋め尽くしていた。







 窓の外から、誰かが見ていた。

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