マレー沖大捕り物③

南シナ海:クアンタン沖



 結局のところ英極東艦隊がどうなったかは、敢えて記すまでもないだろう。

 すったもんだの末にやはりシンガポールで再編ということになり、深夜に小沢艦隊と数十マイルのところですれ違ったりした末、連続的な空襲を喰らうこととなったのだ。仏印に日本軍機が集結していることは掴んでいても、あくまで爆撃機だと思っていた英軍にとって、陸上攻撃機による雷撃は青天の霹靂どころでなかった。


 結果、戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』は集中的な雷撃を受けて沈没、巡洋戦艦『レパルス』もその後を追うこととなった。

 真珠湾で大打撃を受けたようではあるが、これでアメリカを戦争に引き込める。つまり約束された勝利だ。そんな具合に浮かれていた英国チャーチル首相は突然の悲報に卒倒、暫くの間寝込んでしまったという。


 一方、ただ1隻の主力艦となった航空母艦『インドミタブル』は、航空戦力のほぼ全てを失いながらも健在だった。

 避退の途中、単発機の攻撃機隊が必殺の魚雷を抱いて肉薄、1発被雷したりもしたのだが……信管の調整ミスでもあったのか弾頭が不発で、何の被害も齎さなかったのだ。護衛の駆逐艦も海の藻屑となってしまっていたが、巧みな操艦もあって、彼女だけは小破ともなっていなかった。

 だが思ってもみないほど致命的な事故が、最悪のタイミングで起きてしまうことも、稀によくあるという奴である。


「最終的に日独、あとイタリヤに勝てばいいのだ」


「あっはい、そうですね」


「うむ。それ故、これは未来に向けた前進であって……」


 打ちのめされた艦長のモース大佐が、見敵必殺主義を放り投げたような台詞を吐いていたその時である。

 突然『インドミタブル』はギリギリという異音と、悍ましい限りの衝撃に襲われた。乗組員が揃って顔を見合わせる。船乗りが最も恐れるものの1つに見舞われたのではないか、誰もがそう直感したのだった。


 それは言うまでもなく座礁である。

 次から次へと行われた熾烈な空襲を回避するため、『インドミタブル』は転舵を繰り返した。乗組員は当然ながら疲弊していた。英国にとって南シナ海は見知った海ではあったとはえ、そうした状況ともなればミスも起こり得る。さっぱりやってこない空軍機を当てにマレー半島沿岸海域を逃げ惑っていた彼女は、暗礁に乗り上げ身動きが取れなくなってしまったのだ。


「こんなの嘘でしょ、何故なんですか……?」


 報告を取りまとめた副長は、完全に真っ青になりながら漏らした。

 これが例えばカリブ海のジャマイカ辺りでのことなら、艦長が責任を逃れられはしないとしても、何とかする方法もあっただろう。だが目と鼻の先で日本軍が上陸作戦を敢行し、飢えた狼が如き艦艇が付近を遊弋している中での事故である。上空の偵察機は一部始終を見届け、盛んに打電している。とすれば暗礁を逃れんとしているうちに戦艦やら巡洋艦やらが集まってきて、集中砲火を浴びるに違いない。

 そしてこうした場合に頼りになる艦は、既に悉く沈んでしまっているのである。


「そうだ、これは夢なんだ。俺は今、夢をみているんだ……」


 あまりにもあんまりな現実に、モースは上の空で呟いた。

 自分の経歴も『インドミタブル』の運命も、何もかも進退窮まった。実際、物理的に進退窮まっている。艦を自沈させようにも、これでは沈んでさえくれないのである。


「その、艦長、どうしたら……?」


「ん、ああ……」


 心許なげに尋ねてくる副長に、モースは僅かな希望を見出した。

 この最低最悪で致命的な事故は、全て自分に責任がある。軍艦の建造には3年かかるが、海軍軍人の育成には10年かかることからも分かる通り、海軍とはつまるところ人である。それから国王陛下に歯向かった植民地人の戯言のようで腹立たしいが、戦争はまだまだこれからなのだ。


「諸君、総員退艦だ」


 短い議論を経て出された結論を、モースは艦内放送で命じた。


「機関やレーダーを破壊した後、艦を捨てて急いで陸に上がれ。全ての責任は私にある。諸君等の運命もまた辛く険しいだろうが、それでも何時の日かまた別の軍艦に乗り組み、再び海軍と祖国に貢献してほしい。それでこそ誇りある海軍軍人であるはずだ」





「おやおやおや、確かに座礁しちまってるようだ」


「信じられないが本当みたいですね」


 航空母艦『天鷹』の艦橋は驚異に溢れていた。

 魚雷を全て射耗してしまっても尚、距離を詰めて反復攻撃を繰り返すべし。そんな息巻きから危険なほど『インドミタブル』に接近し、随伴の駆逐艦長を呆れさせていた彼女は、真っ先に座礁事故現場に駆けつけることができていた。


 そうして双眼鏡を覗き込んでみれば、英国海軍の新鋭航空母艦が、本当に身動きできなくなっている。

 航空爆弾をものともせず、必殺の雷撃すら逃れた殊勲艦の、誰も思ってもみなかったような呆気ない最期であった。


「いや、最期としなくてもいい訳だな」


 高谷大佐は実に楽しそうな口調だった。

 確かに航空攻撃では戦果を挙げられなかった。だが航空母艦を鹵獲したともなれば、チェスの対局に将棋のルールを例外適用してしまうようなもので、撃沈以上に素晴らしい戦果に違いない。修繕や運用に手間と時間がかかるとしても、主力艦をタダで1隻余分にもらえるのだから。

 戦争は案外早く終わってしまうのかもしれないが、そうでないなら大変に貴重な戦力ともなろう。


「よし、あの艦をありがたくいただいてしまおう。陸戦隊……いや、この場合は接舷斬り込み隊か? とにかくそれを早急に編成し、移乗させてしまうのだ。他所の艦に戦功を奪われてはたまらんからな」


「しかし艦長、罠とかないですかね? 移乗しようと思ったら撃たれるとか」


「何、既に本艦は敵高角砲の射程内だ。だが撃たれておらん。とすれば誰も乗っておらんのだろ」


 そんな調子で接舷斬り込み隊が、馬鹿みたいに多い志願者を選抜して出来上がった。

 なお誰も乗っていないというのは、接舷斬り込み隊が『インドミタブル』に取り付くや否や、間違いだと判明した。英国人の艦長が拳銃を乱射して最後の抵抗を行い、その後に自らのこめかみを撃ち抜いたからだ。


 それからもう1つ、ラッタルを昇った斬り込み隊員は反証の材料を見つけた。


「にゃ~~~」


 実に場違いで気の抜けた鳴き声が、ほぼ誰もいなくなった航空母艦に響いていた。

 名前は何というのか不明だが、ネズミ退治用の猫が欠伸をしていた。英国人の水兵達に置き去りにされてしまったようだ。これがまたなかなかに人懐こく可愛げのある奴で、物珍しさ故にドヤドヤと集まってきた将兵の肩に飛び乗ったりし、たちまちのうちに虜にしてしまう。


「こいつ、どうしましょう?」


「とりあえず艦長に見せてみるとか?」


 とまあ流石は『天鷹』と言われるような具合で、猫は連れ帰られた。

 軍規に照らし合わせれば、実のところどうなのだろう? だが元来がいい加減な人間と問題児ばかりが、階級を問わず乗り組んでいる艦である。細かい事は誰も気にしないし、出鱈目もまかり通ってしまうのだ。


「よし、こやつはインド丸だ。ネズミ捕り三等水兵として乗艦させよう!」


 高谷はガハハと笑いながら命名した。

 まんまと鹵獲してしまった艦の名に因み、また同時に今次大戦でインドを丸っと解放できるようにという願いを込めた形だった。なお"India"と"Indomitable"に関連がないのは言うまでもない。


 ともかくもとびきりの不運に見舞われた『インドミタブル』はこの後、日本海軍の手で離礁させられることとなる。

 そうした作業を妨害するため、シンガポールの英空軍はなけなしの戦力を投じたりしたのだが、これまたさっぱり振るわなかった。なお迎撃を行ったのも『天鷹』戦闘機隊であったが、それに際しても第二小隊長の鋒山中尉は出番なしだった。何かと振る舞われるスピンドル油天麩羅に、運悪く当たってしまっていたのである。

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