海の粗忽者 ~強襲空母『天鷹』奮戦記~

青井孔雀

事の発端

 航空母艦『天鷹』が誕生した切っ掛けはといえば、実のところ満洲国皇帝溥儀の気まぐれであった。

 大西洋ではブルーリボン賞を巡り、幾多の大型豪華客船が鎬を削っていたスピード狂の時代である。新しく誕生したばかりの満洲国の籍を持つ豪華客船で諸国を漫遊し、大勢の賓客を大連や新京へと招待すれば、国威も大いに発揚されよう。諸国からの承認を取り付ける上でもよいのではないか? 発端はどうもそんなやり取りにあったらしい。


 とはいえそれだけ聞くと、無茶を通り越した話だとしか思わないだろう。

 確かに欧米では5万トンだの6万トンだのという大型豪華客船が続々と就航し、富豪達を賑わせている。昭和7年に進水したフランスの『ノルマンディー』に至っては、全長300メートル、8万トンなどという化け物だ。

 ただそれはあくまで大西洋の話。それなりに競争が激しいとはいえ、太平洋では1万トン台の貧乏くさい貨客船が、横浜・サンフランシスコ航路を繋いでいるといった状況だった。


 ついでに言うならば、満洲は太平洋に面してすらいない。

 しかも国内はといえば、馬賊だの匪賊だのが未だ猖獗を極めているあり様。そんな中で豪華客船などというと、艦隊整備費用を頤和園の修復に宛てた叔母の一大愚行にも匹敵しそうであった。


 そして挙句の果てに、


「特急あじあで東京駅まで行けんかな」


 と仰せになられる始末である。

 これには官衙の誰もが唖然とし、あんぐりと口を開けたという。満洲鉄道は標準軌であり、日本本土は狭軌である。少々あべこべな気配がする話だが、列車がそもそも乗り入れることができないのだ。

 

 だがどうした訳か、これが諸々の発端となってしまった。


「嬉しいね。建艦だ、これでまた建艦ができるぞ!」


 なんて台詞があったかどうかは定かではないが、真っ先にそれに飛びついたのは、言うまでもなく海軍である。

 いざとなれば上部構造物を取っ払い、飛行甲板を据えて空母とすればいいと、当然のように考えていたからだ。客船としては変な仕様になるとか、細かいことは考えてはならない。買収に際しては別途契約を締結せねばならぬとしても、当初は外国のカネでもってマル2計画枠外の艦を整備できる。何ともありがたい話という訳だ。

 そうして懇意の財界やら造船会社やらの面々とともに、早速接待攻勢に乗り出した。


 陸軍としても総論としては、海軍の提案に賛成であった。

 元々不透明どころではなかったにしろ、特にこのところの大陸情勢は日に日に悪化の一途をたどっている。大陸統一を目論む蒋介石とは、何処かで衝突する公算も高い。とすれば戦端が開かれたなら、迅速に兵力を満洲だとか上海だとかに送らねばならないので、船腹はあるに越したことがない。

 海軍の目論見通り空母に改装されるとしても、まず劈頭の大変な時期に大隊を送ってもらい、その後に飛行機を積んで活躍してもらえばいいのだ。


 ついでにまたもや盛り上がったのが、鉄道に関わる者達だ。

 改軌論争はとうに終焉を迎えたとはいえ、特に東海道本線の貨物輸送量は増える一方。これで戦争など起こった日にはと懸念する者があり、考えてみればと続々賛同者が増える。ならば東京・下関間に別線を引いてしまえばいいという話になり、それを標準軌とするのはなかなかに合理的という結論に至る。

 とすれば特急あじあで東京駅というのも、大東亜百年の未来を見据えた、遠大なる大計に基づくお言葉だったのではないか。豪華客船というのも、大型車両輸送すら可能な貨客船と考えれば納得がゆく。鉄道関係者までがそんな具合に勝手に盛り上がってしまい、最終的には満洲鉄道や鉄道省すら動くこととなる。


 ともかくもそんな訳で、大型貨客船の建造は何ともいい加減なままに決まってしまった。

 あんまりにもトントン拍子に進んだことに皇帝溥儀はたいそう驚きながらも、特急あじあの御召列車で日本を旅することを夢見たという。一方の首相の張景恵はといえば、莫大なる建造費をどう捻出したものかと青褪めたらしいが、早々に新聞沙汰となって既成事実化してしまったので、全ては後の祭りである。

 そうして昭和10年の末、三菱重工業長崎造船所にて、各界の要人を大勢招いての起工式が催された。


「きっとこのフネこそが、大東亜の未来を変える」


 式に列席した者は皆、そんな風に思っていたことだろう。

 だがこの頃はまだ、少し後に世界を巻き込む大戦が勃発するとは、誰一人として思っていなかった。とすればその大戦において、大型貨客船『文殊』が航空母艦『天鷹』となって八面六臂の大活躍をするなど、まったく想像の枠外にあったに違いない。

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