第16話 浅野昴、腹をくくる

 ヤバイ、バレた、マジ死ねる!!


 昴は会議室から出て男子トイレに直行した。腹を下した訳じゃない。考えを整理する為だ。

 トイレの個室に籠もって頭を抱える男、会社一のイケメンと名高い浅野昴その人である。


 今までの昴だったら、少しでも面倒だと思う女とはスマートに別れてきた。一人の女に拘る意味もなく、次から次へ渡り歩いて、抱いた女の名前すら思い出せないくらいだ。その昴が、たった一人の女に嫌われない為に、ひたすら言い訳を考えていた。まるで浮気がバレた気の弱い夫のように、あーでもないこーでもないと頭を掻きむしる。


 言い訳その1……他人の空似作戦。

 六本木には行っていない、ゆえにラブホテルにも行っていない。香水の匂いもYシャツについた口紅も、接待の時についたもので、事実無根で噂の主はあくまでも他人の空似、自分ではないと主張する。

 難点は、沙綾が同じ会社であるがゆえ、いつ何時嘘の接待がバレないとも限らないことだった。


 言い訳その2……看病だった作戦。

 女の友人と六本木で偶然会ったが、急に友人の具合が悪くなった為、支えて歩いていたが、歩くこともままならなくなってしまった。救護措置としてラブホテルに入ったが、少し休んだら具合は良くなった為何もしていないと主張する。

 これは、歩けないくらい気分が悪くなったんなら救急車を呼べよというツッコミが入りそうだ。また、具合が悪いふりをして昴をラブホテルに誘いたかっただけじゃないのかって疑われそう。実際に「具合が悪いの」とか「飲みすぎたみたい」など言われてラブホテルに行くのは暗黙の了解というものだったし。


 言い訳その3……素直に謝る作戦。

 過去にセフレがいたことを認め、素直に謝る。その上で告白する。

 軽蔑されるかもしれない。でも昴の半生が沙綾にバレたら、多分そんなものじゃすまない。だから全てを曝け出す訳にはいかないが、沙綾と知り合う前の自分と沙綾によって変わった自分を説明しよう。


 全ては話せないが、沙綾に嘘は駄目だと思う。そう思った昴は、言い訳その3を採用することにした。


 その後黙々と仕事をこなし、定時よりはかなり遅くなったものの、いつもよりは早めの時間に仕事を終えた。帰りがけにデパ地下の惣菜を購入し、早足でマンションへ向かう。マンションを見上げ、いつも通り電気のついていない自分の部屋を見上げて、沙綾が来ていないことを知った。2回下から階数を確認するが、やはり真っ暗な窓が見えるだけだった。


 言い訳もさせてもらえないのか……と思った以上に気分が落ちる。エントランスに入ると、野崎に挨拶され、そこに私服姿の沙綾がいた。鍵を持ち歩いていなかったから一度家に帰ったと聞いて、往復させてしまった罪悪感よりも、来てくれたことが嬉しかった。


 ヤバイ、完璧に沙綾の一挙手一投足に感情が揺さぶられてる。何だこれ? 

 早く二人きりになりたい。


 部屋につくと、とりあえず夕食にしようと、買ってきた惣菜をテーブルに並べた。目に入ったものを適当に買ってきてしまったが、沙綾の苦手な物はないだろうか? というか、好きな食べ物すら知らないということに気がつく。


「お惣菜買ってきたんだ。まずは食べようか」

「私も、家から今日食べる筈だった煮物とおにぎりを……。ご飯、足りまか? 」

「十分だよ」


 沙綾は煮物温めますねと、キッチンへ行き大皿に移し替えて戻ってきた。湯気がたった煮物は食欲をそそる匂いがしており、昴の目にはテーブルの上にあるどんな料理よりもご馳走に映った。

 

「いただきます。美味そうだな」

「そうですね」


 いつもの定位置に座り、二人で大皿をつついた。昴は沙綾の煮物にばかり手を伸ばし、おにぎりを頬張りながら「美味いなあ」とモリモリ食べる。

 昴は胃も沙綾にしっかりと掴まれていた。


「沙綾ちゃんのご飯が一番美味い。はぁ、毎日食べたいくらいだよ」


 つい昴の欲望が駄々漏れる。なにせ食欲は三大欲の一つだ。


「さすがに言い過ぎです」

「マジだって。僕、こういうアットホームな食事って食べたことないから、凄く憧れる。お母さんの煮物的なやつ」

「はあ……」


 沙綾の持ってきた煮物とおにぎりは完食、惣菜が少し残ったところで、箸を置いた昴が崩していた足を直し正座になった。


「……浅野……さん? 」

「今日は来てくれてありがとう。あのさ、まずは僕の話を聞いて欲しいんだ」

「……はい」


 沙綾も同じように正座になり、テーブルの残り物に視線を固定した。昴はゴクリと唾を飲み込み、大きく頭を下げた。


「ごめん、金曜日の夜の話は本当です。でもね、そういう場所には行ったけど、してないから。勃たなかったんだ。」

「……えっと」


 視線を合わさない沙綾は、思いっきり視線を泳がして明らかに動揺している。話している昴だってプチパニック状態だ。

 ラブホテルには行った。つまりそれってセックスする意思はあったって宣言してるようなものじゃないか。だから、それを上回る事態で何事もなかったことをアピールする為には、昴の恥ずかしい下半身事情を暴露することに決めたのだ。

 セックスしたかしないかじゃなく、する意思があるかないかも重要であるのだが、この時の昴は全くそれに思い当たっていなかった。


「社会人になってからかな、恋愛とか面倒で、でも性欲は溜まるし。……軽蔑されるかもしれないけど、身体だけの関係の女性が……いたりしたこともあって。でも、沙綾ちゃんと知り合ってからは、そういう関係は止めようって思ったんだ」


 過去、沙綾と知り合う前の話だとアピールするが、それがほんの1〜2ヶ月前の最近であるという事実は、丸っとスルーする。


「私、関係ないですよ……ね? 」

「沙綾ちゃんきっかけだから関係あるでしょ」

「ちなみに、どんなきっかけか聞いても……? 」


 沙綾にしか勃たないことがわかった時、沙綾のことが好きなんだと自覚(それ以外に理由が思いつかないから)したが、それ以前に余計なセフレとは縁を切って逆玉を狙いました……なんて言えない。


「そりゃ好きになったからに決まってるでしょ。それ以外にセフレと縁切る 理由ってなくない? 」


 ごめん、ちょっと時系列は無視してるけど、結果はちゃんと(?)好きになってるから勘弁な。


「お友達として? 」

「最初はそこから始めるから安心していいよ。もちろん徐々に距離を縮めて、最終的には結婚も視野に入れたお付き合いに発展させるつもりだから」

「……罰ゲームですか? 」


 何それ?! 彼女にとって俺ってそんな扱いになる訳?!


「え、沙綾ちゃん的には俺と付き合うのは罰ゲームな感じなん? そこまで俺ってダメダメ? マジで? いや罰ゲームでもいいから付き合って。お願い! 」


 罰ゲーム扱いにすっかり素が出た昴は、自分の一人称が「僕」から「俺」に変わった自覚もなく、恥も外聞もなく両手を合わせて「お願い! 」と拝み込む。この際土下座もありだ。


 沙織の反応を見ようとチラリと視線を上げると、わずかに視線が合ったのか真っ赤になってオタオタしているので、つい可愛いなと微笑んでしまう。この顔で沙綾の感情が少しでも揺さぶれるなら、いくらだって利用する気満々だ。


「浅野さんの罰ゲームです。誰かに賭けで負けたとかじゃないんですか」


 何やら辛そうにうつむく沙綾に、昴の方がグラグラ感情を揺さぶられる。そんな表情はさせたくない。レア中のレアでまだ見たことないが、出来れば笑顔でいて欲しい。


「そんな訳ないでしょ。それにさ、さっきの話題に戻るのは正直嫌なんだけどさ、俺ね、ラブホで勃たなかったじゃん」


 もうね、自虐ネタでもいいよ。呆れた顔でも何でもいいから、違う表情を引き出したいと、昴は渇いた笑いを浮かべながら話を続ける。


「全く、うんともすんともピクリともしなくてさ、あまりのショックで逃げ帰ってきて、酒飲んで忘れようとしたんだよ。で、まぁ、泥酔して次の日に沙綾ちゃんに起こされた訳なんだけど、あん時沙綾ちゃんには勃ったんだよなぁ」

「ハ?」

「うん、だからね、沙綾ちゃん限定で使い物になるみたい。沙綾ちゃんだけなんだよ、凄くない? 」

「すみません、凄さを理解できません」


 だろうね。俺も何カミングアウトしてんだか理解不能だよ。もう開き直っちゃうけどさ。


「沙綾ちゃんにしか勃たないんだから、沙綾ちゃんと付き合えたらご褒美以外の何物でもないでしょ。というか、沙綾ちゃんと付き合えないことのが罰ゲームだよ。俺、一生Hできなくなっちゃうじゃん」


 何ヤル気満々な口ぶりではなしてるんだよ、俺?! もう、笑って誤魔化すしかない。


 いつもなら視線の合わない沙綾が、あまりな内容にポカンとして昴の顔を

 見ている。


 大丈夫だよ(何が? )、すぐには襲わないから!


「沙綾ちゃんを好きになったせいで、沙綾ちゃんにしか勃たなくなったんだから、しっかり責任とって貰わないとだね。ということで、今から恋人同士ってことでよろしくお願いします」

「ヘッ? 」


 昴は右手を出して、オロオロしている沙綾の右手を持ち上げて両手で握りしめる。答えは「はい」か「YES」しか受け付けたくないですという気持ちをこめてしばらく無言でニギニギする。


 手も握られたくない相手だったら、すぐに振りほどかれて「ごめんなさい」って言われるだろう。振りほどかれないということは、期待しちゃっても良いってことだよね?


「友達から……ではなかったでした?」


 沙綾がボソリとつぶやくと、昴は唇を拗ねたように尖らせる。


 そりゃね、友達から始めるって言ったけどさ、恋人って名目は欲しいじゃんか。もの凄〜く頑張って、中学生みたいなピュアな恋愛から始めても良いとは思ってますよ。長い将来見越してのお付き合いだからさ。あ、俺の中学時代、ドロドロのグチャグチャだったなぁ。ピュアって何だろう? 初恋ならピュアかな。


 初めての恋愛を思い出そうとして愕然とした。今まで27年間、記憶のある中で好きになった異性(同性も含め)など存在したことがなかったのだ。


 ヤバイ、これ、もしかして俺の初恋か?!


 経験値だけはバカ高い昴が、遅すぎる初恋を自覚した瞬間だった。


「うーん、その返しがくるかぁ。なら友達兼恋人ってことで。おいおい友達兼を外していこう……ね?」


 再度首を傾けて「ね? 」と、良いよね? という意味で聞き返すが、沙綾は「うん」と頷いてくれない。恥ずかしいとかそういうのでもなさそうで、何かを言おうとして黙るを繰り返している。


 ごめんね、気長に待つよって言ってあげられなくて。でも、あと一時間でも二時間でも待つから今日中に返事をください。




 

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