第2話 浅野昴という男

 ベッドに広がる長くて艷やかな栗色の髪、なだらかな背中の曲線から細くしまったウエスト、ハリのあるヒップ、ムッチリした太腿から細く長い足が伸びている。明らかに事後を漂わせる女性を横目に、男はワイシャツの袖に手を通した。


「……昴、次はいつ会える? 」


 気怠げな様子で、起き上がるのも億劫らしく、女は顔だけ昴の方へ向けてきた。女に無駄に絡まれないように抱き潰した昴は、全く疲労を感じさせずに穏やかに微笑んだ。


「いつかな。しばらくは仕事が忙しいかもしれないね」


 浅野昴あさのすばる27歳、有名国立大学卒業、大手企業の営業でニ年連続営業成績トップのエリート会社員だ。しかも見た目も極上。180センチに少し足りない身長に、細マッチョな体格、モデル並に整った顔は優しげなイケメンだ。口調や態度も穏やかで、誰が見ても好印象間違いなしの超、超、超優良物件だと思われている。

 が、実際の昴はというと、優しげな雰囲気を醸し出しているだけで、打算的で女性は金づるもしくは性欲を発散する道具としか考えていない最低男だった。


 昴の生い立ちを考えると、ある程度しょうがないのかもしれないが……。


 昴の母親は、10代で誰の子かわからない昴を身籠り、墮胎するお金がない為昴を産み落とした。男にのめり込むと昴のことは完全放置で、昴は食べ物を得る為に外面を良くし、近所の大人に擦り寄ることで食べ物を得ていた。

 中学の時、当時母親は男と同棲していたのだが、その男もろとも昴を捨てて行方をくらました。その男は、中学高校までは昴に住居を提供してくれ、また昴に金の稼ぎ方を教えてくれた。

 いわゆるパトロンのゲットの仕方だ。お金持ちの婦人を数人紹介してもらい、男には(生活費という名目の)手数料を支払い、生活費と学費を荒稼ぎした。

 大学に入学する時に、パトロンの一人からお祝いだとマンションを貰ったので、その男との縁はそこで切れた。

 就職し、自分で稼げるようになると、寝ることを要求されない太客のみ残してあとはきれいに別れ、たまに抱ける後腐れのない女だけ相手にした。


 この女も、そんな後腐れない女の筈だったのだが、最近頻繁に会いたがったり、他に女がいるんじゃないかと探ってきたり、かなりウザい存在になってきた。身体だけならかなり具合がいいのだが……。


「嘘ッ! この間、派手な女連れて六本木にいたわよね」

「いつ? 」


 女なんか知らないという体でヤンワリとした口調で聞くが、実際はどの女か検討がつかないだけだった。派手な女、この女もそうだが、昴と関係を持っているのはだいたいにして派手めな美人が多い。


「先週の金曜日、私が会いたいってメール無視した日よ」

「無視したんじゃないよ。あれは得意先の接待。だから連絡取れなかっただけだよ」


 実際はこの女以外のセフレと会っていたのだが、害のない笑顔でしらを切る。昴はスーツをきっちり着込むと、ベッドに座って女の髪の毛にキスを落とした。


「また連絡するから、ゆっくり寝てから帰って。お休み」


 昴からは連絡する気などサラサラないし、着信やラインも無視する未来しかないのだが、いかにも離れがたいという素振りで女に別れを告げる。


 パトロン相手でも、セフレ相手でも、昴は一晩過ごした相手はいなかった。それが唯一の特別な相手ではないという意思表示であり、昴なりのケジメだった。


 ★★★


 25を過ぎた時くらいから、昴は将来のことを考えるようになった。今は好きな時に気の向いた女を抱き、それなりの企業で生活ができる程度の給料(普通なら高給取りに入るが、パトロンのいる生活が長かったせいか、金銭感覚が少し鈍磨しているかもしれない)を貰っているが、この生活がいつまで続くかわからない。会社が倒産するかもしれないし、いきなりのリストラだってあり得る。

 そして、自分は日々年齢を重ねている。

 つまり、いつまで需要があるかはわからない訳だ。今の仕事がなくなった時、もしパトロン達にさえ見向きがされなかったとしたら、幼少期のような常時飢えて貧しい状況に耐えられるといえば……、絶対に無理だ。

 最終手段、会社にもパトロンにも頼らない人生設計、つまり逆玉だ!


 今まで培ってきた女を手玉に取る技術と、この磨き上げた容姿で、初なお嬢様の心をガッチリとゲットしてやる。この際、人選の吟味は最重要課題となる。お嬢様をゲットしても、老化と共に将来浮気されて離婚されたらたまったもんじゃない。派手で綺麗な男好きのするような令嬢は却下だ。同様に男が寄ってくるような可憐で儚げな令嬢も駄目。かといって不細工だったりゴリラのように逞しい令嬢は勃つ気がしないから無理。どうせなら、微妙に男にスルーされる普通の容姿で、地味で世間慣れしてない令嬢が良い。

 どこかに壁の華になっている地味〜な令嬢はいないだろうか?


 こうして浅野昴の逆玉婚活が始まった。

 そして、上司から声をかけられた他業種との親睦会という名目のお見合いパーティーに参加したのである。昴にしたら、他業種との親睦はついでで、ガッツリ地味嬢ゲットの為の狩り場となる筈だった。


 パトロンから貰った某有名ブランドのオーダーメイドスーツを着た昴は、まず会場に入って参加男性の動向に目を向けた。そこそこのイケメン揃いだが、イケメンだからかがっついて女性に声をかけるような男はおらず、男性で集まって名刺交換していたり、複数の男女で歓談していたりと、和やかな雰囲気を醸し出していた。明らかに華やかな美女の周りには男性が群がっているが、昴はその手の女には興味がないので、是非とも沢山の男性を惹きつけて昴が探し求める女性の競争倍率を下げて欲しいものだ。


「こんにちは、はじめまして」

「ああ、はじめまして」


 地味嬢を探していた昴は、真横から話しかけられて、ついいつものように愛想良く爽やかな笑顔を浮かべて返事をしてしまった。見ると、落ち着いた茶色の髪の毛を綺麗にアップして、赤いセクシーなドレスを着た、いかにも自分に自信があります! というのが表情にありありと浮かんでいる女性が立っていた。


わたくし財恩寺雅ざいおんじみやびと申します」

「浅野昴です」


 財恩寺……とは財恩寺グループの縁者だろうか? まさにお嬢様。しかし、それなりに整った容姿に、自分から男に声をかけられるくらいの積極性を持っているとなれば、昴の狩りの対象にはなり得ない。


「浅野さんはどちらにお勤め? 部署は? 」


 ガンガン攻めてくる雅に、昴は内心辟易しながらも、笑顔で返答していく。営業成績や年俸を聞かれた時は僅かに眉を寄せたが、多分不快感は相手に覚らせなかっただろう。連絡先を聞かれ、パトロン•セフレ用のスマホのラインIDと番号を教えた。飲み物を飲みたいという雅に赤ワインを持ってきて手渡す。自分用に持ってきたワインに口をつけつつ、いかにしてこのご令嬢からトンズラできるか思案した。


 ワインを半分くらい飲んだ時、奇声と共に背中を凄い勢いで引っ張られた。そのせいで持っていたワインを溢してしまい、ズボンの裾にワインが跳ねた。


「キャッ! 」


 雅はかろうじて被害はなさそうだ。靴のつま先にワインがかかっているが、拭けば取れるだろう。昴はサッとハンカチを取り出すと、屈んで雅の靴を拭った。

 セーフだ。跡にはなっていない。

 ホッとして立ち上がり、雅に汚れなかったんだから文句を言うなよという気持ちをこめて笑顔を向けた。


「大丈夫そうですね」

「ありがとうございます。私は大丈夫です。でも昴さんが。私、今日このホテルに部屋をとっているんですの。どうぞそこで着替えをなさって。クリーニングに出せば、明日の朝には出来上がりますわ」


 御令嬢の割にはしたない。つまりは部屋に着て泊まれと誘われているんだろう。少し上気して潤んだ瞳で見上げられ、苦笑しか浮かばない。


「別にこれくらい大丈夫ですから」

「だって、そのスーツ50万以上しますわよね? 染みになってしまってからでは遅いですわ」

「ヒッ……」


 後ろで息を飲む音がし、そこで改めて原因となった事柄に思い当たる。後ろから激突? されたんだ。いや、掴まれた?

 振り返ると、床に膝をついた女性がそこにいた。大丈夫ですか? と声をかけると、俯いていたがプルプル震えながら恐る恐る顔を上げた。

 やや小柄で痩せても太ってもいない、見た目普通、いや少し頑張っちゃった感満載で、ピンクのドレスに着られてるような女性。

 ザ•地味!


 まさに昴が求めている女性像にドンピシャリ。これで家柄が良くて裕福なら言うことはない。


「あら、美和子さんの姪御さんじゃなくて」

「美和子さんとは? 」

「このパーティーの主催者ですわ」

「Wネットの社長の? 」

「そうですわよね」


 ピンクドレスの女性に手を差し伸べたが、首を小刻みに横に振られ、彼女は自力で立ち上がってドレスの裾を整えた。


「はい。あの、私……転んで。掴まったのが……その」


 小さな声でボソボソ言っているが、Wネットの姪ということは否定した様子はない。確かWネットの社長は昴の勤める会社の社長の親族だった筈だ。昴の会社の社長の一族が多方面で活躍しているのは有名な話で、この地味な女性も神崎一族の一員ということは、かなりな家柄で裕福な家庭のご令嬢で間違いない。


 昴は狩りのターゲットを見つけて、こみ上げる笑みを隠すのに必死だった。


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