第54話 五人目の幼馴染


 もう常識では説明のできない事がいくつも起きている今では、その事実を疑う気力もない。


「どうして……」


 ほぼ全ての気力を奪われて、それでも僕が口を動かせたのは、最後の抵抗だった。


 もう疑いようがないというのに、なんとか恵里香の言葉を否定したくて、最後の悪あがきをする。


「どうして今更こんな事したの? 十年前に、かくれんぼをした時に皆連れて行けばそれでよかったんじゃないの?」

「優君は勘違いしてるけど、私は誰も連れて行ってないよ」

「……どういう事? さっき自分で皆を殺したって言ってたじゃないか」

「そうだよ。殺したの。だから連れて行ってないよ」


 そこまで言われて僕は理解した。


 神様に連れて行かれるという事が、単に死ぬ事ではないという事に。


 そして、皆は単に殺されたという事に……。


「あんな人達いらいない。私が欲しいのは、優君だけだから」


 可愛い幼馴染から言われた言葉。


 こんな事になる前に恵里香から今の言葉を言われていたら、きっと僕は胸が高鳴って顔を赤らめていたに違いない。


 けど、今は心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを感じただけだった。


「けど優君はいつも鬼だったから、連れていけなくて困ってたんだ。で、それならこっちで優君の傍にいればいいのかなって思ったの」

「……どうしてそんなに僕のこと」

「だって、優君には誰もいなかったじゃない」


 鷲掴みにされていた心臓を、そのまま握りつぶされたような気がした。


「友達も、心配してくれる親も、優君の周りには誰もいなかった。だからね、きっと私だけを見てくれると思ったの」


 そうだ。僕には誰もいなかった。


 親友だと思っていた幼馴染は、本当は僕を虐めていて、父さんは昔から僕を放置していた。


 この世界には、僕を大切にしてくれる人なんて一人もいなかったんだ。


 それが恵里香が隠していた一つ目の真実。


「じゃあ、僕の中にまったく違う皆との記憶があるのも、恵里香のせいなの?」

「そうだけど、そんな言い方ないと思うな。私は優君のためにやったんだから」

「僕のため?」

「こっちで生活するなら虐められてる優君が可哀そうだと思って、皆を少しいじったんだよ。私がいろいろしたのは、全部優君のためなの」


 そう言って僕を見つめる恵里香の瞳は、慈愛に満ち溢れていた。


 その瞳を見ているだけで、心地よい安心感を感じる。


 もう何も考えず、ただ恵里香に身を任せていれば自分は何もしなくてもいいような気がした。


 恵里香だけが僕の味方。


 恵里香だけが僕の事を大切にしてくれる。


 喩え恵里香がどんな事をしていたとしても、それは全て僕のためにしてくれた事。


 本当に僕の事を考えてくれるのは恵里香しかいない。


 この世で僕に必要なものは、恵里香だけ。


 優しく微笑んでいる恵里香は本当に綺麗だった。


「ねぇ優君、これでちゃんと分かってくれた? 優君があの三人の事を考える必要なんてもうないんだよ?」

「……そう、だね」


 僕が答えると、恵里香が口角を上げて笑う。


「もうあの三人なんてどうでもいいでしょ?」

「……うん」

「じゃあもうこの世界に未練なんてないよね?」

「……そうだね」

「これからは、私だけを見てくれるよね?」

「もちろんだよ。だって――」



「――だって僕には恵里香しかいないから」


 僕の答えを聞いて、恵里香は満点の笑みを見せてくれた。


 それが僕には本当に嬉しかった。


 だって僕は恵里香のために生きているのだから。


 恵里香が喜んでくれるなら、僕には他に何もいらない。


 クラスメイトも、父さんも、翔也も、神奈も、一真だって、僕には誰も必要ないのだから。


 戻って来た恵里香が手を差し出してくれる。


 僕はその手につかまろうとして、




『オレだって自分がどうしてあんな事しちまったのか分からねぇんだ!』


 そんな一真の言葉を思い出した。


「……どうしたの優君?」


 固まった僕を見て恵里香が首をかしげる。


 だが、僕は今それどころじゃなかった。


 あの時は意味が分からなかったあの言葉は、今考えてみれば、誰かに操られていたと考えられるのではないだろうか。


『あいつらが勝手に盛り上がって、オレたちにもどうしようもなかったんだよ! 止められなかったんだ! 何度言っても聞かねぇんだ!』


 そうなるくらい学校中の生徒が僕を虐めたのは、誰かに洗脳されていたからじゃないのか。


『翔也が何であんな事を言ったのかも分からねぇし! オレは本当はあんな事するつもりなかったんだ!』


 翔也が急に心変わりしたのは何でなのか。


 一真が咄嗟に翔也を殺してしまったのは……誰かに操られているからじゃないのだろうか。


 普通なら考える事すら馬鹿馬鹿しい想像。


 けれど、今僕の目の前には、そういう事ができる存在がいる。



 そんな考えが浮かぶと同時に、僕は今までの自分の思考を思い出して寒気を感じた。


 まるで誘導されているかのように、僕は恵里香の事しか見えなくなっていなかっただろうか。


 心の中で恐怖と疑問が同時に湧き上がる。


 今、僕は身体中から汗が止まらなかった。


「優君大丈夫?」

「ねぇ恵里香……恵里香が記憶をいじれるなら、どうして三人はまた僕を虐め始めたの?」

「え?」


 それは、恵里香の話しを聞いた時、初めから心の隅で感じていた疑問。


 沢山の人を操って見せた恵里香に記憶をいじられていたのに、どうして三人は今になってまた僕を虐め始めたのだろうか。


 そんな事、本当なら自分の意志ではできなかったはずじゃないだろうか。


「ねぇ、どうして?」

「……さぁ、性格が悪すぎて矯正出来てなかったのかな?」

「……恵里香は記憶をいじれるんでしょ? だったらさ、僕が今思い出した記憶も、新しくつくれちゃうんじゃないの?」


 そう聞いて顔を上げた時、恵里香の顔からは笑顔が消えていた。


 それでも僕は気にしない。まだ気になる事があるからだ。


「それにあの日、四人でかくれんぼしたのは何で、意味のないあんな事をさせたのはどうしてなの?」

「……あれも優君のためなんだよ。かくれんぼは私が適当に考えただけで御札とか儀式に意味はないの。だから本当はあんな面倒な事しなくてもよかったんだ。けど、学校で神奈ちゃんを殺そうとした時、優君が庇って怪我しちゃったでしょ? それで私反省してね。どうにかして優君を二人から引き離す方法を考えたの。変な事させてごめんね。でも全部優君のためにやったんだよ。お願い、私を信じて!」


 上目遣いで懇願してくる恵里香。


 普段なら可愛らしいと思えたその姿。けど、今の僕にはその仕草がどうしてもわざとらしく見えた。


 恵里香は全てを説明しているようで、何かを隠している。


 今になって僕の疑いは確信に変わろうとしていた。


「信じられないよ!」


 僕は恵里香を力一杯睨みつけた、




 はずだった。


「信じるよ」


 けれど、実際に僕の口から出た言葉は思いもしていないものだった。


 自分で言ってしまった事に驚いていると、目の前にいた恵里香が見た事もないような顔で笑った。


「ありがとう優君。私がやった事は全部優君のためだから、何をしてても許してくれるよね?」

「……許すよ」


 また勝手に口が動いた。


 思ってもいない言葉が勝手に飛び出してしまう。


 困惑しながらも、僕は自分の言葉を咄嗟に否定しようとしたけれど、でもそれは無駄だった。


 自分の意志がまるで消えて行くかのように、僕は意識が朦朧としてきた。


 霞む視界の中で恵里香が笑う。


「あのかくれんぼはね、本当はちゃんと意味があるの。いつも鬼だった優君に隠れてもらうっていう大切な意味がね」


 辛うじて残っていた思考でその言葉の意味を考える。


 つまり僕は、連れて行かれる条件を満たしてしまったということなのだろう。


 そう考えている間にも自分の意志が消えていく。


 段々と思考が出来なくなる中で、僕はやっと悟った。


 たぶん、もう手遅れなんだ。


 あの日、かくれんぼをした日からすでに。


「改めて聞くよ、優君は私の事を信じてくれるよね?」

「……うん」

「私の事だけを見てくれるよね?」

「……うん」

「これからもずっと一緒にいてくれるよね?」

「……うん」


 また目の前に差し出される手。


 最後に残った自分の心が、その手を掴んではいけないと警告を発している。


 けれど、それも段々と小さくなっていき……。


 朦朧とした意識の中で、僕は五人目の幼馴染のひんやりとした手をしっかりと掴んでいた。

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