第27話 すり寄って来る危険②


 昼休みはいつもの中庭に行き、二人きりでお弁当を食べた。


 いつもは五人で……最近は四人で座っていた二つ続きのベンチが、二人だけだとやたらと大きく感じる。


 湿度が高くじめじめしていた空気は、風がよく吹いてくれたおかげでそこまで気にならない。


 天気はよくないけれど、最近の陰鬱な雰囲気が嘘のように安らげる時間だった。


「あ、そのちっちゃいハンバーグ美味しそう」

「一個あげようか? その代わり、優人のおかずどれかと交換ね」

「僕のお弁当、全部冷凍食品だけどいいの?」

「問題なし、交渉成立ね。じゃ、はい、あ~ん」

「ぅえ⁉ いいよ、自分で食べるから!」

「え~何恥ずかしがってんの?」

「いや、普通にはずかしいよ。それに神奈のお箸だし」

「間接くらいで何よ。このくらいいつもやってるでしょ?」

「いや、それはそうなんだけどさ」

「じれったいなぁ。アタシらの仲でしょ、ほら、あ~ん」

「うっ……あ~ん」


お弁当のおかずの交換なんてこれまで何度もしてきたけれど、今日は何だか変に意識してしまう。


 きっと二人きりのお昼という珍しいシチュエーションのせいだと思うことにし、美味しそうなハンバーグを食べさせてもらう。


 あれだけ美味しそうに見えたハンバーグは、残念ながら変に意識したせいで味がよく分からなかった。


「じゃあ次は優人があ~んで食べさせてね」

「えぇ⁉ 僕もやるの⁉」

「当たり前でしょ? アタシだけ食べさせてもらえないなんて不公平じゃない」

「そうなのかもしれないけど、どうだろう?」

「ほらほら、そのミートボールを早く頂戴! ねぇ早く」

「うん分かった! 分かったから落ち着こうね!」

「んじゃ……あ~ん」


神奈が目の前で口を開けた。


 何故か目を閉じていてじっと待っている。ちょっとだけ開いたままの口に目を奪われていたけれど、神奈が物欲しそうに身体を揺らした事で我に返り、僕は急いで卵焼きを神奈の口に突っ込んだ。


「ん~、まぁまぁね」

「……それだけは僕の手作りなのに」

「え!? ちょ、ちょっと待って! 冗談だから!」

「……ふふっ、神奈慌てすぎだよ。僕料理なんてできないから冷凍食品に決まってるでしょ」

「ちょっ⁉ 酷くない? かなり慌てたんだからね!」


 慌てる神奈が可愛らしくて思わず吹き出す。


 神奈もすぐに笑い出して、僕たちはしばらく二人で笑いあったていた。


 こんな軽いやり取りが何よりも日常を感じさせてくれる。


 最近は身の回りで起きる事件に振り回されてしまい皆が疲れ切っていた。


 いつも見ていた笑顔、久しぶりに見たそれはとても綺麗で、いつまでもこの笑顔を守りたいと強く思った。


「はぁ~、ちょっと休憩」


 神奈がピッタリと身体をくっつけてきて、僕の肩に頭を預けて来た。


「神奈? どうしたの?」

「ん~、ちょっと疲れたから」


 眼を閉じたままの神奈の声は少し眠そうだ。


 最近心から休めてはいないのだろう。今だけでもゆっくりしてほしいと思った。


 身体に感じる温かな感触と、すぐ近くにある髪からいい匂いが僕にとっても心地よくて、こんな時間がいつまでも続いて欲しいと切に願う。


「優人……ごめんね」

「へ? なにが?」


 急な謝罪の意図が分からず質問する。けれど神奈は目を閉じたままで、僕の質問に答える気はないようだ。


「別に、何でもない。それよりさぁちょっと眠くなってきたから頭撫でて」

「もぅ、王女様にでもなったの?」


 なんとも気ままな神奈に呆れながらも、僕は言われた通りに頭を撫でる。カーキベージュ色の髪はサラサラとしていて気持ちよかった。


「ん~上手いねぇ、褒めてつかわす」

「それはどうも」

「ちっちゃい頃はさぁ、アタシらインドアだったから、よく二人だけで一緒にいたよね」

「そうだね~。本読んだり、ゲームしてたね。で、アウトドア派の三人に付いて行っては外でも本読んだりしてたね」

「そうそう、ホント懐かしいよね」

「そうだね」

「毎日が、こんなふうに幸せだったらいいのにね」

「……そうだね」


 ゆったりとした風が僕たちを撫でるようにふいていく。

 

 二人だけの静かな時間。


 伝わってくる温かい感触がとても愛おしく感じる。


 このまま時間が止まって、一真と恵里香……翔也もこの場にいてくれたら僕はもう何も望まない。


「もうちょっと、このままで……」


 やっと心から安心できたのだろう。寄りかかって来ていた神奈が静かに寝息をたてはじめた。


 僕はなるべく動かないように気を遣って、昼休みが終わるギリギリまで神奈の寝顔を眺めていた。



 心安らげた昼休みのあとも何事もなく平凡な時間が続いた。


 教室に戻ってからも異変はなく、神奈が視線を感じることもない。相変わらず僕は無視されているだけで、そんな些細なことはもうどうでもよかった。


 全ての授業が終わりクラスメイトたちが教室から出て行っても、僕たちは遅くまで教室で喋り続けた。


 僕も神奈も何も起こらない時間が嬉しくて、少しでもこの時間を満喫したかったのだ。


 誰もいない教室で、誰に気を遣うこともなく、二人だけの世界に浸る。


 けれど楽しい時はあっという間で、気が付けば外はすっかりと夕焼けで朱色に染まっていた。それを見て僕たちはしぶしぶ教室を後にする。


 いくら今日が最近では珍しく穏やかな一日だったとはいえ、流石に暗くなってから外を歩く気分にはなれなかったからだ。


 廊下を歩いていると、校庭からはまだ部活動に励む生徒たちの声が聞こえてくる。何気なく窓の外を見れば、野球部が気合の入った声を出して練習している様子が見えた。


「優人~、授業疲れた~歩いて帰りたくないぃ」

「はいはい、荷物持ってあげるから頑張ってってば」

「お、いいの? 流石優人!」


 待ってましたと言わんばかりに元気になった神奈から荷物を受け取る。


 いいように使われている自覚はあったけれど、それでも神奈が笑ってくれるなら安いものだった。


 はにかむような神奈の笑顔。


 最近すっかりと見ることができなかった、その大切な笑顔、


 その向こう側。


 校庭に面した窓の向こうに何かが見えた――。





 咄嗟に神奈を抱き寄せる。


 その瞬間、窓ガラスが砕け散って神奈を庇った右腕が熱くなった。


 窓を割って侵入してきた物体が神奈の頭をかすめていき、そのままの勢いで壁に当たって床に落ちた。


 それは野球の硬式球だった。


 壁はボールの形に凹んでしまっている。


「嫌ッ⁉」


 嘆きに近い短い悲鳴を上げた神奈は僕の胸に顔を埋めて震えている。


 脳が段々と状況を理解して僕も手が震えた。


 もし抱き寄せるのが少しでも遅ければ、神奈はいったいどうなっていただろう。


 ボールの当たった壁の凹みに目を向ける。頭が陥没している神奈の姿を想像してしまい、慌てて嫌な妄想をかき消した。


 壁から目をそらすと、今度は僕たちのすぐ近くまで散らばっている割れたガラス片が目に入ってきた。


 さっきから酷く熱い左腕を見れば、ぱっくりと避けた皮膚からは、少なくない量の赤い液体が流れだしてしまっている。


 ただそんなことはどうでもよかった。


 もし僕の腕じゃなく神奈の頭にガラス片が当たっていたら、いったいどうなっていただろう。


 沢山のガラスが突き刺さり、血だらけで倒れている神奈が見えた気がした。


 嫌なのに脳が勝手に見たくもない映像を作り出してしまう。


 大切な幼馴染の悲惨な姿は想像とはいえ、僕には刺激が強すぎた。


「ぅ、ぅう、う」


 恐ろしさに負けて、上手く声が出せない。


 自分たちが危険な目に合ったというのはもちろん。何よりも怖かったのは、このボールそのものだ。


 だって、いくら校庭で野球部が練習していたとしても、校舎にボールが飛んでくることなんてあり得ないからだ。


 校庭と校舎の間には事故防止のために高いネットが張られていて、しっかりと空間が区切られている。


 だからこそ野球ボールが校舎に飛んでくることは、本当ならあり得ないはず。


 しかも、いくら硬式球とはいえ、窓ガラスを割ってその上壁にめり込む程の跡をつけるだなんて、いったいどれほどの威力があったのだろうか。


 ガラスが割れた音が聞こえたのだろう。遠くから騒がしい声が聞こえてくる。


 僕と神奈は、教師や他の生徒が駆けつけてくるまで、その場を動くことが出来なかった。

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