第42話 三人目①


「ぁ、あ、ぁあ」


 自分が見ているその光景は到底信じられるようなものではなかった。


 軋むような音を立てて部屋の中心で揺れているのは……僕の大切な幼馴染だったもの。


 せっかく僕が急いでやってきたというのに、まるで無視でもしているかのように反応がない。


 しかもふざけているのか、顔には形代をお面のようにして貼り付けている。


「……こんな時に何やってんの?」


 少し待っても当然のように返事は返ってこない。


 無視されるのは少し寂しいけれどそれも仕方ないことだった。


 顔を見なくても分かる。どう見ても、もう死んでいるのだろう。


 だらしなく垂れ下がった腕や足はピクリとも動かない。


 そんな事が分かってしまう自分が嫌になる。


 幼馴染がまた死んでいるだなんて、理解はしても受け入れたくはない。


 これは演技で僕が泣き出したら、笑って動き出してくれるのではないだろうかと本気で思いたい。


「ねぇ、僕もう泣いてるからさ、ほら、だから演技はやめてよ」


 近寄って自分の顔にライトを当ててみせる。


 無駄だった。


 ぶら下がったままのそれは、僕の存在を意にも介さない。


 顔が形代で隠れているとはいえ、僕にはそれが誰かなんてすぐに分かっていた。


 彼女が生きているのなら、僕が泣くまで悪戯なんてしないだろう。


 つまりはもう、彼女は死んでいるのだ。


 揶揄うように抱き着いてくる事はもうない。


 気だるげな表情ももう見れない。僕を見るとわざわざ笑いかけてくれることもない。


 彼女はもう何もしない。



 神奈はもう死んだのだから。



「神奈?」


 たまらずまた呼びかけた。


 神奈が死んでると分かっていて、それでもその事実を受け入れたくはなかった。


 もちろん神奈は何の反応もしてくれない。


 当たり前だ。だってもう死体になっているから。


「無視しないで」


 身体に触れてみる。


 いつもは抱き着かれたり、腕を組まれたりするとその温かさにドキドキした。


 けれど今の神奈は冷たかった。揺さぶってもされるがまま、軋む音が激しくなるだけだった。


「あぁ、これ、神奈じゃないかも」


 そうであったらいいなと思った。


 自分の中にある確固たる感覚を否定したかった。


 正体を確認するため顔に張りつけられていた形代を取り外すと、その下から現れたのは、無残に歪んだ神奈の顔だった。


 相当苦しかったのだろう。綺麗だった顔は見る影もなく、見開かれたままのその瞳には、明らかな驚愕の色が残っていた。


 いったい最後に何を見たのだろう。こんな顔、いつもの神奈なら絶対にしないと言い切る自信がある。


 けれどどんなに醜く歪んでいても、神奈の顔を見間違えることはない。僕たちはそれだけ長い付き合いだから。


 たとえどんなに血色の悪い顔をしていても、たとえ普段なら絶対しないような顔をしていても、これが神奈だと分かってしまう自分が嫌だった。


「…………降ろしてあげないと」


 段々と変に冷静になってきた僕は、慌てて神奈を降ろしてあげなければと思った。


 涙はすぐに引っ込んでいた。例えどんなに頭で神奈が死んだと理解していても、絶対に心では受け入れたくないからなのだろう。


 そんな事よりも僕が焦っていたのは、首吊り死体がそのまま放置されるとどうなってしまうのか知っていたからだ。


 と言っても実際に見た事があるわけじゃない。ただネットにはそういう話しが沢山転がっている。


 とにかく、このままでは神奈が大変な事になってしまう。そうなる前に降ろしてあげなければならないだろう。


 だって神奈は、綺麗な僕の自慢の幼馴染なのだから。



 それから四苦八苦してなんとか神奈の身体を降ろすことに成功した僕は、とりあえず恵里香のベットに神奈を寝かせてあげ、その場に座りこんだ。


 かなりの疲労で全身が重く気だるい。


 こんな事を言ったら神奈に怒られてしまうかもしれないけれど、まったく力の入っていない人間の身体は想像以上に重いものだった。


 座り込んだまま神奈の死体を眺めている僕の頭に、ふとガマズミ様の事がよぎった。


 すっかりと気を抜いてしまっていたけれど、よくよく考えれば神奈をこんな姿にした神様がまだ近くにいるかもしれないのだ。


 それに恵里香だってまだ見つけていない。


 まだ休んでいる場合じゃなかった。


 そう考えた瞬間、ポケットに入れていたスマホから着信が鳴り響いて心臓が止まりそうになった。


 意味もなく周りを見渡して、音を止めようと急いでスマホを取り出すと、スマホの画面には一真の名前が表示されていた。


 着信を切ろうとしていた指を止める。


 一真からの連絡と言う事は、もしかしたら恵里香が無事に着いた知らせかもしれない。それだけはすぐにでも聞いておきたかった。


「もしもッ」

『助けてくれ!!!』


 僕の声をかき消すように、向こう側から叫び声が聞こえた。

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