第36話 かくれんぼ①


 マンションの部屋に着いた僕たちは、道中の疲労が限界に達して床に倒れ込んだまま眠ってしまっていたようだった。


 目が覚めると窓から見える景色はすっかり暗くなっていて、スマホを付けて確認するとどうやら二時間ほど眠ってしまっていた事が分かった。


 僕が何よりも慌てたのはスマホに着信が何十件も入っていたことだ。


 それは全て神奈と恵里香からだった。


 少し離れたたところでは、寝てしまう前のおぼろげな記憶の通り姿で一真が眠っている。きっと一真のスマホにも鬼のような着信が入っているに違いない。


 どちらも寝ていて電話に出れなかったからさぞ心配をかけてしまったことだろう。


 僕は少し気おくれしながらも、最後にかかって来ていた神奈にかけなおした。


『優人!!』


 神奈の声が響いたのはワンコールが終わる前だった。


バカでかい声に思わず耳元からスマホを離すと「うっ」と唸って一真が起きた。


『生きてるの⁉ 無事なの⁉ 何なの⁉ 何で連絡しても出ないの⁉』


 口をはさむ暇もなく神奈の叫びが流れてくる。


 それを聞いて一真も一瞬で目が覚めたらしい。自分のスマホを確認して、日中とは違う意味で顔を青ざめさせていた。


 きっと僕と同じで何度も入っていた着信を見て慌てているのだろう。


「神奈ごめん、途中でいろいろあって」

『色々ってなに⁉』

「最初にこれだけは言っておくけど僕も一真も怪我はしてないから、それを前提に聞いてね……一真のマンションのエレベーターが落ちたんだ。乗ってたら間違いなく、その、危なかった」


 向こう側で息をのむ音がした。


 まくしたてるように喋っていた神奈が沈黙してしばらく経ったあと、ただ一言「無事でよかった」と呟くのが聞こえた。


「ごめんね。外ではずっと緊張してたから、僕の部屋について安心したら気が抜けたみたい。一真も僕も寝ちゃってたよ。ホント心配かけてすみませんでした」

『……いい。生きてたから許す』

「ありがたき幸せです」

『もうそっちも安全なんだよね?』

「うん。部屋閉め切って御札を貼ってるから大丈夫だよ」

『よかった……ちょっと待って、恵里香にも変わるから』

「わかっ――」

『優君!』


 ずっと傍で待機していたのだろう。僕の返事を遮るようにして恵里香の声が聞こえてきた。


「恵里香、心配かけてごめんね」

『まったく、神奈ちゃんと私がどれだけ心配したかわかる?』

「お許しください恵里香様。一真も僕も限界でつい」

『心配をかけた罰として、私に何か奢ってくれたら許してあげる』

「うっ……したたかだね」

『女は皆そうなの』

「わかったよ。お互い無事に二日間終えたらね」

『ふふ、約束だよ。今後は何かあったらすぐ連絡してね』


 僕は生き残れた後にも何か大変なイベントを作ってしまったかもしれない。


 その後は恵里香との会話を聞いていた神奈が騒ぎ、恵里香と同じ約束をしてなんとか落ち着いてもらって一度電話を切った。


「大変だなぁ」と少しニヤついてこちらを見ている一真に「同罪だって」と伝えると、一真はニヤけていた顔を引きつらせて膝から崩れ落ちていた。




 あれから、かくれんぼの初日はそのまま何事もなく過ぎた。


 神奈たちと電話をしたあと、僕たちは交代でシャワーを浴びてまた眠りにつき、目が覚めた時はすっかりと朝になっていた。


 晴々とした夏空の広がる外の様子は見ているだけでも元気をくれそうな程明るかったけれど、僕たちは念のためカーテンを閉め切って過ごした。


 そこまでする必要ないのかもしれない。けれどもし、窓の外に何かが立っている姿が見えたらと考えると、とてもカーテンを開ける気にはなれなかった。


 電気もつけず、薄明るい室内でじっとしているだけ、少しでも気を紛らわせるためにつけっぱなしにしていたテレビでは、ちょうど夏の高校野球の特集をしていた。


 こんなものを見てしまうと翔也の事をどうしても考えてしまう。


 うちの学校の野球部は県大会で負けてしまったけれど、あの時の翔也は本当に充実した顔をしていた。きっと自分の力を出し切ることができたのだと思う……僕とは大違いだ。


 どうして役立たずの僕がまだ生きていて、頼りになる翔也が死んでしまったのだろう。


 そんな暗い思考に囚われそうになりながら、一真と二人で興味のないその特集を見続けた。



 初めはそんな感じで暗い雰囲気満載の僕たちだったけれど、時間が経つにつれて徐々にもう安心していいという実感が湧いてきていた。


 どちらからともなく口数が増えて、お互いに笑えるようになるのにそこまでの時間はかからなかった。


 勉強道具なんか当然荷物には入れて来なかった一真とゲームをしたり、漫画を読んだりして、久々に心からリラックスできる時間を過ごし、たまに恵里香や神奈と電話をして様子を確認する。


 昼は冷凍食品の炒飯を一緒に食べた。


「美味い! スゲーな優人!」


 炒飯にがっついている一真は僕が作ったと勘違いしているらしかったけれど、そのまま訂正はしないでおいた。


 そんな緩い一日を送り、沢山あると思っていた時間も気が付けばどんどんと過ぎて行って、部屋の中でだらけているだけで早くも二日目の夜が訪れていた。


 この頃になると、僕はもう明日解放された後、どうやって夏休みを楽しもうかという事も考えられる程に余裕が生まれていた。


 部屋に着いた時にはエレベーターの件のショックで、死人のようになっていた一真も、今はテレビを見ながらだらけているし、たまに電話で聞く恵里香の声も弾んでいる。


 神奈に至ってはもう僕たちの奢りでどこに行くかを考えているみたいで、電話をしながら僕は財布の中身が心配になった。


 僕たちはみんな、このまま何事もなく時間が過ぎる事を祈りながら過ごした。



『じゃあそろそろ恵里香とご飯食べるから』

「うん、こっちもそろそろ夕飯にするよ」

『奢りの約束わすれないでよ』

「忘れないから安心してください。じゃあね」


 何度目かの神奈との電話を終えた時には、かくれんぼ二日目も終わりに近づいていた。


 電話が終わったのを見て、漫画を読んでいた一真が顔を上げる。


「そろそろオレらも食うか?」

「そうしよっか、適当な冷凍食品でいい?」

「問題なし、どうせ明日までの辛抱だろ。これが終わったらオレら二人だけでなんか美味いもん食いに行こうぜ」

「いいねそれ! 女子には内緒だね」

「あぁ、ただでさえ奢らないといけないからな、これ以上は財布がキツイ」


 何てことない会話をしながら、質素な夕飯を食べる。


 こうして一真と楽しく過ごしたのはいつ以来だろうか。随分と昔の事のように感じる。


 明日の昼過ぎまで我慢すれば、またこうして笑顔でいられる日々を取り戻せると思うと自然と会話も弾んだ。


 食後もたわいない会話は止まらない。今まで抑圧されていた分を吐き出すように一真と喋り続けた。


 そうして日付が変わった頃、僕たちはやっと寝る事にした。


 電気を消してお互いに横になる。


 けれど、目を閉じてもあれこれと考えてしまってすぐ眠れそうにはなかった。


 まず思い浮かんできたのは恵里香と神奈のことだ。


 割と頻繁にかかってきていた二人からの電話は、夕食を食べると言って切った神奈の電話を最後に、それからはかかってきていなかった。


 二人も僕たちのように最後の夜を夢中に語らっていたのかもしれない。


 二人が笑顔で語らっている様子を想像するだけで、心が温かくなってくる。実際、電話していた時の二人は見違えるように明るかった。それは一真も同じだ。


 最近は皆が笑顔を失っていた。また僕たちがこうして笑い合えるようになったのは、勇気を出して神社に行ったからだろう。


 そして何よりも、偶然出会う事ができたあのおじさんのおかげだ。


 僕たちにこの状況の解決法を教えてくれたおじさん。もし昨日神社に行かなかったり、行く時間が少しでも違っていて、あのおじさんに出会えなければ、まだ僕たちは絶望の中にいたに違いない。


 そう考えると、あのタイミングで出会えた事はまるで奇跡のようだと思った。


 あのおじさんだって毎日神社を掃除に来ているわけじゃないはずだ。


 昨日たまたま掃除に来ていて、しかも偶然僕たちが神社に行った時間とかぶっていた。


 しかもおじさんは小さい頃に『身代わりかくれんぼ』をしていて、僕たちと同じように友達を亡くしている。


 そんな過去があるから神様なんて突拍子もない、普通の人だったら正気を疑われるような話しだって、当然のように信じて一緒に頭を悩ませてくれたし、ガマズミ様という神様から隠れる方法まで知っていて教えてくれた。


 普通だったら咎めるところだろう、僕と恵里香が無理やり社殿の扉を壊したことにも目をつぶり、あまつさえ扉の修理までしてくれるという。


 こんなにいい人には生涯の中でいったい何度出会えるのだろうか。


 しかもそれだけでは僕たちに起きた奇跡は終わらなかった。


 ただの物置と化していた社殿には、しっかりとガマズミ様から隠れるための御札が保管されていた。


 しかも丁度よく二枚。


 おじさんが言うには、一枚の御札で隠れられるのは二人までらしい。社殿に御札が二枚あったのは僥倖だった。


 いや、そこまでいくとむしろ、僕たちのために置いてあったようなものだ。






 ……あまりにも、出来すぎているんじゃないだろうか。

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