第19話 形代


「なに言ってんの恵里香?」


神奈は大真面目な顔をしていた。


 むしろ少し怒ってすらいるように見える。もし相手が恵里香でなければ、ふざけないでと叫ぶくらいはしていそうだ。


 怒りの感情を隠そうともしない神奈の気持ちは分かる。僕だってこんな時に冗談は聞きたくない。ただこんな時だからこそ喧嘩もしたくはなかった。


 神奈をなだめようと僕は腰を浮かしたけれど、神奈から漂ってくる空気のあまりの冷たさに割って入るのを躊躇った。


 これだけ神奈が怒ったら、流石に恵里香も発言を撤回するだろうと思った。けれど、僕が思わず尻込みしてしまうような空気の中、当の恵里香はまったく怯んでいない。


 大真面目な顔つきのままで、その表情はとても冗談を言っているような人の顔には見えなかった。


「紙人形が置いてあったでしょ」


恵里香は神奈の気迫にひるむことなく話を続ける。


 紙人形。恵里香が言っているのは形代のことだ。紙を人型に切ってつくられたもの。


 日常生活では滅多に見る事のない形代。学校ではもちろん見たことはないし、僕がこれまでに見たのは、ほとんどが漫画とか映画の中だけだった。


 生で見たことがあるとしたら、それは『身代わりかくれんぼ』幼い頃に神社の行事で行われたその遊びに参加した時くらいだと思う。


 そんな珍しい物が、あの時翔也の死体のすぐ傍にいつの間にか置かれていた。


 最初はなかったような気がする。けれどあの時は翔也の事しか見えていなかった。僕の視界に入らなかっただけで、実は最初から置いてあったのかもしれない。


 ただどちらにしろあんな物があの場所にあったのは不思議で、それ以上に不気味なことだった。


「あれが何なの?」

「あの神社で遊ぶ時は、あの紙人形を身体に貼っておかないと寂しい想いをしてる神様に連れて行かれちゃうって言われてたでしょ。私たち、言いつけを破って神社で遊んでたから」


真顔で話す恵里香が、どんな気持ちでこんな事を言っているのかは僕には分からない。


 けれど流石に現実味がなさすぎるその話には反論せずにいられなかった。


「恵里香、今はふざけてる場合じゃないんだよ。神様なんているわけないでしょ? だいたいあの神社で遊んだのはもう何年も昔のことで、それでも今まで何も起きてなかったんだから急にこんな事が起きるのはおかしいよ」


仮に言い伝え通り本当に神様がいて、形代を付けずに遊んだ子供を連れて行ってしまうなら、僕たちはとっくに皆連れて行かれていたはずだ。


 僕たちがあの神社に行かなくなってもう十年もたっているというのに、今更何か起きたところで関係があるとは思えない。


 常識的に考えれば誰だってそう思うはずだ。


 現に神奈も僕と同じことを考えているに違いない。けれど、そんな僕たちとは対照的に、ここまで言っても恵里香は神様が存在する可能性を捨てていないようだった。


「最後にしたかくれんぼが良くなかったのかもね。行事になってるくらいだから、かくれんぼだけ特別な意味があるのかもしれないよ」

「仮にそうだとしてもさっきも言ったけど今更すぎるよ? あの時だって結局恵里香は無事だったし、あれからもう十年くらい経ってるんだよ?」

「ん~この前神社に行っちゃったからそれが何かの引き金になった、とか?」

「いや、ないよ。ない。それよりもっと現実的な事を考えないと、実際に三人が危ないかもしれないんだよ!」


正直に言うと僕は恵里香がこんな事を言うとは思っていなかった。


 翔也が死んで、もしかしたら三人にも魔の手が伸びてくるかもしれないという危険な状況に僕たちはおかれている。


 それなのに、こんなあまりにも現実味のない事を大真面目に言うなんて……冷静そうに見えて実は誰よりも恵里香が動揺していたのかもしれない。


 むしろそう考える方が自然だと思った。普通仲のいい友達の死体なんて見たら動揺しない方がおかしいのだ。


 警官との受け答えをしていた時からすでに、誰よりも冷静に見えていた恵里香の心は少しおかしくなってしまっていたのだろう。


「ねぇ恵里香、今はもっと現実的なことを考えるべきだよ。一真もそう思うでしょ?」


とりあえず恵里香には落ち着いてもらう必要があると思った僕は、黙って話しを聞いていた一真に助け船を求めた。


 皆で説得した方が恵里香もすんなりと聞いてくれると思ったからだ。


 けれど、すぐ僕に同意してくれると思っていた一真は何故か黙ったままだった。


「一真? どうしたの?」

「……一概に無い、とは言い切れないんじゃないか?」

「なっ⁉ 一真まで本気?」


これは本当に予想外だった。


 普段からオカルトになんてまったく興味がなかったはずの一真が、まさかこんな突拍子もないこと否定しないとは思ってもいなかったのだ。


「……私も、ちょっと怖いかも」

「神奈まで⁉」


さっきまで一緒に恵里香へ反発していたはずの神奈まで、まるで一真の発言に合わせるかのように意見を変えてしまった。


 いったい皆どうしてしまったというのだろうか。


 大人しい恵里香はともかく、気の強い方である二人までこうなってしまうなんて……。


 一真と神奈の性格を考えれば、普通なら神様なんて絶対に信じなそうな話なのに否定してくれない。


 確かに僕たちは神様の話を聞いて神社に通っていたかれど、それはもう十年も前の子供の時の話だ。そんなものに一喜一憂する年代はとっくに終わっている。


 もしかして三人ともショックでおかしくなってしまったのだろうか。僕はこの状況に少しだけ恐怖心が湧き上がって来るのを感じていた。


「ちょっと待ってよ皆! 神様なんて真面目に考えるだけでもおかしいよ! ねぇ一真、普通に考えてあり得ないでしょ? どうしてそんなに神様のせいにしたいのさ?」

「いや……別にそういうわけじゃ」

「だったら変な事考えるのは止めようよ! ちょっと冷静になろうよ!」

「あの紙人形さ、初めはなかったんだよ」

「……え?」


一真が漏らしたその呟きに、僕は背筋が泡立つのを感じた。


 動揺している僕に構わず、あの時の光景を必死に思い出しているのか一言一言確認するように一真は喋り出す。


「正直、オレは翔也の事を直視できなかった。だからオレはあの周辺を見てたんだ。だからこそ、最初はあそこには何もなかったってはっきり言える。おかしいんだよ! どう考えてもあの紙人形はいきなりあそこに現れたんだ。オレが目を離して、振り向くまでのちょっとの隙に誰ならそんな事が出来るんだ? そんな事出来るのは……神様とかだけなんじゃないか?」


大きく見開かれた一真の瞳は血走っていて、必死になって僕に言い聞かせようとするその様は、まるで別人の様相だった。


 僕は初めから見てたわけじゃないから何とも言えない。


 ただ一真がそんな意味のない嘘をついているとも思えなかった。


 結局のところ僕は、神様とかいう非現実的なものが関与している可能性を皆の頭から消し去る事が出来なかった。

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