第11話 神社①


 恵里香に連れてきてもらった神社について、僕が思い出せた事はとても限定的な事だけだった。


 何しろこの神社の名前すら思い出せない。


 確認しようにも鳥居についている扁額へんがくは鳥居同様に古びていて、書いてあったであろう神社の名前が分からないほどに汚れてしまっている。


 遠慮なく鳥居をくぐり抜けて境内に入っていく恵里香。


 少なからず混乱していた僕は慌てて恵里香の後に続いた。皆もその後からついてくる。


 広い境内に人影はない。周りの山道は木々に囲まれていて薄暗かったが、境内は山にぽっかりと開いた穴のようになっていて、差し込んでくる光のおかげでこの場所だけが異様に明るかった。


 神々しい光に照れされている細い参道の脇には苔むした石灯籠が並んでいて、その奥にはこじんまりとした小さい社殿が佇んでいる。


 こちらも鳥居と同じで古びていてはいるが、威厳のある佇まいからは厳粛な空気が漂っているような気がした。


 境内には社殿の他に建物はなく、常駐している神職はいないのだろう。


 この神社で何より気になったのは、生き物が多い山の中にしては静かな空間だということ。


 まるで音がない。


 ここに来るまでどこにいても聞こえていたセミの鳴き声はすっかりと鳴りを潜めていて、その静謐さが一層厳かな空気を増幅させている。


 他に目に着くものがあるとすれば、それは境内に植えられている沢山の低木だろう。


 青々とした葉をつけている2メートル程の低木が参道の脇に等間隔で植えられている。


 まるで並木道の街路樹のようなそれは、一般的な神社のイメージとは明らかに異質な感じがした。


 特段神社について詳しいというわけではないけれど、僕の中での神社といえば、境内には玉砂利が敷き詰められ社殿や石灯籠がある以外は、御神木がある程度のシンプルな印象が強かったからだ。


 あるいはどこかに同じような神社があったとして、だとしてもそれは少数派じゃないだろうか……。


 その異様な存在感が妙に気になった僕は、低木を見ているうちに段々とある記憶を思い出し始めていた。


 境内に沢山植えてある低木。これが何という植物なのかは分からない。


 けれど今は青々とした葉っぱしかないこの低木は、春には小さな集合体のような真っ白な花を咲かせて雪景色のような光景を作り出す。一転して秋になれば、小さくて丸い真紅の実を沢山つけて辺りを彩っていた……はずだ。


 そこまで思い出したところで気が付く。


 春の景色に秋の景色、そのどちらも知っているという事は、僕がそれだけこの神社に来ていたという事になる。


 来た事が一回だけならいざ知らず、そこまで通っていたというのに今まで忘れていた事が本当に不思議だった。


「覚えてる? この木、赤い実がなるでしょ? 綺麗だって優君は気に入ってくれてたよね」


 恵里香が優艶な手つきで低木の葉を撫でる。


 その光景は一枚の絵のように完成されていた。


「あ、赤い実! オレも覚えてるぞ!」

「うんうん! 確か秋頃だよね!」


 一真と神奈が興奮気味に口を開く。


 どうやら恵里香の言葉であの情景を思い出したらしい。


「一真食べようとしてなかった?」

「いや、どうだ……流石にしないと思いたい」


 強く否定できない一真。


 今思い出したけれど、一真に誘われて一緒に食べてみようとしたところを神奈に止められた事が確かにあった気がした。


「ていうかさ、思えば結構来てたよな? ここ」

「アタシも今急に思い出した。なんか今まで忘れてたのが不思議なくらいどんどん思い出してくるんだけど」


そう言った二人は翔也が社殿の下で蟻地獄を見つけた事だとか、一真が転んで足につけた傷跡がまだ残ってる事だとか、思い出すままに興奮して喋っている。


 二人の会話を聞く度に僕もその出来事を思い出し、今日巡ったスポットの中でも一番懐かしい気持ちになってきた。


 テンションが上がっている一真と神奈につられてわくわくしてくる。


 ただそんな中でも一人だけ黙っている人物がいた。


 翔也だ。


 気になって目を向けると、それに気が付いた翔也は口を開いた。


「なぁ……ここで遊んでた時、何かなかったか?」


 あまりにも抽象的すぎる問に困惑する。


「何かって?」

「いや、何だったか、何かあったような気がするんだ……何か、事件みたいな」

「事件?」


 その物騒な言葉に胸がざわつくのを感じた。


 その瞬間、まるで僕を脅かすかのように風が木々を揺らす。


 ガサガサと音を立ててまわりの低木が揺れると、脳が勝手にありもしない何かを想像して周囲に気配を作り出す。


 まるで得体の知れない存在に見られているような感覚がした。


 頭を振ってその妄想を追い払った。


 馬鹿げた感覚だ。ビビりすぎている自分が恥ずかしくなってくる。


 一度落ち着くために翔也の言う事件について思考を巡らせてみる。けれどピンとくる出来事は覚えていない。


 興奮していた二人も難しい顔で黙っている。どうやら思い出せないのは一緒らしい。


 僕は最後の希望を込めて恵里香を見た。この神社のことを覚えていた恵里香なら、何か応えてくれると思ったからだ。


 そして恵里香は期待を裏切らなかった。


「それは、たぶんあれだよ……私が行方不明になった事」


 恵里香の言葉を聞いた瞬間だった。


 当時の記憶が情景として頭の中に流れ込んでくる。


 それはまるで、この神社に記憶そのものを置き忘れていたような感覚だった。


「そうだ、それだ! それが、かくれんぼだ!」


 翔也が興奮したような声を上げる。僕と同じくあの一件を思い出したようだった。


「確かかくれんぼしてた時、いくら探しても恵里香だけ見つからなかったんだよな? あの時は焦ったよなぁ」

「優人が鬼だったんだっけ? アタシたちはすぐに見つかったけど、恵里香だけどうしても見つからなかったから、私たちも一緒になって探したんだった、よね?」


 一真と神奈も思い出したらしく、確認するかのように語り掛けて来る。そしてふたりの記憶は僕が思い出したものと同じだった。

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