第24話 グラス平原の攻防1
★
「落ち着いたか?」
嗚咽が徐々に止んでいき、やがてすすり泣きへと変わり、体の震えが収まったところで、俺は優しく声をかけていた。
まだ多少の感情の昂ぶりはあるものの、気持ちは落ち着いてきたようだ。泣き腫らした真っ赤な目をしながらも、ノアちゃんはしっかりと頷く。
「もう、大丈夫です……」
そして、何やらくねくねとしだすノアちゃん。
「でも、ノアがししょーのこと好きって言って、ししょーが受け止めてくれたです……。これって、つまりキセージジツってことですよね……?」
頬を染めながら、くねくねの速度が早くなる。
いや、お前さんはどこぞの妖怪か?
まぁ、ノアちゃんが悪フザケしてしまう気持ちは分からないでもない。
――というか、俺も勢いでノアちゃんを抱き締めちゃって、ちょっと気恥ずかしいからな!
「調子に乗るんじゃない」
ポコンと頭頂部チョップ。
ノアちゃんがあまりの痛みにうずくまる。
「うぅ、照れ隠しにしたってぎゃくたいが過ぎるのです……!」
「虐待って……。どこでそういう言葉を覚えてくるんだよ……」
ノアちゃんの知識の中には、ちょいちょい、この世界では標準的ではない言葉が含まれている気がする。
多分、ノアちゃんの風変わりなお姉さんの言葉なんだろうけど。
その姉ってもしかして……。
まさかなぁ……。
「大体、ノアちゃんにのんびりしている暇は無いぞ?」
「です?」
そうだ。こんなところで油を売っている暇は無い。俺はノアちゃんの目をしっかりと覗き込みながら告げる。
「アイドル資格試験は緊急事態で現在中断中だ。――ということは、この緊急事態が終われば再開される可能性がある。それはつまり、決着のついていなかったノアちゃんの試合が再試合という形でもう一度行われる可能性があるということだ」
「もう、一度……ですか……」
ノアちゃんの表情が明らかに沈む。
もう一度戦ったところで、マリカちゃんに勝てるビジョンが見えないのだろう。
だが、俺はそうは思わない。
「確かにマリカちゃんは強敵だ。恐らく十年以上の歳月を掛けて、アイドルになることを夢見てずっと鍛えてきたんだろう。それをたった一ヶ月かそこら鍛えただけのノアちゃんが上回るのは難しい――と、普通なら考える。だが、先程の戦いを見ていて活路はあると俺は思っている」
「かつろ、ですか……?」
「ノアちゃんは、マリカちゃんと戦ってみて、どう思った?」
俺が水を向けるとノアちゃんは指折り数えていく。
「強いです。特に早いです。攻撃が当たる気がしないです。それに当たったと思っても流されちゃって、手応えが無いです……」
「その点に関してはすまない。多分、俺のせいだ」
「どういうことです……?」
「ナンバーシステム……あれが恐らくマリカちゃんに読まれ始めていたんだと思う」
試合でのマリカちゃんの探るような目つきを思い出しながら俺は続ける。
「言い訳になってしまうが、素人であるノアちゃんを一ヶ月で勝てるようにするためには、バランス良く鍛えて駆け引きを覚えさせる事は難しかった。だから、何かに特化させて、得意を押し付けて勝つという戦法を取るしか無かったんだ。……結果、それを逆手に取られた」
相手の土俵で戦うことが出来る本物の実力が付けられれば問題無かったのだろうが、一ヶ月という期間はあまりに短過ぎた。
その短い準備期間でアイドル資格試験に受かることを考えた時、俺はまずノアちゃんに相手の土俵で戦わせないことを考えた。自分の土俵で戦い続ける事で相手の実力を半分も出させずに封殺して勝つ――それが最善だと考えたのである。
それを考えた時、まず最初に浮かんだ戦法は魔法だ。
剣神として、それはどうなのか? とも思うが、飛び道具が人の戦いの歴史を変革してきたのは事実である。
近付かずに倒せるのであれば、それに越した事はないだろう。
だが、アイドルという職業は人に見られてナンボの職業である。
田舎育ち、田舎娘のノアちゃんが衆人環視の下で緊張せずに魔法を使って戦えるのかという部分に疑問を覚えてしまった。
むしろ、あがっちゃってトチる姿が容易に想像出来てしまう。
なので、魔法で戦う選択肢は真っ先に浮かんだのだが、真っ先に棄却することになる。
次いで、選んだのは中距離での戦闘方法だ。
槍やら、棒やらの長物を使って、相手の武器が届かない位置から一方的に攻撃する事が出来ればと考えた。
その結果、大剣が良いのではないかと思いつく。槍と何ら変わらない射程を持つ長い剣であれば、相手を遠間から一方的に攻撃出来る。
槍や棍を選ばなかったのは刃渡りの差だ。そこが殺傷力の差になると考えて、俺は大剣を選択する事にした。
後は相手を近付けない戦術を取る為に、ノアちゃんを鍛え上げるだけだ。
荷物運びや籾殻の袋を前に吊るす事で重心が前に来ることに慣れさせ、膂力を付けさせた。そして、ナンバーシステムでは相手の反撃が届かない距離から一方的に攻撃を押し付けさせる技術を体得させる。
後は、軽い金属で出来た大剣を渡してノアちゃんに振り回させれば、敵は近付く事も出来ずに粉砕されるはずであったのだ。
だが、アイドル資格試験というのは、俺が思っているよりもずっと優秀な人材が集うものであったらしい。
俺の想定の上をいく存在がゴロゴロとしており、そんな想定外にノアちゃんは引っ掛かってしまった。そこでは俺が授けたはずの必勝が通じない。まさに魔境とも言うべき環境だ。
「ノアちゃんには勝つ為の定石を授けたつもりだった。だが、その定石が通用しない時、ノアちゃんの勝ち筋は限りなく細くなってしまったんだ。そこは突貫で仕上げた弊害としか言いようがない。……本当にすまないと思っている」
「だったら、新しい定石を教えて欲しいです! そうすれば、ノアはまだ戦えます!」
「……それを教えたところで、マリカちゃんはその定石すらも看破してしまうのではないか? それだけの素質が彼女にはあるように見えた」
「だったら、ノアは……、ノアはどうしたら良いんですか!?」
叫ぶノアちゃんを落ち着けるため、俺はあえて低い声で告げる。
「ノアちゃんに必要なものは、恐らく経験だ」
闘技場で見たマリカちゃんは、ノアちゃんの動きを観察するだけの余裕があった。あれは、何度も実戦をくぐり抜ける事で磨かれたものだろう。
実戦の剣は懐が深い。御座敷剣法に近いノアちゃんの技では、きっとマリカちゃんに届かない。
だからこそ、ノアちゃんにも実戦の剣を身につけてもらう。
命を賭けて訓練に挑んでもらう。
「経験……」
「剣だけじゃない。拳も蹴りも何だって使っていい。剣の振り方ひとつとっても、汚く振ったり、むしろ振らなかったり、創意工夫を凝らせ――というか、それをしないと死ぬぞ」
「えーと、何言ってるです?」
俺は手を引いてノアちゃんを路地裏から連れ出す。そして、壊れた外壁の向こうに見える魔物の集団を指差し、告げる。
「あれが、これからノアちゃんに戦って貰う相手だ」
「……冗談ですよね?」
「
「そういう問題じゃねーです!? どう見てもノアが囲まれて喰われて終わりじゃないですか!? ノア死にたくないです!」
「死なないって。俺が本気で掛けた強化魔法だぞ。死んでも蘇るから安心しろ。ただし、腕とか指とか取れたりすると凄く痛いから。痛みに五秒も堪えてれば生えてくるから」
「無茶苦茶言ってるです!?」
「良いから行って来い。それとも、もう一度マリカちゃんに負けたいのか?」
俺がそう言うと、ノアちゃんの顔付きが変わる。余程悔しいのだろうな、というのが顔付きだけで分かった。
「それだけは嫌です……! そんな事になるぐらいなら死ぬ程の目にあった方がマシです! ししょー、ノアに強化魔法をお願いするです!」
「よし、よく言った。ぶっ殺されてこい」
「そのゲキレイもどうなんです!?」
ムキー! という顔をしながら、俺の足元をウロチョロするノアちゃんに強化魔法を掛けてやってから、俺たちは町の外壁の崩壊した場所へと向かう。
そこには、既に先客ともいうべきか、武装を整えたアイドルや冒険者の姿が大量にあった。
だが、彼らは外壁の外に出るような真似はしない。外壁を利用して、敵の侵攻を一方向からに限定してしまえば、戦い易いことを知っているからだ。
それに彼らの目的は、町やその町の住民を守ることだ。無理や無茶をして、命を散らすことではない。
だから、彼らの選択は至極当然だし、最適なのだ。
おかしいのは、そんな彼らを素通りして、さっさと外に出ようとしている俺とノアちゃんなのである。
「いいか、ノアちゃん。魔物を倒すと経験値というものが得られる。それは、微量ではあるが身体能力を高める効果がある」
「
「エルフや冒険者はそう呼んでいる者も多いな。だが、正式名称は経験値だ」
だって、神様がそう言ってたし。
ちなみに、巷では『魔物を倒すことで魔物が内包する魔素を吸収して強くなれる』だとかいう話がまことしやかに囁かれたりしているが正確にはそれは不正解である。
まぁ、魔素を吸っているのではなくて、単純に世の中が経験値システムで出来ているというだけなので結果としては変わらないのかもしれない。
そもそも、魔物を倒す度に魔素を吸い込んでいたら、冒険者は全員魔族になっている。どんなに凄い冒険者でも、そうはなっていないので、ただの与太話でしかない。なんで、そんな話が出回っているのかは謎だ。まぁ、冒険者が酔って広めた噂話といったところだろう。
「まぁ、魔素でも何でもいいや。とにかく、慣れていない内から大量の魔素を吸収すると頭がクラクラしたりするから、気を付けて戦うんだぞ?」
俗に言うレベルアップ酔いです。
俺も北の森で悪竜討伐の際は酷い目にあった。だから、恐らくノアちゃんも同じ目にあうことだろう。なるべく近くに居てフォローする気ではあるが、どうなるかまでは分からないからな。ノアちゃんの我慢強さ次第だ。頑張れ、ノアちゃん。
「が、頑張るです!」
「あと、ノアちゃんはこれから魔物の集団と戦うわけだが、俺は近くにいて見守りはするが、アドバイス等は一切しないから」
「!?」
「自分で試して、自分で考えて、そして自分なりの理論を組み立ててみろ。そして、それが通用するか試すんだ。安心しろ、命の保証だけはしてやる」
「わ、分かりましたです……」
「剣だけに拘らなくてもいいぞ。とにかく死ぬな。それだけには拘れ」
「さっきから不穏なことしか言ってねーです!?」
ノアちゃんとやりとりをしながら、人垣を躱していく。
先に場所を陣取っていた冒険者やアイドルたちが顔を顰めて俺たちを睨み付けるが、そんな防衛網を乗り越えて俺たちが町の外に出ようとするのを見ると、途端に声を荒らげて止めてこようとする。
曰く、「死にに行く気か!」だとか、「命を大事にしろ!」だとか、「功を焦るな!」だとか、散々な言われようである。
挙げ句の果てには、力づくで止めに来たので、
「ノアちゃん、ドッキング」
「はいです!」
ノアちゃんを肩車して止めに来た相手の手をひょいひょいと躱して町の外に出る。
「何で特訓するだけなのに、こんなに止められなきゃならんのか……」
「やっぱり、普通じゃないからだと思うですよ……」
「安全楽チンにやっていたら三年以上掛かる。そんな道を一日で成そうというんだ。死ぬぐらいの目にあうぐらいが相場だろう」
「ノアにはその相場は分かんないです……」
俺たちがグラス平原に踏み入れたことで、多少戦況が動いたか。
獲物を前に我慢し切れない低位の魔物たちがソロリソロリとティムロードに向けて歩みを進める。
だが逆に、低位の魔物を抑えつけていた高位の魔物たちは、俺の姿を見て踵を返すものも出始めたようだ。
どうやら、北の森に長く住むことで知恵を付けた高位の魔物は俺が何者であるかを看破したらしい。利口なものはいち早く森に逃げていく。
だが、年若い個体や低位の魔物はまるで怯むことがない。むしろ、餌が近くにやって来て舌舐めずりといった様子だ。
俺はそんなグラス平原のど真ん中までやってきた所で、魔法鞄から簡易テントと簡易の椅子を取り出すと、そこに腰を据える。
「ししょー?」
「よし、俺はここに陣を張る。ノアちゃんは魔物の群れに突っ込め」
「ししょー、さっき近くで見守るって言ってませんでした!?」
「近いだろ。ココ」
俺から言わせれば、十分フォロー出来る範囲だ。だが、ノアちゃんは不満らしい。少し距離があるように思えるのだろう。なので、俺はその辺の石ころを拾って、それを親指で弾いてみせる。
弾かれた石ころは凄まじい勢いで飛んでいき、歩みを進めていたゴブリンニ、三体の頭部を簡単に吹き飛ばした。うーん、我ながらエグい。これなら対戦車ライフルぐらいの威力は出そうだな。
「な? 十分だろ?」
「絶対にそれをノアに当てないで欲しいです!?」
これは、押すなよ、押すなよ的な前フリなのだろうか?
俺がそんなことを思っていたら、ノアちゃんにめっちゃ睨まれた。これも以心伝心だな。善き哉善き哉。
「絶対にやるんじゃねぇですよ!?」
そう言って、ノアちゃんは魔物たちの群れに向かってズカズカと歩いていく。普通なら自殺行為も良いところなので、足が竦んで動けなくなるのが当然なのだが、ノアちゃんの場合はその様子が見られない。
恐らくは、自分が死ぬ恐怖よりも、マリカちゃんに負けたくないという気持ちの方が圧倒的に勝っているのだろう。
怒りは時として正常な判断を狂わせるが、今はそれが良い方向に向かっている様子だ。怯えて実力が出せなくなるということもなさそうで一安心である。
「よし、頑張れノアちゃん」
ノアちゃんが先行してきたゴブリン三匹と戦闘状態に入る頃、俺はその様子から目を離すことなく、背後に立とうとしている者がいることに気が付くのであった――。
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