第10話 鍛錬3

 さて、ノアちゃんが無茶をやり始めてから一週間が経った。当初の懸念であった「飽きたからもう止めるです!」などといった発言もなく、彼女は日々飽きることなく基礎体力強化に努めている。


 そのおかげか、最初は摺り足でずりずりと運んでいた荷物も、よいしょよいしょと運べるようにはなってきた。


 筋力トレーニングと食事改善による効果が出始めているのだろう。


 肉体もエルフに多い、すらっとした体型から、若干肉感的……もとい、ぷにぷに感が出てきたように思える。


 そして、基礎体力強化が順調なのと並行して、筆記試験の勉強の方も順調だ。


 健全な精神は健全な肉体に宿るというが、元々、ノアちゃんは頭の良く回る子だった。だからか、物覚えが非常に良い。


 正直、筆記試験に関しては、ノアちゃんに限って言えば心配ない気もする。


 まぁ、ノアちゃんに言わせると俺の教え方が上手いらしいのだが……。


「いや、上手いかどうかは比較対象がいないから分からんだろうに」


「おねーちゃんに比べたら上手いです!」


 何故だろう。素直に喜べない。


 とにかく、特訓開始より一週間……全ては驚く程順調に回っていたのであった。


 ★


 さて、残すところ三週間と少し。


 俺は少しだけ体力がついてきたノアちゃんを伴って、ティムロードの町の最外壁にまでやってきていた。


 まぁ、言ってしまうとティムロードの町の外だな。そこまでやってきてしまったのである。


 ティムロードの町を一歩外に出れば、延々と背の低い草が茂っている草原が続く。


 グラス平原と呼ばれるその土地は北の森に比べたら随分と大人しい生態系をしていることでも知られている。


 何と、魔物よりも動物が多いのだ!


 一説によると、この平原には魔素が少ない為、そんな生態系になっているのだとか。


 ちなみに、魔素というものについては良く分かっていないのだが、魔物の身体を解体すると、普通の生物の心臓にあたる部分に魔素の結晶体……通称、魔石と呼ばれるものが付いているのだ。


 その為、魔物はその魔石が生命活動を補助していると考えられ、その魔石の原動力として魔素が必要なのではないかという仮説が立てられている。


 その仮説を元に考えると、強力な魔物ほど魔石の大きさが大きくなることから、大量の魔素の供給が必要な為、魔素の薄い地域には出現しないとされている。


 なので、魔素の薄いと言われているグラス平原には強力な魔物が存在しないらしいのだ。


「だから、うん。そんなに脅えてキョロキョロする必要はないぞ。弟子よ」


「そ、そうです? でも、街の外に出たら後は自己責任だってお姉ちゃんが言っていたので、警戒するに越したことはないと思うです……」


 おぉう。ちゃんと考えてるな、ノアちゃん……。そして、たまにはまともなことを言うな、お姉ちゃんよ。

 

 さてはて、今日ここにやって来たのは、基礎体力訓練の難易度を上げる為だ。


「ノアちゃんもようやく荷物運びに慣れてきたところだが、今日からは更に難易度が跳ね上がるぞ。覚悟するがいい」


「ごくっ……」


「というわけで、『特訓君一号』だ」


 俺は腰に提げていた革袋から、とてもその革袋には収まらないであろう大きさの器具を次々に取り出す。


 さすが、大食蟲グラトニーイーターの胃袋から作られた魔法鞄だ。容量ほぼ無制限でアイテムが保存出来、尚且つ品質保持機能が付いている超便利な魔道具なだけはある。

 勿論、その分、お値段も張るけどな!


 まぁ、数百年前に作った特訓用器具に錆のひとつも浮いていないのは流石というべきか。


「えーと、なんです? これ?」


「色々鍛えてくれる補助器具だな。これを付けて、ノアちゃんにはティムロードの外周を走ってもらう。ノルマは……そうだな。日がくれるまでにしておくか」


「延々走るです?」


 既に早目の昼飯は済ませている。なので、飯休憩などは望めない。マラソンのデスマーチと言っても過言ではないキツさだ。


 だが、俺はそうはならないと考えている。


「走れれば走っていいぞ。走れればな」


「なんです、その嫌な笑い……。ノアだって成長してるです。この程度の重りじゃあ、ノアの動きを止める事はできないです!」


 そう言って、せっせと特訓君一号を身に付けていくノアちゃん。


 特訓君一号は、背に水の入った甕を背負い、その甕から竿のようなものが伸び、ノアちゃんの正面にその竿からロープが垂れ、デカイ革袋が吊られて、目の前でぶーらぶーらと揺れているのが特徴のマシンである。


「なんです、これ? 重いです」


 革袋をぽすぽす叩くノアちゃん。


 確か、中身は籾殻だったかな?


 量があるのでなかなか重いのだが、甕を含め、ノアちゃんはしっかりと担ぐことが出来ているようだ。


 勿論、ロープに釣られている革袋は不安定で、ノアちゃんが動く度にゆらゆらと揺れている。


 そして、最後にノアちゃんに鉄製の中華鍋を持たせて準備完了だ。


「この格好で走るです?」


「いや、まだだ」


 俺はノアちゃんの持っていた中華鍋に生活魔法で並々と熱湯を注ぐ。言っても五十度ぐらいの温度である。勿論掛かったら熱いわけだが。


「あの、持ち手が熱いです」


「掌の皮を強くする為だ。我慢しろ」


「というか、これで走るです?」


「走れるものならな」


「ふふん、やってやるですよ! たぁー! ぶっ! あつ! あち! あぢゃああっ! がふっ!」


 はい、急に走り出すから、籾殻の入った革袋がノアちゃんの顔面に激突しましたねー。


 で、バランスを崩したノアちゃんの手には、当然のように熱湯が掛かりますねー。


 耐えきれないノアちゃんは手に持っていた鉄鍋を手から離しちゃいますねー。


 服にも熱湯が掛かりますねー。大慌てですねー。そんなに動くと……はい、大きく振られた革袋に更に一撃を貰いますねー。


 とりあえず、倒れたようなので生活魔法で水を生み出して顔に掛けてやる。


「ぶはっ! ししょー! ノアを殺す気ですか!」


「革袋と熱湯ぐらいで死ぬわけないだろ? まぁ、これで要領はわかったな。では……」


「いや、わからないです! そんなに言うなら、まず、ししょーに見本見せて欲しいです!」


「やれやれ、仕方ない。少しだけだぞ」


「ふぇ?」


 俺は腰の革袋から、特訓君二号を取り出すと自ら背負う。


 尚、特訓君二号は籾殻の入った革袋が二個に増える仕様だ。鉄鍋を持って、熱湯を入れて、さて完成。


「では走るか」


 この特訓で走るためのコツは、腕の力と強い体幹、そして視野の広さにある。後は先を読む力も鍛えられれば上出来だ。


 腕の力で鍋の中の熱湯を操作し、こぼれないように調整する。


 そして、走る以上揺れが生じる為、その揺れを何処かで吸収してやる必要がある。


 俺は足裏にて揺れを吸収出来るが、ノアちゃんには難しいだろう。


 だから、体幹で揺れを抑える。


 体幹と言っているのは、具体的には胸、背、腰や腹、尻などに付いている筋肉の事だ。


 難しいようなら膝を使って衝撃を和らげても良い。


 要するに走る事で出る上下運動の衝撃を体の何処かで抑えられれば良いのだ。


 それでも最初は難しいだろう。


 だから、革袋は揺れる。


 その際に揺れた革袋の攻撃を上手く避ける事が必要だ。


 とはいえ、避ける為に身体を動かすと、熱湯のコントロールも体幹もぐちゃぐちゃになって大きな被害を受けることだろう。


 だから、必要なのは革袋の動きを予期して操作する『先を読む力』だ。別に揺らしてしまっても、自分に直撃するコースでなければ、被害はないのだから。


「な、何です、あれ? ぜ、全然水も袋も揺れてない上にクソ早いです……。あ、袋が揺れ――えぇ~、袋がししょーを避けて動いてるです!」


「こういう風にやるんだ。分かったかー?」


「益々疑問が深まっただけです!」


「まぁ、とりあえず、やりながら覚えろ。熱湯出すぞ」


「は、はいです。そこはかとなく不安です……」


 ★


 やはりというか、何というか、ノアちゃんの不安は的中してしまった。


 熱湯を浴びること五十七回。


 ようやくティムロードの外周を一周し終えたところで日が暮れた。


「うぅっ、この訓練辛いです……。全然上手くいかないです……」


「一日やっただけで上手くなるなら、俺より才能あるだろうよ」


 足も腕も体幹も相当に酷使したせいか、歩くのもしんどそうにノアちゃんは俺の後ろをついてくる。訓練初日では荷物運びの末に気絶していたのだが、成長したもんだ。


「というか、この特訓、時間が経てば経つほど辛くなるです」


「そりゃあ、筋肉を酷使するからな。その分、細かな操作が疎かになって難しくなるさ」


 わいわいと賑やかな大通りを歩きながら、俺は事も無げに言う。後ろから絶句するような雰囲気が伝わってくるが、事実なので仕方がない。


「じゃあ、やめるか?」


「やるです!」


「良い返事だ。それではこれから飯だな。いつもの店で予約を取ってあるから行くぞ」


「はいです! 今日も肉食べるです! ハンバーグ美味しいです!」


「ちなみに、お前が肉だと思ってるハンバーグは豆腐ハンバーグだからな。肉じゃないからな」


 後ろから絶句するような雰囲気が伝わってくるが、事実なので仕方がないパート2。


「そういうことは早目に言って欲しいです!」


 プリプリ起こるノアちゃんを連れて、俺たちはいつものレストランに向かう。


 しかし、なんだな。


 最近はノアちゃんの修行に付き合っているばかりで、俺の修行が疎かになっている気がする。今日は夜にでも少し体を動かすか。


 そんな事を考えながら通りを歩いていたからだろうか。


 前から歩いてきた大柄な男とぶつかりそうになる。


 いや、危ないな。


 まるで、こちらに向けてぶつかってこようとしたかのような動きだった。酒でも飲んでいるんだろうか?


「こらぁ! 避けるんじゃねぇ! 避けられた方がカッコ悪いだろうがぁ!」


 なんだなんだ。いきなり絡んできたぞ。


 というか、コイツの顔どこかで見たこと……。


「あっ!」


「へっ! この前は世話になったな!」


「あ? いやー、あれ? ごめん、やっぱ分からないわ。……誰?」


「【獄犬】ウィルグレイだ! 忘れたとは言わせねぇぞ!」


「ごっけん? 駄目だ。思い出せん。こんな身体のデカイハゲなら覚えていそうなものなんだが、余程影が薄かったんだろうな。可哀想に影も毛も薄いなんて、取り柄がないじゃないか」


「ハゲじゃねーよ! ギルマスに反省しろって剃られたんだ! それもこれも全部てめーのせいだ! 冒険者ギルドじゃ馬鹿にされるし、てめーをぶん殴らねーと気が済まねーんだよ!」


「? さっぱり記憶に引っ掛からん。やっぱり人違いじゃないのか? 俺はお前のことなんか知らんぞ?」


「おまっ!? 良くそういうこと言えるな!? 殴った奴の顔も覚えてないのかよ!」


「そもそも仮面付けてるんだから、俺が殴った相手かどうか分からないだろ。言い掛かりはやめろよな」


「この町でダークエルフのガキ連れた奴が何人いると思ってやがるんだ! テメーだけだ、コノヤロー!」


「そんなこと言われてもなぁ」


「あのー、ししょー? この人、ブブヅーケさんじゃないです?」


「え、誰?」


「あ、えっと、はい。気のせいです……」


「ちょっと! そこのダークエルフのガキんちょ! もうちょっと頑張れよ! もう少し語ることあるだろうよ!」


「うるさいハゲだな。俺たちはこれから飯に行くんだ。用が無いのならそろそろ行くぞ」


「身勝手過ぎるだろう、この野郎! ……ふんっ! 無駄な問答は俺も望むところじゃねぇ! 後で後悔すんなよ! 食らえ!」


 …………。


 ……駄目だ。思い出せん。


 ★


「さて、飯に行くぞ。その後で勉強だ。眠くても寝るなよ?」


「お、押忍!」


 子供にとってハードスケジュールなのは分かるが、何分時間がない。こんな詰め込み教育ではなくて、もっと時間を掛けて次代の剣神を育てたいのだが、なかなか上手くいかないものだ。


「あの、ししょー?」


「何だ?」


「さすがにひとつも触れないというのはどうかと思うのです……」


「え? 何かあったっけ?」


 思わず真顔で言うと、ノアちゃんは「何でもないです……」と顔を逸らす。まぁ、俺に何かを訴えかける元気があるなら、明日の特訓は少し厳しめにしても良いかもな。ははは。

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