22 阿伊壽

「あっっちぃーーーーですわーーー!」

 いきなり頓狂な声を上げた女。三人の中で、私が唯一知らない顔だった。

 ボリュームのある鮮やかな金髪を左右でドリルのように巻き固め、豪奢なフリルのついた黒いワンピースを身につけ、クジャクの羽のような扇子で顔に風を送っている。

「遅いですわ! このクソあちぃ中、わたくしをこれだけ待たせた報いはキッチリカッチリ受けていただきますわーーー!」

 扇子が揺れるたび、耐えがたい熱波が立て続けに襲ってくるのでたまったものではない。そもそもこの地獄のような熱を起こしているのは苛立っている当人ではないのか。

「具体的には?」

 挑戦的に問いかけてみる。私の言葉は〈椿の海〉の魔王にも届かない。だが金髪ドリル魔王はキッと私を睨むと、口元を扇子で隠しながらどこかへ手招きをする。

 満身創痍の男――〈バックルーム〉の解放戦士、半田がふらつきながら魔王のもとへと駆け寄る。

「通訳なさい」

 半田はためらうように私に視線をよこした。斟酌など無視し、さっさとやれと顎をしゃくる。

「『具体的には?』と」

「アーッハッハッハッハッハァ!」

 高笑いをする魔王。

「当ッ然! そこのクソ不届き者を懲罰あるのみですわーーー!」

 ひとしきり笑ったあとで、魔王は静かに菊花を見据えた。おそろしく冷たいその視線の力に、菊花の身体が硬直する。

「わたくしの半身を傷つけた罪――軽くはありませんことよ」

「要は菊花をボコったら満足なんだな? じゃあやってみろや。当然、こっちもそれ相応の対応させてもらうけど」

「通訳!」

 半田が慌てて私の言葉を魔王に伝える。

「構いませんわ。一方的にボコしても面白みがありませんし。では――おふたりとも、手出し無用でよろしいですわね」

 魔王は自分の背後のベンチに座るふたり――優希と羽海に念押しをする。

 優希と羽海はベンチの上にスリーブに入ったカードを広げてゲームの対戦をしていた。

「うーい、沙羅さら先輩がんばってくださーい。効果発動。で、攻撃」

「ダメステいいっすか?」

「うーわマジか……そりゃないぜ羽海……」

 我関せずを徹底している。おそらくは菊花の顔を一番よく知ってる魔王として交渉の場に同行させられたのだろう。

 私も、心が少し軋みを上げるのを感じながら、意識を向けることはせずに目の前の魔王――沙羅に集中する。

 魔王はそもそもの魑力が私たちとは別格だ。存在するだけで街を火の海にし、腕のひと振りでその場のすべてを吹き飛ばす。歩く災害そのものの莫大な魑力とそれに見合ったコントロール。菊花は〈椿の海〉では暴れ回ったのだろうが、ここは魑力が使える現世。まともにやり合ったら、勝ち目はない。

 沙羅はその場から動かない。立っているだけで肌がちりちりと灼けていくような威圧感こそあれど、突っ立っているだけで負けを認めるような私たちではないことくらいわかりそうなものだが――。

「魑解をお出しなさい」

 ほらほら、と手を持ち上げるジェスチャー。

「わたくし、あなた方を真っ正面からたたき潰してやりてぇんですわ。ああ、相手の魑解も見ないまま魑解を出せないなんてケツの穴の小せぇことを仰るんでしたら、よくってよ。先に見せて差し上げますわ」

 円を描くように右足を移動させ、同時に息を吐きながら右手を左から右に水平に動かす。なんらかの構えをとった沙羅は、誓言を口にする。

――」

 瞬時に、右手で顔を覆うように隠す。

「〝阿伊壽光解あいすこうど〟」

 右手を離した時には、沙羅の姿は別物へと変わっていた。

 全身を覆う純白の装甲。骨格フレームとなる部分は深淵よりもなお黒く、それが一層おぞましいまでの白さを際立たせる。血管のように装甲を彩るのは金色のライン。頭部もまた装甲に包まれ、金の兜を思わせる角が猛々しく形成される。

「さあ」

 音吐朗々。

「おっ死ぬ準備はよろしくて?」

――!」

 先に我に返った菊花が誓言を口にするが、その時にはすでに沙羅は菊花の目の前に立っていた。

「オラァ! ですわァ!」

 腕をわずかにスナップした――通常の時間の中にいた私に見えたのはそこだけだった。次の瞬間にはもう、菊花が身体をくの字の折り曲げた状態で、息もできずに地面から浮いていた。

 まずい――私は魑力を巡らせ、自分の時間と世界の時間をズラした状態に突入する。この状態に入ってやっと、沙羅の動きが目で追えるようになる。菊花の腹に、何発もの拳がたたき込まれていく。あまりの速度と威力に菊花の身体は地面を離れ、無防備となった身体に容赦なく間断なく何十発もの拳が降り注ぐ。

 減速しているはずなのに、沙羅の動きは遅くはなっても止まっては見えない。とにかく菊花がボロ雑巾になる前にこの拳の嵐を止めなくてはならない。考えている間にも次の拳が打ち込まれていく。

 沙羅の背後に回り、膝裏を思い切り蹴り抜こうとする。だが私のスネが沙羅の装甲に触れた途端、激しい電流のようなものが飛び散り、放った蹴りが跳ね返される。

 もう一発。だが結果は同じ。その間にも沙羅は菊花を殴り続けようとしている。

 今は突破するよりも先に菊花の安全確保。すでにショックによって意識を失っては衝撃によって目覚めさせられている状態の菊花の身体を両腕で抱え、沙羅のラッシュが届かない範囲へと転がる。

「ガッ――」

 一度菊花と情報の擦り合わせを行おうと減速を解除する。菊花は口からなんとか息を吐いて、必死に次の息をしようと全身を震わせる。

「あいつ蹴ろうとしたんだけど、跳ね返された。やっぱあのアーマーのせい?」

 ひゅうひゅうと喉を鳴らし、やっとのことで立ち上がった菊花は、私に寄りかかりながらうなずく。

「あれは、纏う魑解。武器や現象を引き出すという魑解の特性を、自分自身の肉体を媒介にして表出させている。魑解は魑解でしか倒せない以上、あれを突破するには魑解をぶつけるしかない」

 ん? それって――

「私の〝天刑星〟と似たような魑解ってこと?」

「私、美桜の魑解がどんなのか知らない……」

 いやここで拗ねられても……仕方がないので私は口を開く。

――〝天刑星〟」

 魑解を解放した私を、菊花がしげしげと見てくる。

「菊花、葉っぱのお金、まだ持ってる?」

「うん」

 意図がつかめないながらも、財布から偽札の疑いのある一万円札を取り出す菊花。

 受け取ったお札の匂いを嗅いでから、口の中に放り込む。薄くて幅が長いせいで舌や口蓋に張り付いてくるし、噛んでいるうちに青臭い匂いが溢れてくる。どうやら本当に葉っぱでできていたらしい。

 なんとか嚥下すると、人差し指と中指を真っ直ぐに伸ばす。するとそこに何枚もの一万円札がどこからともなく挟まった。

 呆気にとられた様子で私の行動を見ていた菊花は、どういうことなのかを自分で理解しようと、私の口元を凝視していた。

「『悪い』ものならなんでも食える。食ったものを式神? として使うことができる。それが私の魑解なんだけど」

 拳に手応えがないことに気づいた沙羅が、こちらを振り向く。

「あらーーー? 急に消えたと思ったら手品を披露してくださるんですの? 死なねぇように手心加えて差し上げましたのに、ずいぶんとなめくさってくれやがってますわねーーー!」

――〝魔王の小槌〟」

 今度こそ誓言を口にし、木槌を手にした菊花が一気に沙羅の眼前まで迫る。魑解を纏ったからといって、「最速」の魑力を持つ菊花に追いつくことはできないはずだ。

 さらに菊花の〝魔王の小槌〟は魑解を無効にする魑解。一発でも入れば、沙羅の身ぐるみを剥いでしまうことができる。

 カン、カン、と音が鳴る。菊花の木槌が沙羅の装甲をたたく。減速して見えているはずなのに目まぐるしく移り変わる凄まじい速度での攻防。

「こいつ――!」

 いったん距離をとる菊花。〝魔王の小槌〟はたしかに沙羅の装甲に当たったはずだが、沙羅の装甲には傷ひとつなく、欠ける様子もない。

「やはりですわね。あなたの魑解を無力化する魑解、おそらくは相手に己の魑解と魑力、そのきったねぇ原初を押しつける毒のようなものでしょう。ところが! わたくしの魑解は常にこのアーマーを魑力が流れ続けているんですわ。魑解に至っているということは、原初との接続がなされているということ。つーまーりー? このアーマーが受けた概念攻撃なぞ、バカデケぇ原初のストリームに全部洗い流されてしまうっつうわけですわーーー!」

 全身を循環するのではなく、原初を経由して魑力が流れ続ける。たしかにこれでは毒を撃ち込んでも圧倒的な概念の物量で果てしなく希釈され排出されてしまう。

 当然だが以前に魔王とやり合い、さらには直近で〈椿の海〉に突撃して暴れた菊花の情報は筒抜けらしい。沙羅がこの場にやってきたのは個人的な怒り以上に魑解の相性を考慮しての人選というわけか。

「『葉っぱ』!」

 手を下から上へ、紙をばら撒くように払う。

 沙羅の目の前に木の葉の偽札が舞い散る。距離があっても目に見える範囲なら自在に式神を打てることを確認――なにせぶっつけ本番で実戦運用なので、自分でも確かめながら使っていくことにする。

「金ぇ!」

 興味がないとばかりに足のひと振りで偽札吹雪を吹き飛ばす沙羅。

 さて。あと私が食ったものは、ものは試しと食わされたすねこすりと、〈お山〉からの逃走中につまみ食いした空亡の炎。すねこすりは人間のスネをこする以外に使い道はなさそうだから、本体を食っていない空亡の一部を使えるかどうかだ。

 空亡そのものを呼んでも無駄に終わる。私の腹の中に空亡そのものはいない。なら、あの炎を自己流に解釈して吐き出す。

「『昏い火』っ!」

 沙羅の周囲に舞い散る偽札がいっせいに発火する。よし。使えた。

「どうだ」

「明るくなっただけですわーーー!」

 燃える木の葉を拳で次々に打ち抜き、あっという間に消火する。

 この間、私は自分と現世の時間の流れをズラし、四方八方に拳を放っている沙羅の懐に潜り込む。沙羅の動きはゆっくりにはなっているが、この時間のズレの中でこれだけ動ける相手は菊花以外では初めて見る。間違って拳に当たればそれだけで致命傷になりかねない。慎重に沙羅の動きを見ながら、脇腹の装甲を手ですくって口に運ぼうとする。

 だが装甲は硬く、私の手では剥がせそうにない。〝天刑星〟が沙羅と同じ纏う魑解なら通用するかと思ったのだが、私そのものを変える魑解ではあるが魑解が形を成していないという違いがある。〝天刑星〟はむしろ、「食べる」という行動の機序自体が形成された魑解なのではないか。

 となると、少なくとも「悪く」「食べられる」と判断できる状態まで持っていかないといけないらしい。さすがに動いて喋る相手を頭からバリバリ食えるほど、私の認知は飛躍していない。

「じゃあ、『すねこすり』」

 足下に湧いて出たすねこすりは、術者である私と同じ時間の流れの中に存在するようだった。

「行け」

 沙羅の足下にすり寄ったすねこすりは、その全身を思い切りスネにこすりつける。私とすねこすりの体感では時間がかかるが、実際の時間の流れではすねこすりが超高速で振動していることになる。そしてこのすねこすりは、私の魑解でもある。概念の装甲が流動するスピードよりも速く、魑解によって表面を震わせ続ければ――沙羅の足が振り上げられる。

 この時間流の中で、自分の身になにが起こっているのかを理解し、身体を動かした――人間離れどころか魔王離れした凄まじい反応速度。だがひとまずの目的を達した私は、すねこすりを手元に引き戻す。沙羅の動きを見ながら十分距離をとり、放たれた蹴りが空振りしたことを確認してから時間のズレを戻す。

「アーマーを一部でも剥がしたことはほめて差し上げますわ。だが無意味ですわ。ほらもうこのとおり」

 すねこすりが掘削した沙羅の装甲はすでに元通りに直っている。

 私の目的は装甲を破壊することではない。

 すねこすりの全身にべったりと張り付いた軟膏のようなそれを手ですくい、口に運ぶ。

 とろみがあってすぐに飲み込むことができる。大きな病院の自販機で選ぶことができる、薬を飲みやすくするためにとろみをつけた飲料を連想した。ただし。

「生臭ぇ」

「ヒッ――あなた、なに食ってやがりますの!? まさか、わたくしの魑解ですの!? クッ、屈辱ですわ……!」

 咀嚼し、嚥下した。吟味し、分析し、結論づけ、理解する。

「お前の、原初は――」

「お黙りなさいッ!」

 とっさに自分の尊厳の危機を察知した沙羅が一瞬で私へと迫る。完全に殺しにきている踏み込みと放たれる一撃。

 私はまたズレた時間に逃げ込む。遅くなったはずの時間の中でも確実に動いている沙羅の必死の一撃をしっかりと見てかわし、その背後へと回り込む。

 そしてそのうなじの位置に、指をそっと突き立てる。

「『アイス』」

 式神として取り込んだ沙羅の魑解を、打ち込む。

 予想通り、効果は覿面だった。

 時間の流れが戻ると、沙羅の全身を覆っていた装甲がどろどろに溶け始め、それに搦め捕られるようにバランスを失って地面に転がる。

「な、なにをしやがったんですの――」

「お前が一番わかってるんじゃないの。ODオーバードーズだ」

「わたくしの魑解を、わたくしに過剰摂取させたわけですわね……クソッタレですわ……! こ、こんな輩に、わたくしの、原初を暴かれるなんて……!」

 最後の情けで、菊花や百舌たちに聞かれないように黙っておいてやる。沙羅の接続した原初は『薬』。よみがなは『くすり』というより、『ヤク』のほうの。

 それを全身に纏う〝阿伊壽光解〟は、魔王の莫大な魑力とドーピングの合わせ技。原初との伝達回路を常時発火させ続けることで簡単に飛べるようになりながらも、原初のバックアップにより暴走を抑え込む。

 なぜ『薬』に接続して魑解に至った結果、全身を覆う装甲という形を沙羅が手に入れたのかは――私が考えることではない。いくら相手の原初を見抜いたといっても、立ち入ってはならない領域はある。相手が魔王で、クソ野郎でも、だ。

「沙羅先輩、負けたんすか? あっ、それ誘発で止めるわ」

「それは痛いからこれで無効で。うーん。私らって一応魔王じゃなかったかー? 面目とかやばくね?」

 言いながら、カードゲームを続行する優希と羽海。

「いいですわ――今回の一件は、わたくしが独断で動いただけのこと。目的を果たせず返り討ちに遭った時点で、この一件はおしめぇでしてよ」

「じゃあ〈椿の海〉はまたもや敗北。立て続けに魔王敗走――ってこと? あ、やべ」

「さすがに笑うが。いやあんま笑えんけど。はい5300でダイレクトアタック。対あり」

 対戦が終わったらしくカードを片付け始めるふたり。

「沙羅せんぱーい、立てますかー? ダメっぽい? 羽海、左側頼む」

「あいよ。じゃあ私ら帰るんで、あとは知らんってことで――頼んだ、美桜」

 うなずく。両脇から沙羅を支えて歩き出したふたりが、小さく笑っていたのは気のせいだっただろうか。

「今回は――ええ、今回はっ! わたくしの負けということにしといてやりますわ。以後に禍根も残さないと約束しておきましょう。ですが、最後にこれだけは言わせてもらいますわ」

 前を向いて歩く優希と羽海に抱えられた沙羅が、身体が支えられているのをいいことに後ろに体重をかけ、首だけをぐりんとこちらに向ける。

「覚えてやがれーーーですわーーーーー!」

 両脇のふたりに強めに身体を引っ張られたので渋々体勢をもとに戻し、そのまま三人は消えていった。

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