初めての仕事

「これを見ろよ。な?ちゃんと雇われてるだろ?」


 ストーカーか否かの問答の末、俺はバイトの契約書を立花に見せた。

 目が合った時はきょどっていた俺でも、今ははっきりきっぱり彼女と話さなければいけない。

 もしまたきょどってしまえば、疑惑がどんどん深まるだけだ。

 細かいところまで眺めたあと、立花が紙を俺に返して言う。


「ま、さすがにこれを偽造はしないか」


「当たり前だろ。そこまでしてお前のストーカーなんかするか」


「あ?それだとアタシがまるで魅力のない女みたいに聞こえるんだけど?」


 うわ、女ってめんどくせえ。

 いや、下手に主語を大きくすると差別だ何だと騒がれるこのご時世。訂正しよう。

 立花 璃奈めんどくせえ。


「何か失礼なこと考えてね?」


 再び鋭くなる立花の視線。

 怖いんだよ、その目つき。

 ただでさえ不機嫌そうなけだるそうな顔をしているんだから。


「と、とにかく、今日から俺はここに住む。管理人の仕事はきっちりやる。そっちの不利益になるようなことはしないから安心してくれ」


「管理人の仕事って何があんの?」


「主な業務は建物周りやゴミ捨て場の清掃かな。あとは住人から何かお願いがあった時、無理のない範囲で応えてほしいって言われてる」


「じゃ、アタシの頼みも聞いてくれるわけ?」


「法に触れない範囲でな。酒とかタバコを買ってこいってのはごめんだ。もちろん薬物もな」


「あんたさ……アタシのことどんなイメージで見てんの?」


 少しキレ気味に言ってから、立花は腕を組んで何やら思案し始める。

 そして唐突に聞いてきた。


「料理できる?」


「一応は。料理、掃除、洗濯とかの家事は一通りできるはず」


「んじゃ、早速依頼。アタシ今から料理するから、それ手伝って」


「え?」


「アタシの部屋は201だから。準備できたら来て」


 そう言うやいなや、立花はさっさとアパートの敷地に入り階段を上がっていく。

 さっきまでストーカーだと疑っていた男に料理を手伝えとは……俺にはギャルの心理がどうも理解できそうになかった。


 ※ ※ ※ ※


 何はともあれ初仕事。

 一旦自分の101号室に戻り、積み上げられた段ボールの中からエプロンを引っ張り出す。

 それから階段を上がって201号室の前に立った。


「……いいんだよな?」


 ためらいながらもピンポンを押すと、ドアが開いてエプロン姿の立花が顔を出す。

 相変わらず顔は不愛想だが、エプロンが温かみを出していて、きつい雰囲気も少し和らいで見えた。

 それにツンツンギャルのエプロン姿とはなかなかギャップがある。

 立花はそれなり、いやかなり美人の部類に入るので、このギャップにやられる人は多いんじゃないだろうか。


 俺?

 俺は緊張でギャップ萌えなどする余裕はない。


「入って」


 立花は何のためらいもなく俺を招き入れる。

 通されたのはよく整理され掃除も行き届いたリビング。

 このアパートは全室同じ間取りだが、段ボールだらけの俺の部屋とはまるで別物に見えた。


「こっち」


 素っ気なく案内されたキッチンでエプロンを身に着け手を洗う。

 俺は気になっていたことを立花に尋ねてみた。


「いくらクラスメイトとはいえ、ほぼ初めて喋った奴をよく家に入れられるな。不安とかないのか?」


「安心して。アタシ、護身術には自信あるから。あんたが襲ってこようが何しようが、余裕で組み伏せられる」


 俺はちっとも安心できないんだが。

 そもそも襲ったりしないし。


「実は今日、住人が集まってうちでホームパーティーやるんだよ。人数分の料理をひとりで作るのは大変だから、あんたに手伝ってほしいってわけ」


「なるほどな。それで何を作るんだ?」


「いろいろ。材料は買ってあるから、アタシの指示通りに作って」


「了解」


 まずはひき肉とパン粉と卵を混ぜ、ハンバーグのタネを作る。

 立花は立花で唐揚げの準備をしているようだ。


 女子と2人で料理をしているというのにちっともドキドキしないのは、護身術うんぬんの脅しが効いているからかもしれない。

 さらには立花自身が俺のことなど眼中にないという雰囲気を全開にしているので、意識する方が馬鹿馬鹿しくなってくる。


「そういえば、他の住人がどんな人か教えてもらえるか?引っ越してきたんだしあいさつしないと」


 さすがに無言でずっと作業はいたたまれない気持ちになるので、当たり障りのない話題を振ってみる。


「あぁ~、あんたも知ってると思うけど?」


 立花が作業しながら答えたタイミングで、ピンポンが鳴った。


「お客さんか?」


「そ。アパートの人で、部屋の装飾を頼んどいた。アタシ手が離せないから、あんたが出てきて」


「分かった」


 俺は手を洗ってから玄関に向かい、ドアノブに手をかける。

 突然見知らぬ男が出てきたら、お客さんもびっくりするんじゃないだろうか。

 あらぬ誤解を生む可能性もある。

 ドアを開けるのを俺が躊躇していると、再びピ~ンポ~ンという音が響いた。


「ちゃんと説明しないとな……」


 覚悟を決めてドアを開ける。

 そこに立っていた黒髪ツインテの小柄な女の子を、俺は確かに知っていた。


「荒崎さん……」


 荒崎あらさき ゆかりさん。

 立花と同じくクラスメイトの女子生徒だ。

 学校ではあまり目立つタイプではなく、立花と関わっているところも見たことがない。

 立花がライオンだとしたら荒崎さんはリスとかの小動物タイプ。

 だからここに彼女が立っているのはかなり意外だった。


「はへ?倉野くん?え?え?ここって璃奈ちゃんの部屋だよね?何で?」


 戸惑いあたふたする荒崎さん。

 きょろきょろと目を泳がせた後、何かを察したようにポンと手を叩いて言った。


「そっか!倉野くんと璃奈ちゃんて付き合っ……」


「違う。違うんだよ荒崎さん」


 やはりあらぬ誤解を招いた。

 俺はまたまたため息をつくと、俺がこの部屋に入るに至った経緯を説明し始めた。

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