前日譚 火花①「お兄ちゃんは頑張ったよ。かっこよかったよ」

火花ひばなちゃんは、お兄ちゃんが優しくてカッコよくて、羨ましいなあ……」


「うん! 私のお兄ちゃんはいっぱい優しくて、超カッコイイよ! だから大好き!」


 私がまだ小学二年生だった頃の、運動会の日。

 当時五年生だったお兄ちゃんは、クラスのみんなと一緒にカッコイイ踊りを披露したり、騎馬戦の上で活躍したり、リレーのアンカーを任されたりしていた。――残念ながら、お兄ちゃんがバトンを受け取った時点で、お兄ちゃんのクラスの順位は最下位だったけど。それでも、お兄ちゃんはそこから他クラスのアンカーを二人抜いて、クラスを二位に押し上げた立役者だった。


 本当の兄妹ではないことは、叔父さん達から聞いた話で、もう知っていた。

 それでも関係ない。お兄ちゃんは私が自慢できる、最高のお兄ちゃんで。だから大好きだった。


「じゃーね、たっちん! よっくん! ばいばーい!」


 お兄ちゃんは友達にそう言って手を振ったのち、私の手を取った。

 運動会最後のプログラム、閉会式が終わったあと。運動会を見に来てくれていた叔父さん達は先に帰ってしまったから、私とお兄ちゃんはこうして、二人で家に帰ることになった。

 ――あの頃は大きいと感じた、まだ大きくない、お兄ちゃんの手。

 それに引かれながら、私はお兄ちゃんと二人、夕暮れに染まった帰路を歩いた。


「今日はお父さん、来らんなくて残念だったな」

「ううん! 叔父さん達が来てくれたからいい! あと、お兄ちゃんもカッコよかった!」

「えへへー。だろ? お前の兄ちゃん、カッコいいだろ!」

「うん! 今日ちーちゃんがね、お兄ちゃんカッコよくて羨ましいって言ってくれた!」

「マジか。違いのわかる女子だな、ちーちゃん。つか、もしかしてちーちゃん、俺のこと好きなんかな? ……え、うそ、マジで? なんかドキドキしてきた」

「今度ちーちゃんに、お兄ちゃんのことが好きなのか、聞いてきてあげよっか?」

「え? ああ、うん……べ、別に? 女子が俺を好きとか、どうでもいいけどな?」


 そんな会話をしつつ、私達は帰り道を歩き続ける。そのうち、運動会で張り切った疲れからか、私は「ふわああ……」と欠伸を漏らした。どうやら眠たくなってしまったらしい。

 こういう時、すぐに『お兄ちゃん、おぶってくれないかな』という淡い期待を抱いてしまう子供の頃の私は、隣を歩くお兄ちゃんの顔色を伺った。

 そしたら――。

「え……おにい、ちゃん……?」


「う、うううっ……ううううううううっ! うああああああああっ……!」


 何故かいきなり、隣にいたお兄ちゃんは、涙をぽろぽろと流しながら嗚咽(おえつ)し始めた。

 いつも頼もしいお兄ちゃんの突然の号泣に呆気に取られた私は、反射的にお兄ちゃんの背中をさすった。そうしながら、尋ねてみる。


「ど、どうしたの、お兄ちゃん……こわいこと、あったの……?」

「ううっ、ひぐっ、わあああああ……! ううううううううっ!」


 だけど、お兄ちゃんからの返答はない。

 そうして、どれくらいの時間が経ったのだろうか……子供の頃の体感では長時間、だけど実際には五分足らずの時間が経過して、お兄ちゃんは泣き止むと、ぽつりと呟いた。


「アンカー、やらせてもらったのに……二位だった……」


「お兄ちゃん……」

「カンちゃんを抜けば、勝てたのに……いつも俺、カンちゃんより速いのに……優勝できたんだよ、ぜってえ……それなのに、俺……」

「――――」


 その時、自分の胸に去来した感情の名前を、私はいまでも知らない。

 庇護欲? 母性本能? ギャップ萌え? とにかく私は、その瞬間……お兄ちゃんのことが愛おしくて、愛おしくて、たまらなくなってしまった。


 たぶんお兄ちゃんは、みんなの前では、泣くのを必死に我慢していた。


 二位なのに。――大健闘した上での、二位なのに。みんな「犬助けんすけやっぱすげえ!」と褒めてくれて、叔父さんも叔母さんも「よく頑張った犬助!」と言っていて、私も「私のお兄ちゃんはすごいでしょ!」と自慢したのに。

 それでもお兄ちゃんは、クラスを勝たせられなかったのが、悔しかったのだ。


「お兄ちゃん。お兄ちゃんは頑張ったよ。かっこよかったよ」

「ううううっ……ひばなああ……俺、でも、俺……!」

「大好き、お兄ちゃん」

「うううううっ……ひばなあああああ……うわあああああん……!」


 気づいたら私は、いつの間にか、お兄ちゃんをぎゅっと抱き締めていた。


 お兄ちゃんの方が身長は高いのに、私がお兄ちゃんの頭を、胸元で抱きかかえていた。それに対してお兄ちゃんも、叔母さんに縋るように、私の胸の中で泣いていた。

 それがなんだか、嬉しかった。

 みんなの前で泣かずに、私の前でだけ泣いてくれた――カッコいいだけじゃない、優しいだけじゃない、ちょっと弱いところもあるお兄ちゃんを、また好きになってしまった。


 これ以上の好きはないと思っていたのに。

 それなのに私は、お兄ちゃんのことを、これまで以上に――。


 ……それから私はまず、お兄ちゃんのことを「兄さん」と呼ぶようにした。加えて、普段からお兄ちゃんに対して、敬語を使うようになった。――大好きなお兄ちゃんと、大好きだからこそ、一定の距離を取るようにしたのだ。

 そうして私は、私が大人になるのを待ち……現在、高校二年生。


 年齢は、女性ならもう結婚ができる、十六歳。


 ちなみに、これは最近スマホで調べて、知ったことですけど……どうやらいとこ同士というのは、全く何の問題もなく結婚ができるらしいですよ。驚きですよね。

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