10 死刑囚の選択




東京拘置所。


許容人数3010名の日本最大収容施設。

その中の単独房のフロアでは、いくつもの扉がズラリと並ぶ。

その小さな部屋の中で死刑囚たちはそれぞれに過ごし、いつ訪れるか分からないその時を待っている。


その単独房のたった3畳の一室、白髪の混じった中年の男が、窓の鍵部分へ薄っぺらい囚人服の上着の袖をかけ、首を括ろうとしていた。


男は上着を握ったまま何度も深呼吸をしては、体重をかけてしまおうか躊躇っていた。

早くしないと見回りが来てしまう。


早く、早くしないと、見回りどころか、あの時が来てしまうかもしれない。


そして、男はまた何度も何度も深呼吸を繰り返し、首にかける上着へ、重力に従いいよいよダラりと力を抜いた瞬間だった。



「死ぬんすかー?」



いつの間にか目の前には、3畳の単独房に目いっぱい広がる、黒い翼を携えた死神のガクが立っていた。


男は目を見開きそれを呆然と見上げた。



「どもー、死神のガクでーす。」



男の視界の前でヒラヒラと手を振る。


男は口を半開きに、まだ呆然としている。



「おーい、聞いてるかー?おっさん、死ぬならその魂俺が預かっていーかぁ?」


そこでようやく男は異変に気付いた。

上着に体重をかけたハズの体が、畳から浮いているではないか。



「あ....。」


「俺が時間止めたんだ。あんたはまだ死なねぇよ。」



死刑囚は看守か弁護士か面会者としか顔を合わせることはないが、身寄りのない男の面会者と言えば堅物で愛想のない弁護士くらい。

看守も弁護士も、自分に笑いかけることなどなかった為、人の笑顔などどれ位ぶりに拝んだだろうか、目の前に腕を組んで立っている死神の口元が、穏やかに口角を上げているのがやけに心地よかった。



「死神.....。本当にいるんだな....。」



男の反応は割とあっさりしていた。

覇気のない顔で見上げる男にガクは更に話を繋げた。



「俺はあんたみたいな、人生を途中リタイアした人間の魂を回収すんのが仕事なんだ。

その魂はまだ寿命まで生きられるエネルギーを残してる。

それはあの世で転生を待つ魂たちに必要なんだ。

でも、あんたの承諾がないとエネルギーは持って行けねぇんだよね。」



男は俯いた。

その話が本当だろうとでまかせだろうと、どっち道自分はこの建物内で一生を終えるのだ。

魂がどうのこうのと、正直どうでもいい。

そう少し考え込むと、顔を上げて答えた。



「持ってけよ。俺は死ねればそれでいい。」


「.....あっそ。さんきゅーおっさん。」



ガクはそのあっさりさに少し意表を突かれながらも笑顔で相槌を打った。



「じゃ、中断して悪かったな。はいっ、心置き無く首吊りをっ、どうぞーっ。」



ガクのそのバラエティ番組のMCかのようなテンションは明らかにこの場の空気には不釣り合いだった。


すると、密室のはずの単独房に突然そよ風が吹いた。

男は窓でも開いているのかと見上げてしまったほどだ。



「ありゃ?」



ガクはまさかと思いながら後ろへ振り返ると、同じように背中に黒い翼を携え、黒いスーツに身を包んだ初老の男が立っていた。

小柄で寝癖がかった白髪頭で、目は死んだ魚のように無気力に据わっている。



「キョウさんじゃなーい。久しぶりー。もしかして時間か?」



死神のキョウは死刑専門死神。

キョウが現れたということは、この男の死刑執行がもう目前だということを示している。


キョウは男の様子を横目で見るとボソリと口を開いた。



「.....時間だ。もうすぐ看守が来るぞガク。」


「まーぢでかぁー。なんだよぉー俺の案件かと思ったのにぃ。」



誰と話しているのか不思議そうに見つめる男へ、残念そうに眉をひそめるガクは、ため息をつきながら話始めた。



「おっさん、もうすぐあんた執行時間なんだってさ。首なんか括んなくてもすぐ死ねるよ。」



男はこれまでの無気力さを拭うように、突然青ざめて焦り出した。



「ダメだ....俺は....ころっ....殺されるくらいなら.....自分で死ぬ...。」



ガクは腕を組んだまま片眉を上げ、男を見下ろし言った。



「殺されるだぁ?殺人じゃねんだ、裁判の結果だろーが。

秋野 正俊。あんたは今自らを律しようとしたため死神の俺が来た。

でもさぁ、あんたがどう死んでも行先は同じ、地獄なんだぞ。」


「....分かってる....2人も殺めた俺なんざ...穏やかに天国なんか行けねぇだろうよ...。」


「じゃあ、簡単じゃねぇか。

ちょっとでも反省してんなら法に基づいて裁きを受けたらいんじゃねーか?」


「違う...そういう事じゃない...。あんたには.....分からんだろうよ...あれの....恐ろしさが.....。」



2人のやり取りに秒で飽きたキョウは、あくびをしながらガクの後ろで畳にあぐらをかき、壁にもたれ掛かりながら腕を組んで眠り始めてしまった。



「おっさん、あんたは自分のタイミングで死ねない事が怖いだけだろ。

まぁそりゃそうさなぁ、目隠しされて?首に縄かけられて?執行人がいつボタン押すのか分からん状況で平然としてられる奴は少ねぇよなぁ。」


「.....言うな....やめろ....。」



正俊は上着を握りしめ、歯をガタガタ震わせた。



「まぁそれがあんたに課せられた刑なんだから仕方ねぇかぁ。」


「うるさい...やめろっ....。」


「こんな狭いとこで10年間もその刑に怯えてさぁ、生きた心地なんてしなかっただろうよ。さっさと首括りゃ良かったのに。」


「やめろっつってんだろっ!!」



冷や汗をかき目を潤ませ、体中ガタガタと震わせ声を荒らげた正俊に、ガクは先程とは違い冷ややかに言葉を振りかけた。



「黙れよおっさん。あんたに殺された2人の母娘はそれ以上の恐怖を強いられたんだ。」



突然声のトーンを落としたガクの重い言葉に正俊はハッとした。



「あんたのした事はほんの出来心でした、では済まされねぇよなぁ。

安全なはずの家の中で、待ち伏せてたお前に包丁を突きつけられ、脱げと脅される母親の味わった恐怖がお前に分かるか?


「っ....!」


「目の前で母親が胸を刺されて血だらけで犯されるのを、12歳の娘がどんな恐怖で見てたかお前に分かんのかよ。」


「わか.....」


「ある日突然知らねえ野郎に命を奪われる恐怖がお前に分かんのかよっ。」



正俊は一点を見つめながら震えて爪を噛み始めた。


珍しく声を張り上げるガクはスラックスに両手を突っ込みながら、正俊の目の前まで歩み寄り、冷たい眼差しで煽りを効かせ更に見下ろす。



「お前はマシだよなぁ。

好きなタイミングで自分で死ぬか、

時間ですよーって呼ばれて人に任せて吊ってもらうか、選べんだからよ。」



正俊は自身を見下ろす死神の狂気に満ちた表情を見上げてゴクリと生唾を飲んだ。

そして溢れだしてくる言葉をそのままオドオドと零し始めた。



「ぉ、おおおお俺はっ、...反省してるよっ...何度も何度も...謝った....許してもらえるとは...思ってねぇ...でもっ...でも....」



そこまで言いかけ、続けようとした「怖い」という言葉を飲み込んだ。

この男には、怖いなどとぬかしていい権利は、ない。



「どっち道、お前には死という選択肢しかねぇ。反省してるとか、謝っただとか、何を言ったってもう遅せぇ。

だがお前だって人間だ。怖ぇもんは怖ぇ。

お前を呼びに看守がもうそこまで来てる。

1分待ってやるよ。その間に自決か執行か決めな。」



正俊はガクが現れる直前に一瞬だけ締まった首の苦しさを思い返した。

死ぬということは、あれ以上の苦しさを自らの首に課すこととなる。

細いロープとは違い、こんな薄っぺらい布では一瞬で死ねるとは限らないだろう。

そんなもの、果たして耐えられるのだろうか。



「時間だ。」



ガクはパチンと指を鳴らした。


時間が戻り、浮いていた体がドスンと畳へ叩き落とされると、慌てて首に掛かった締まりかけの上着を外す。



「さぁ、秋野正俊。選べ。」



ガクの言葉と同時に、

外から何人かの看守の足音がコツコツと聞こえ始めた。


寝たフリをしていたキョウが腕を組みながら片目を開け、チラリと正俊を見る。



「死ぬんすかー?

やってもらうんすかー?」



遺族には散々謝罪の手紙を書いた。

何通も何通も書いた。

心から反省していたつもりだった。

死刑になろうが自殺をしようが、自分が消えれば少しは満足するだろうと思っていた。

満足。

満足?

いや、1ミリ足りとも満足などするわけがない。

自分が法に基づき裁かれても、遺族の思う所は計り知れない。

遺族が自分を殺したところでその無念は晴れるわけが無い。

ではここで自尽すれば遺族はどう思うだろうか。

ざまあみろと笑うだろうか。

いや、

裁かれる苦痛を逃れたと憤るだろうか。


逃げたと、思うだろうか....。




「や....て...もらう....。」




ガチャ......


「625番。出房だ。」





───────


「....ガク、いつもこんな回りくどい事をしてるのか。死ぬというなら黙って死なせておけば良かろうに。」



事が済み、担架に乗せられる正俊の額から、白く光る魂を抜き取るキョウは無気力に言った。



「いーだろ別にー。俺にだって良心くらいあんだよ。」


「良くはないだろ。お前さん本当に消されるぞ。」


「あはっ。それは困るぅ。」


「能天気なやつよ....。」


「ところでさぁ、俺コウちゃんが織田信長だったってこの間初めて知ったんだけどさぁ、キョウさんは生前何だったん?有名人?」



ガクは興味津々にキョウの顔を覗き込む。


キョウは無気力な死んだ魚の目でガクを見上げると、そのまま指を鳴らしそよ風と共に消えた。



「っ...と...地雷踏んだかな...。」



眉をひそめて苦笑いするガクもまた、指を鳴らして拘置所を去った。






人間にはどうしようもない苦の瞬間がある。

金銭での失敗。

男女関係のモツレ。

自分以外の人間を傷つけた時、また殺した時。


それが自ら命を絶つ死へと発展してゆくなら、是非協力してやってほしい。

死神屋さんのガクさんに。

アナタの力で生を受ける魂たちに。



TO BE CONTINUED…



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