第2話:なぜ、政治は若返らないのか? ①

現在、日本の国会議員は平均年齢が他の国に比べても高く、若年層の国政進出もかなり遅れている。そのため、若年層の意見が通りにくく、必要な議論をされてこなかった。これらの要因はいくつかあるが、その内の1つにあるのが、“年功序列型政治構造”だと私は考えている。


 これは、今までの実績のある人たちを選んで無難な政治を展開していって欲しいという“トラブル”や“対立”を嫌う国民性が象徴していることや投票率の高い高齢層に支持がある人の影響、支援団体や企業の集団票など地元の地盤が強力でかつ見込み票が多いなど“権利集中型”の選挙戦が展開されていることで若年層が対抗するにはかなり勇気がいるだけではなく、場合によっては誹謗中傷や罵声などが飛ぶ可能性もある。


 そのため、上の世代から“今の若い世代は怒られることに慣れていない”・“社会経験が少ないのに何が分かる”・“挑戦することに対しては前向きだが、成功に繋がらないと行動できない”などあらゆるレッテルが若年層の政治的関心を削ぐ結果を更に後押ししてしまっている。そして、これまでさまざまな声を上げてきた若い世代にとって“政治=お金の力”や“政治=利得主義”など自分たちの利益のあることしか前に進めないというイメージを持たれてしまっているのが、現状だろう。そして、これまでの社会経験・人生経験が浅い立候補や表に立つことに対して高い年齢層からかなり否定的な見方をされることもしばしばだ。


 ただ、今回の一部の選挙区でベテラン議員に危機感を与えた若手候補もいたことから少しずつ世代交代が進む可能性が出てきた印象を受けた選挙だった。ただ、未だに根強い政治に対する不信感が若年層の国政進出などを招いていることも同時に感じた選挙だった。


 次に“人材育成に対する世代間認識の違い”が挙げられる。


 これは、いわゆる先輩議員が後輩議員を育てることや社会全体で下の世代を育てて、次の世代に渡していこうという意識の欠如が利権集中型の国会運営を助長してしまっていると思う。


 これらを避ける意味でもきちんと後継の人材を育てるためにも必要な人材の結集、教育機会の拡充と少しでも政治に対して興味・関心を持っている人たちがもっと発言しやすくなること、国会議員さんなど先頭を走っている人たちが後ろを走ってくる人に手を差し伸べることなど1つの育成モデルが完成することで物事が好循環を起こして良い方向に進んでいくという結果に繋がる。


 一方で、日本は若い世代が政治に対して無関心もしくは関心はあっても公表しない人が多い。その理由として“毎回、何か言うと必ず叩かれる”や“メディアなどの扱いがすごく雑だから”・“自分たちが何を言っても上の人たちには響かない・”言った本人が潰される“・”発言を否定される“など社会や国政に対してマイナスのイメージが先行し、否定的な結果しか見えてこない現状をこれらの意見が反映しているように感じる。


 私はこういう部分にきちんと問題意識を持って、“今、何をするべきなのか”について全世代を巻き込んで考えていくことが大事だと思っている。なぜなら、限定された世代だけが考えているだけでは全体に問題意識が共有されず、自分たちと他の世代間において考えのズレを起こしてお互いに争いや潰し合いが始まってしまう。


 特に日本のような年功序列型社会の場合は多くの人が“自分の方が年上なのだから”や“自分の方が人生経験長くて知識も豊富だ”などと下の人たちを卑下する形で言いくるめようとしてしまう。これが日本において人材の流動性が不安定になる要因だと私は思っている。


 そして、何事にも上下関係を作ってしまったこと、順位や点数などで人を評価してきたことでその人を正当に評価できているのかは疑問しかない。そのうえ、多くの場合はその人の社会的価値で判断されるため、これらの問題に対してある一定程度の実績や知名度などの個人評価点が高い人は社会から重宝されるが、低い人は社会から追放される事もしばしばだ。


 このように、社会に求められる事と若い世代が求めている事、見ている着眼点が一致しないもしくは軽視されていることで若い世代が政治に対して不信感を持ち、自分たちが動いても意味がないと思ってしまうのだろう。その結果、若い人たちは自分たちの好きなように動きたいと思うようになり、同調や協調を重んじるようになってしまうのだ。


 その他にも“○○がこう言っているからなるほどと思った”・“同年代の人たちがデモ行進をしているから”など他の同世代の人と同じように動きたいと言う人や“自分だけが取り残されたくない“・”他の人と同じ事が出来ないのは嫌だ“という考え方を持っている人、人との争いを嫌う人など多岐にわたっている事や「上に立って責任を取りたくない」という責任回避心理が働くことも影響しているだろう。


特に、今まで身の危険を感じるほどの自身の経験やその人の周囲で起きていないと実際にその状況になった人の気持ちを考察することは困難であり、場合によってはその人を否定し始める集団心理が発動する可能性も少なくないなど相互理解が難しい反面や今まで受けてきた教育的観点でも自分事として考えている人はかなり少なく、授業などで習った事を楽観的に捉えている人が多い。


その結果、自分たちのビジョンが明確になっている人ほど政治に対する興味・関心の低下や政治に対しての期待などはしないため、どのように政治が動いていっても自分には関係がないという認識の拡大が影響しているだろう。しかしながら、何か自分たちに不利益が被る可能性がある場合や周囲が問題定義していることで孤立したくないため、そういうときだけは政治参加の有無に関わらず声を上げるのだ。

日本というのはどのようなことが起きても自分の身に起きないと実感をしないなど他責思考が習慣化していて、自分が考えている事が正しいという認識を持っている人が多い。そのため、自分の身に起きると自分だけが助かろうという心理が働き、周囲を巻き込んで自分だけが生き残る方法を模索するのだ。


 私はこういう考え方を何とかして改めないと間違いなく日本は崩壊すると思う。そして、日本というのは世界に比べると後手を踏むことが多いため、世界で問題視している事柄を後から問題だと声を上げて、同じ考えをもっているように模倣することで安心してしまっている印象も少なからず見え隠れしている。


 しかしながら、“自分の発言などに責任を持ちたくない”という人が多いため、その事をきちんと調べること、なぜ問題だと言われているのかを知りたいと思う人は本当に少ないと思う。そして、調べたことを実行する人もかなり少数派であることは言うまでもない。


 これは“ネット社会に生きている事の弊害”ではないかと思うのだ。


 その理由として今の若年層はSNSなどネット環境の発達により自分の主張を匿名で発信することが可能となっている。そして、芸能界なら芸名、LiverやYouTuberなどネット上で活動するなら活動名などで自分の個人情報を隠して活動できるため、自分が何を言ったとしても本名を出さないことで自己防衛することが可能となるのだ。


 これは、実名で出なくてはいけない選挙などに対する抵抗感を強める要因の1つになっていると推測することができ、プライバシーなどを気にする若い世代にとってはこの問題を乗り越えるにはかなりのエネルギーと勇気が必要になるのだ。そのため、投票に行くにしても結局は自分たちに得はあるのかどうかを勘定して得があると判断しないと行動しない人が多いことも政治の若返りが進まない要因だろう。


 仮にこれらの問題を解決するには若い世代とベテラン世代が正面から向き合って認識のズレや価値観の尊重などお互いにお互いを認め合えるような環境整備や定期的な意見交換などを行っていく必要があり、いきなりその場で何らかの結果を出すというよりも時間をかけて徐々に交流や意見交換、実地視察などを増やしていき、そこからどのように若い世代に継承していくべきなのかをきちんと議論し、長期計画を立てないと若い世代が政治に興味を持つことも難しくなるだけでなく、今後の経済成長等にも多大な影響を与える可能性があるだろう。

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