第35話 光と闇

「バラグ! おめえずりぃだろ! よりによってヴェリコイラかよ!!」


 魔王はそう言いながら笑っている。やっぱりヴェリコイラは相当な使い手なんだろう。しかし一方のカルアミルクの方もにやにやと笑っている。コイツ多分ヴェリコイラの実力分かってねえな。


 段位を取って初の相手がこんなメスガキか、ラッキー。くらいにしか思ってないのが見て取れる。それよりも奴が警戒してるのが、多分俺だ。


 二人は開始線の前で礼をし、そして構えを取るが、カルアミルクはヴェリコイラ越しにチラチラと俺の方に視線を送っている。


 送っているというか、俺を警戒してるんだ。


 なんせここまでの4回の転生で一度の例外もなく俺の不意打ちを食らって殺されてるんだからそれも仕方ないだろう。


 とはいえだ。お前の相手はヴェリコイラだぞ。俺じゃない。


「始め!!」


 ヴェリコイラの親父、バラグの掛け声で試合が始まる。審判もいなければ、タイムキーパーもいない。動けなくなるか、参ったと宣言するまで試合が続くスタイルだろう。


 先ずは小技、足払いや遠間でのジャブ、前蹴りでの応酬が続くが。


 ダメだカルアミルクの奴、全然集中できていない。


「ぐべ!」


 一瞬。


 視線を逸らした隙に、とても踏み込めるとは思えないような遠間から一気にヴェリコイラが間合いを詰めて直突き。カルアミルクの鼻先を捉えた。


 さらに怯んだところに鳩尾への中段突き、そこから肝臓へのボディフック。体がくの字に折れ曲がるが、それすらヴェリコイラは許さない。彼女の膝蹴りがカルアミルクの下顎を捉え、今度は体が海老反りする。


 やりすぎだ。死ぬぞ。


「他流の者、丁重に扱うべし」


 声が聞こえた。


たおす事まかりならぬ」


 「殺すな」と。それはバラグの声であったが……


「伊達にして帰すべし」


 すなわち、五体満足では帰すなと。かかる者の姿は「バラグ流強し」を世に知らしめ、道場の名声を高むるに至るなり。


 次に、ヴェリコイラが狙うは喉。「参った」と言えなくするため。


「とめないのか」


 魔王の方を見るが、しかし誰も戦いを止めようという者はいない。魔王は、どうやら怒っているようだ。


 何に?


 もちろんそれはカルアミルクに対してだ。


 力及ばず負けるならともかく、試合に集中できず、何かに気を取られて、実力も出せずにいいようにやられるなど空手家にあるまじき失態。助け船など出さぬ、という事だろう。


 俺はどうすればいいのか。俺は、今まで何度もカルアミルクを火葬にしてきた。だがこれは違う。


 これは『試合』だ。『死合い』じゃないんだ。俺は立ち上がって声を上げた。


「待て、それ以上は……」


 だが、一瞬早くヴェリコイラの上段後ろまわし蹴りがカルアミルクの意識を刈り取った。



――――――――――――――――



 俺は、町はずれの小さな療養所に向かう。


 大分民家や店も少なくなり、数少ない建物もあばら家が多くなってくると、その建物は見えてくる。いわゆるスラム街という奴に、それはあった。


 ここは、このグラッコの町の『暗部』だ。


 光があれば必ず闇がある。


 人々が明るく暮らし、カラテを研鑽し、健康に技を磨き合い、高め合う。


 その光に対する闇が、この一角だ。


 ここに暮らすのは貧民だろうか。職にあぶれて今日のパンを買う金もない人たちか。答えはノーだ。なぜならこの町では金がなくても物が買えるからだ。『カラテ』で。


 だがカラテが使えない者はどうなる? その答えがこの地域なのだ。


 俺が道を歩くと、ござを敷いて、物欲しそうな目で乞食が視線を送ってくる。乞食どもには手足がなかったり、目がなかったり……もしかしたらヴェリコイラ達ににされた奴だろうか。


 あれから……カルアミルクがヴェリコイラに敗北してから3か月の時が流れた。魔王軍は醜態をさらしたカルアミルクを自国の領土に連れ帰りもしなかった。


 そのままカルアミルクはこの国立の医療施設であるあばら家にぶち込まれ、地元でもないために見舞いに来る者もいない。


「調子はどうだ? カルアミルク」

「あ……ああい……」


 カルアミルクは視線だけを動かして俺の方を見る。彼が今思い通りに動かせる唯一の部位、眼球。


「ホラ、手を出して」

「うう……いあ……」


 ふらふらとカルアミルクは手を伸ばす。終盤にカルアミルクの頭部を捉えた後ろまわし蹴り。それを食らってカルアミルクはピクリとも動かなくなった。あれから3か月の時が経とうとも。


 ふらふらと思い通りに動かせない左手をカルアミルクは俺の方に差しだす。俺はその手を両手で握って深く集中し、回復魔法をかける。


 結論から言うと、俺の回復魔法でカルアミルクは治せなかった。


 脳や神経系の、自力での回復機能を持たない器官は俺の魔法では回復させることができなかった。それでもいつか、俺の魔法がレベルアップすれば治るかもしれない。


 そう思って俺は3か月の間、毎日ここへ通って治療を続けているが、まだ効果は出ていない。


 食事は流動食を喉の奥に流し込み、排便の処理も自分ではできないので介護してもらわなければいけない。


 この医療施設に勤めてる者達はあまり仕事熱心ではないため、俺が日に何度か通って面倒を見ている。


「う……うう……」

「気にするな、俺とお前の仲だろう……」


 カルアミルクはいつものように涙を浮かべている。その涙は、申し訳ないという気持ちなのか、それとも自分の弱さへの腹立たしさか。


 俺はシーツを交換する。床ずれのせいか相変わらず汚れが酷い。カルアミルクは寝返りも自分ではうてない。前の世界じゃ魔族から人間に寝返ったっていうのにな。


 自分じゃできないから床ずれ防止で介護士が日に何度か姿勢を変えてやる必要があるんだが、ここの職員に頼んでもやってくれないので、やはり俺が来た時に寝返りをさせている。


「大丈夫、いつかきっと、治る時が来るさ……前みたいに戦える時が来る。

 ……その時は……俺がきっと真っ先にファイアボールを食らわせてやるからさ!」


 俺はすっかり細くなって枯れ枝のようになってしまったカルアミルクの腕を優しく撫でた。


「きっと……きっと、前みたいに……ッ!!」


 その変わり果てた姿に、俺は思わず涙を流してしまった。


「こぉ……ひて……」


「え?」


 今までのうめき声とは違う。明らかに意思を伝えようとする声だ。カルアミルクは涙を流しながら、必死に口を動かしている。


こおコロ…………こおひへコロシテ……」


「カルアミルク……」


 もはや、自分では意思を伝える事すらもままならない。かつては魔王軍四天王だった男が、そんな自分の現状に耐えられる筈がなかったんだ。


 そして、3か月という絶望の時間は、奴の心を折るには十分すぎた。


 俺はゆっくりと、奴の目の前に右手をかざし、そして魔力を込め始める。


「あ……あぃアリ……あおぉガトウ……」


 最後に、奴の顔に笑顔が宿った気がした。



「イヤーーーーッ!!」



 奴の元気な「グワー」は、聞くことができなかった。

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