第2話 11月6日~11月7日

「はい。それでは、今から小テストを行います。机の上の教科書やノートをカバンにしまいなさい。筆記用具も必要なもの以外、筆箱も含めて机の上には置かないこと」


英語の時間、担当教師がそう告げた時、僕はギクリとした。今日が英語の小テストの日であることをすっかり忘れていたのだ。普段、ピアノの練習に時間をかけるあまり、真面目に勉強に取り組んで来なかった僕だが、今日の小テストにいい加減に取り組むわけにはいかなかった。


 この英語教師、僕の通う高校の教師の中でも特にその指導が厳しいことで有名で、授業中に私語でも聞こえようものなら、「Shut up! (お黙りなさい!)」と叫び、「Get out of the classroom! (教室を出てお行き!)」と怒鳴って本当に生徒を教室から追い出してしまうのだった。宿題を忘れれば、次の授業までに倍の量の宿題を出されるし、時たま行なわれるこの小テストで悪い点数を取ると、居残りで補習をさせられる。


 明日は奏佑の家に遊びに行かなきゃいけないのに・・・。この小テストを失敗したら、奏佑の家に行くのが遅くなっちゃうよ・・・。この英語教師は、補習のやり方も厳しくて、生徒ができるようになるまで何時になろうが、絶対に家に帰ることを許してはくれない。


 この先生の補習のせいで、奏佑の家に行くのが遅れるのは嫌だなぁ。それに、明日は僕の誕生日だし・・・。いや、十中八九、奏佑は僕が明日誕生日であることを認識してはいない。この一週間、僕とも何ら変わらずに接していたし、例えば、「今、欲しいものあるか?」などと、僕への誕生日プレゼントを買おうとしていることを窺わせるような質問をして来ることも一度もなかったからだ。それでも、奏佑と一緒に誕生日を過ごせるのだ。どうせなら、誕生日を祝って貰えなくても、僕の誕生日に奏佑との時間を楽しみたい。


 英語教師が踵の特別高いヒールの音をコツコツさせながら、テスト用紙を配って回る。彼女が僕の机まで歩いて来た。しかし、英語教師は僕の机の上にテスト用紙を置かない。「あれ?」と思って僕が見上げると、英語教師が度の強い眼鏡の奥から目を吊り上げて僕を睨みつけていた。冷や汗がどっと背中から噴き出すのがわかった。


「ミスター霧島。私がさっき、何をしなさいと言いましたか?」


英語教師が低い声だが、十分に威圧的に聞こえる調子で僕に尋ねた。


「え、えっと、机の上の教材をカバンにしまうようにって・・・」


「それだけじゃないわよね」


「そ、それだけじゃないって、えっと、えっと・・・」


僕はパニックになって頭が真っ白になってしまった。


「筆箱もしまいなさいと言ったでしょう! どうしてそんなことも聞いていないんですか!」


英語教師の黄色い怒声による雷が僕の頭上に直撃した。僕は慌てて筆箱をカバンにしまった。ところが、


「鉛筆も出さないでテストを受けるつもりですか!」


と僕は英語教師に続けざまに怒鳴られた。僕はあまりにも慌てていたため、シャープペンシルや消しゴムも筆箱と一緒にカバンにしまっていたのだった。僕はあせあせとカバンの中にしまった筆箱からシャープペンシルと消しゴムを取り出した。


「高校生にもなって、いつまでもボウッとしているんじゃありません! もっとぴしっとなさい!」


英語教師はそんな怒鳴り声と共に、僕の目の前にテスト用紙をピシャリと音を立てて置いた。


 勉強をろくにしていなかった上、この一件で更に冷静さを失ってしまった僕のテスト結果は散々なものだった。翌日の英語の授業で返って来た答案は100点満点中30点だった。


「こんなひどい点数を取ったのはミスター霧島、あなたしかいません! 放課後、教室に残りなさい」


僕は英語教師にクラス全員の前でそうこっぴどく叱られ、十六歳の誕生日に赤っ恥をかかされた。十六回目の誕生日はお祝いするどころではなくなってしまった。それどころか、英語教師のヒステリックな怒鳴り声に延々と付き合わされる羽目になってしまったのだ。せっかく恋人と過ごせる誕生日に、まさかこんなことになるなんて・・・。僕は誕生日というものにとことんついていないらしい。


「ドンマイ、律。できるだけ早く補習終わらせろよ。番組始まっちゃうからな」


奏佑は僕を同情の目で見ながら、一足先に帰って行った。




 結局、僕の十六歳の誕生日プレゼントは、英語教師の持って来た大量の課題と、僕の耳元でがなり立てる彼女の怒鳴り声だった。奏佑と迎える初めての誕生日なのに。もし、誕生日を奏佑に祝って貰えなくても、奏佑と一緒にこの一夜を過ごすことができるはずだったのに。僕は一体何をやっているんだろう。


 英語教師の金切り声を聞いているうちに、だんだん僕は情けないやら悲しいやら、とかく切ない気持ちがこみ上げて来て、思わず涙がポロッと零れてしまった。慌てて涙を拭う僕に、さっきまでガミガミ怒り続けていた英語教師も少し声を和らげた。


「ミスター霧島、そんな風に泣いていたってしょうがないでしょう。こうやって補習を受けることになったのも、しっかり勉強しなかった自分のせいなのよ。これは、あなたをいじめようとして出している課題じゃないの。あなたが授業の内容をしっかり理解できるようになるまで、勉強してもらいたいから出している課題なの。だから、めそめそしていないで、しっかり取り組みなさい」


そんなことはわかっている。でも、今日は僕にとって特別な日なんだ。こんなことをするような、教室で一人居残りをさせられるような日では本来ないはずなんだよ・・・。

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