第4話 研究所

 金曜の夜に植物を受け取りにいくと、松木は不安そうな目で五葉を見ていた。五葉はなるべくにこやかにして見せたが、却ってわざとらしかったかもしれない。

 その植物の束は助手席にある。久しぶりのレンタカーで、隣の県までドライブだ。一時間ほどで着くだろう。

「しかし……あの松木とかいう鬼、本当にひどい奴だな。秘密をぺらぺらと簡単にしゃべって。痛めつけられてというならまだしも、俺は怒鳴ってさえいない」

 五葉がそう言うと、否定がタチアナさんから返ってきた。よく言う、とでも言いたいのだろう。

 しかし実際、五葉は脅すような事は言わなかった。嘘をついただけだ。

「話が本当で薬を作っていたとして……どうしようか、タチアナさん」

 松木と夜に会って以来、五葉は何度かタチアナともその話をしていた。しかしタチアナはいつもこう返す。

 す、き、に、し、な、さ、い。

 本当に好き勝手やったら、タチアナは怒る。もっと考えて行動しろという。それは分かっているので、要するに自分でよく考えて好きに行動しろという意味だ。

 五葉自身、どうしたいのかはまだ決めかねていた。本当に鬼が人に戻れるのなら、それはいいことだと思う。これ以上人間が食い殺されることもない。この世界に、鬼などという存在は不必要だ。

 だが、既に人間を食った鬼はどうだろうか。頭珠天ずしゅてんの死から半年経つ。鳴りを潜めている鬼も多いだろう。しかし腹は減るから、人間を食い殺しているはずだ。それは抑えられない本能だ。

 総数で千人はいるとされる鬼たちは、その全てが食人を経験している。松木が言っていることが本当なら奴は例外のようだが、鬼になった直後に近親者などを食い殺させる儀式を受け、それで習慣的に人間を食うようになる。

 何人も、何十人も、事によったら何百人も、既に食っていた鬼だっているだろう。そんな鬼が人に戻ったとして、それは果たして許されることなのだろうか。

 しかし一方で、鬼も被害者といえる。頭珠天やその配下によって血を飲まされ、鬼に変えられたのだ。鬼になった以上は人間を食わねば反逆者として殺されるし、食わないなら食わないで飢えて死ぬ。やむにやまれず人間を食った……そんな鬼もいたかもしれない。

 だが、それを何百人何千人の遺族に向かって言っても、通じる話ではないだろう。人殺し、鬼め。そう謗りそしりを受け、許されることはないだろう。

 裁判をすれば……確か、緊急避難といったか。自分を守るために他者を害する事になっても罪には問われないという、ああいうのに該当するかもしれない。

 だが五葉は、自分が下すべき判断は、一般的な社会通念に基づくものではないと考えていた。それは言うなれば、夜合やごうとしての考えという事だ。

 夜合は鬼を殺す。鬼が人を殺すからだ。しかし人を殺さないなら、松木のように本当に一人も殺していない鬼がいたとしたら、それを殺すべきなのかどうか。もし許すなら、それは何を許したことになるのだろう。何故五葉にそれを許すことができるのだろう。

 食った人数か。犯した罪の数か。鬼でいた期間か。その心に人間性が残っているのかどうかという事なのか。

 もう導いてくれるリーダーはいない。土御門は死んだ。タチアナさんは賢いが、しかし、この判断を委ねる相手ではない。自分で決めなければならない。

 車を運転しながらぼんやりと考え続けていたが、しかし、答えは出なかった。答えが出ないまま目的地についてしまった。

「ここらしいね」

 タチアナに言うともなく五葉は呟いた。

 路肩に車を停めるスペースが二台分ほどある。そこから砂利道が森の奥へ続いている。雑草がなく、人が定期的に歩いているように見えた。

 周囲には何もない。すれ違う車もほとんどなかった。航空写真では奥に建物があることが分かるが、本当にあるのか疑わしくなってくる。

 しかし、道は続いている。ここまできて帰るのもばかばかしく思い、車から降りて、五葉は進むことに決めた。

 道を進むと、砂利道は五十メートル程で途切れていた。しかしその先も踏み固められた跡があり、五葉は花束を手に先に進んだ。

 段々と草が生い茂ってきて道が狭くなってくる。道の痕跡も曖昧になってくる。本当にこの道で合っているのかとスマホで確認するが、圏外になっていて分からなかった。だが道は五百メートル程度のはずだ。そう長くはない。

 しばらく藪をかき分けて進むと、開けた場所に出た。また砂利の道があり、先に続いている。スマホはまだ圏外だが、さっき航空写真で見た地形と合っているように思えた。

 また砂利道を進んでいくと、ようやく建物にたどり着いた。コンクリート製の建物。役所の建物みたいだと五葉は思った。入口には何も書かれていないが、門柱にチェーンが渡してある。それを跨いで中に入る。

 人の気配はない。特に音もしない。安西という鬼と他に数人が手伝いでいるらしいが、奥でこっそりと作業しているようだ。

 割れたガラス戸を開けて中に入る。蝶番がゆっくりと軋み、音が響く。しばらく様子を窺うが、五葉には何も感じられなかった。タチアナからも反応はない。五葉は奥に進んだ。

 廊下には段ボールの切れ端や角材が散乱していた。外れたドアや窓も落ちている。ガラスも何枚か割れていて、雨のせいか一部の床は苔が生えていた。落ちている紙のファイルは何かの会議書類のようだったが、水でにじんでほとんど読めなかった。

 いくつか部屋があったが、事務机が並び、古いブラウン管のテレビが置いてあった。ここが使われなくなったのは結構前のようだ。

 奥に進むと、突き当りに金属製の引き戸の部屋があった。何か音が聞こえる。規則的な音だ。多分、発電機だろう。発動機の音だ。五葉は足音を立てないようにドアに近づく。

 ドアは少しだけ開いていて、そこから中の様子が見えた。五葉がそこから中の様子を窺うと、三人の男が見えた。二人は若い。一人は少し年を取っている。五十歳くらいだろうか。この年かさの男が安西だろう。

 三人は机を前にして何か作業をしている。時々奥の方に行って、何かを持っていったり、取ってきたりしている。

 ここが薬の研究室か。五葉は少しだけ感動した。こんな人里離れた場所で、鬼が人知れず、人に戻るための薬を作ろうとしている。夜合として生きて長いが、まさかこんなものを見ることになろうとは。

 夜合がまだ健在であればどうなったろうか。協力したか、それとも問答無用で皆殺しにしたか。恐らく後者だろう。研究するにしても、それは人の手ですべきだ。鬼に任せることではない。

 しかし今、夜合は既にない。夜合の生き残りの誰かならこの研究を引き継ぐこともできるのかも知れないが、五葉にそんなことはできないし、他の仲間と連絡を取る手段も持ち合わせていない。

 このまま帰ってもいい。そんな考えが五葉の頭に浮かんだ。こいつらをこのまま放っておいて、人に戻るなら戻ればいいではないか。そんな気もした。しかし……五葉の手には花束がある。研究に必要な植物を渡さなければならない。それに、ここまで来て会わないなんて、そんな話はないだろう。

 五葉は引き戸をゆっくりと開けた。ギィと音がして、部屋に響く。安西達も音に気付いたようだが、一瞥しただけですぐに作業に戻った。五葉を松木だと思っているのだろう。五葉は花束を抱えながら、ゆっくりと部屋の奥に進んだ。

 安西らしき男が五葉を見た。そして目を細め、眼鏡をなおす。松木ではなく別の人物だと気付いたようだ。

「君は……誰だ?」

 そう問われ、五葉は足を止めた。他の二人も五葉の方を向く。十五メートルほどの距離だ。念動力を使うには少し遠いが、逆に鬼もこちらに攻撃を仕掛けにくい距離だ。

「松木さんの代理です」

 五葉は三人を見鬼の目で見た。みんな限りなく白に近い青だ。松木と同じ色だ。少なくとも二か月は人間を食っていない色。どいつも大人しい普通の人の様な顔をしている。しかし鬼だ。

「代わりに植物を持ってきました」

 そう言い、五葉は花束を持ち上げる。

「聞いているかね、君達」

 安西は他の二人に確認する。

「いや、聞いてないです」

「俺も知りません」

 三人は顔を見合わせ、怪訝そうな顔をする。

 どうやら松木は安西に連絡しなかったようだ。五葉はそう思った。

「まったく……勝手に人に教えるなといったのに……」 

 安西はぶつぶつと呟き、持っていた金属製のトレーを置いた。

「君は、一体誰なんだ」

 三人の疑念の目が五葉に向けられていた。五葉は薄っぺらな微笑を浮かべ、答えた。

「おれは、夜合だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る