第9話 亡くなった妻と、お茶を一緒に。7


「1年ぶりに会う妻との会話はつまらない?」

 

 いたずらっぽく笑いながら、春香が問うてきた。

おそらく、言葉そのままの意味ではないだろう。


本当につまらなかったのは、俺があれこれ考えている間に放置されていた春香だ。


「つまらなくない」と否定の言葉を伝える前に、図星を突かれる。


「秀志さんは真面目過ぎて、視野が狭くなるところがあるから」


 妻愛しさから、彼女を物理的に手放さないようにと息巻き、精神的な繋がりを蔑ろにしようとしていた心の中を見透かされているようだ。

自分は今、どんな顔をしているのだろうか。


「ごめん。そういう訳じゃな」


「私はつまらない。せっかく目の前にいるんだから、もっと話して。あなたの声を聞かせて」

 

 後ろ暗い感情を抑え込みながら「そういう訳じゃない」と告げようとしたが、被せ気味に強い言葉が返ってきた。


(あぁ、春香だ)


 彼女らしい話し方を聞いてホッとする。特に、何か大切なことを伝えたい時の口調だ。

先ほどまでの、のんびりとした話し方も確かに春香のものだが、やはりこのほうが彼女らしい。

 

 決して威圧的ではないのだが、どこか胸に刺さり、背筋が伸びる。

年下の妻相手にそんな反応をする自分もどうかと思うのだが、もうこれは条件反射だ。


 叱られるような口調に安心して、どこか浮き足立つ自分は、やはりネジが数本飛んでいるのかもしれない。


 そんな俺を見て、「なに、にやけてるの」とでも言いたげな彼女の鋭い視線を感じ、ぞくりと肌が粟立つ。

独占欲や支配欲だけではなく、何か変な扉を開いてしまったのだろうかと自分で呆れた。


(思春期や20代の頃でも、こんな特殊な心情になったことはないのにな……)


 いや、次々に湧き出す感情のあれやこれやも、きっと非日常的な事態と深夜のテンションのせいだ、と誰にというわけでもなく言い訳をする。

それでも、後になって恥ずかしくなり、悶えることにはなりそうだが。


 目を閉じて、小さく息を吐く。少し落ち着いてきた。

 ふいに、湯呑みに軽く触れていた右手を春香に掴まれた。滑るように机の真ん中まで引き寄せられる。そして、そのまま手の甲の上から強めに握られた。 

女性の握力だ。痛くはないが、「逃さない」と、まるで今度は自分が言われているような気分になる。


「秀志さんの、心の中だけで自問自答して物事を完結させる癖はよく知ってるけど、今はイヤ。一人で解釈することが増えてるのは、きっと私のせいもあると思うけど……」


 最後のほうの言葉は弱々しくなり、春香は少し震えながらうつむいた。

 俺は春香に掴まれている手をくるりと反転させ、まるでダンスでも誘うように彼女の指を軽く握る。


 彼女の薬指には、俺と揃いのシンプルな指輪がくすみの一つもない状態で輝いていた。


「ごめん、ちゃんと話すから。こっち向いて、春香」


(そうだ。話したいこと、聞きたいことは山のようにあるんだ)


「さぁ、何から話そうか?」

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