第4話 亡くなった妻と、お茶を一緒に。2

 3分ほど経つと、台所から春香が戻ってきた。


手の中のおぼんには、ずっと二人で使っていた揃いの湯呑み茶碗と、少しの茶請けが乗せられている。


 水屋箪笥の中の湯飲みや急須、菓子入れの位置は妻が生きていた頃のままにしている。

用意ができるのを待っている間、まるで今日までずっと変わらない日常を過ごしていたかのように、迷いなく家事をする音が台所から聞こえていた。

 


 春香は甘いものも、しょっぱい菓子も好んで食べていた。そのため、来客用の茶菓子以外に家族が食べるものも我が家では常備されていた。

俺も菓子が嫌いではなかったので、お茶の時間には彼女と同じくらいの量を無意識に食べていたと思う。


しかし、妻が亡くなってからは自分で菓子を買う気も起こらず、菓子入れはしばらく空の状態だった。

そんな様子を見かねて、娘が日保ちのする菓子を補充してくれるようになっていた。

一人ではそんなに食べないから、と何度か断ったが「非常食にもなるでしょ?」といつもそれなりの量を置いていく。

「ついでに冷蔵庫と冷凍庫の中に、作り置きのおかずのタッパーを入れておくから、チンして食べてね」と、手際良く収めていく姿を見ながら、どちらがついでか分からないな、と苦笑した。


本当はあまり食欲は無いのだが、せっかく娘が作ってくれたものを無駄にしたくはない。

「口に合わなかった?」と悲しそう顔を見るのも辛くて、次に娘が来るまでに消化しようと、せっせと毎日食べていたおかげで、痩せ細ったり、著しく体力が落ちたりせずに済んでいた。

もし、本当に一人だったなら今頃は、とっくに床に臥して起き上がれない状態だったかもしれない。


 娘は大学を卒業するとすぐに結婚したが、嫁ぎ先はすぐ近くだった。其の日暮らしをしている父親を心配して、時間があれば様子を見に来てくれる。

父親として情けない姿を見せていると分かってはいるが、娘の訪問にずいぶん助けられて、この1年間を過ごしていた。


 今、春香が運んできた菓子も、つい先日に娘が置いていってくれたものだ。まさか、木の葉や霞でできたものではないだろう。


春香は湯呑みを俺の前に、ことんと置いて「どうぞ」と笑った。


「ありがとう」と口を付けてから、ほっと小さく息をつく。湯の温度も渋みと甘みのバランスも、生前に煎れてくれていたお茶とまったく変わらない。

水屋箪笥の中身の位置を把握していたことやお茶の味、そんな些細なことが、やはり目の前にいる女性は春香なのだろうという確信へと繋がっていく。


 また、彼女が煎れるお茶の味やちょっとした仕草、それらを自分が覚えているのだということを感じて、嬉しくもなった。

すると、酔いが覚めるように、急激に思考が現実的になってくる。


 春香と再会できた嬉しさや戸惑いが、いっしょくたになって胸をざわつかせる。

そこに、ほんの少しの気恥ずかしさも混ざり、彼女と視線を合わせられないどころか、どこを見たら良いのかさえ分からなくなった。

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