第9話 忍者を喰らう者

 ――――ぼうやりとした灯りが、ずらり等間隔に並んでいる。


 薄暗い屋敷である。

 無限に続くかと思わせるような長い長い廊下に、か細い灯りによってかろうじて輪郭を示している。

 ひどく長い廊下に合わせ、果てなく続く左右の襖は、容易に遠近感を狂わせた。いざ襖を開いてみれば、まったく同じような廊下に繋がっているのみである。


 夢うつつかと錯覚させるようなこの廊下は、決められた位置の襖を、決められた順番でくぐっていくことで、最奥へとたどり着くことができる。

 来る者を迷わせることを目的とした、敵多き者のための屋敷である。

 屋敷の作りそのものが、侵入者に対する攻撃なのである。初見では無限と見紛う廊下から、抜け出すことすら叶うまい。


 その、薄暗い廊下を進む人影ひとつ。

 人影なれども、只人にはあらず。

 その身を評して言うならば、まさしく怪人・・

 黒塗りの外骨格の鎧に、兜の前立てを思わせる立派な一本角。

 ぎり、と乱杭歯を食いしばり、胸の前で組んだもう一対の腕に強く力を込めながら――――処刑忍アシュラ・リッキーは、この忍者迷宮ニンジャ・ダンジョンを進んでいく。


 焦燥。苛立ち。恐怖。

 ないまぜの緊張が、彼の中にある。


 ひとつ、ふたつ、襖を開いていく。

 どす、どす、どす、廊下を歩いていく。


 やがて最後、深奥へと続く襖を前に一度足を止めて。

 一拍。

 深く呼吸をしてから、襖越しに重く声を漏らす。


「…………アシュラ・リッキー、参上しました」


 直後、すぱんと勢いよく襖が開く。ひとりでに。

 同時に鳴り響くは――――女の、絶叫。

 荒れ狂う獣の如く、艶のひとつもない女の叫び。


 これは悲鳴である。

 けれど嬌声である。

 そして、断末魔である。


 部屋の奥にはすだれがあり、その奥で、男女が交わっているのが影にて見えた。

 ……影だけだというのに、その荒々しいまぐわいが獣のそれであると、わかってしまう。


 嫌だ。

 助けて。

 嫌だ。

 怖い。

 痛い。

 苦しい。

 助けて。

 抜いて。

 やめて。

 嫌だ。

 死んじゃう。

 嫌だ。

 怖い。

 嫌だ。

 助けて。

 やめて。

 やめて。

 やめて。


 ――およそそのような悲鳴が、言葉にならぬまま絶叫として部屋中に響いている。

 リッキーは、これに驚愕を示さなかった。

 いつものこと・・・・・・だ。これは。

 いつ来ても、このようになっている。

 もうとっくに、慣れているのだ。


「――――よくものこのこと顔が出せたものだな、アシュラ・リッキー。無能を恥じて自害でもするかと思ったが」

「なに……?」


 所在なく待機するリッキーに声をかけたのは、簾の脇で正座する女である。

 女は紫がかった長髪をかき上げ、心底から軽蔑の視線をリッキーに向けていた。

 豊満な女である。

 全身を光沢のあるタイツ状の装束に包み、豊満な――否。ここまでくればもはや淫靡とでも言うべき肢体の輪郭を、惜しげもなく晒している。

 頭ほどはあろうかという乳房も、それに負けじと膨らんだ尻も、二つを繋ぐ悩ましい腰つきも、はちきれんばかりの太腿も。

 ぴちりと張り付く装束のせいで、全て手に取るように見て取れる。

 微笑みかければあらゆる男を骨抜きにするであろう分厚い唇は、しかしきゅっと結んで侮蔑を示す。

 戦士特有の鋭い目つきが冷ややかにリッキーを見やり、軽く鼻を鳴らす。


 彼女の名はヤマブキ。

 ニンジャイーターに仕える忍者のひとりである。


「あまり図に乗るなよ、メス猫……命が惜しければな……!」

「図に乗っているのは貴様だ、六道衆の面汚しめ。ニンジャイーター様のご期待をなんだと思っているんだ?」

「言わせておけば……っ!」

「やめい阿呆ども」


 ぴしゃり、割って入る声。

 仲裁者は、ヤマブキの対面に座る小さな童女。

 仰々しくも紋付袴を着込んだ、齢十に満たぬかどうかという程度の童女に見える。

 しかしその童女から、老成した言葉が紡がれている。

 呆れたように二人を見据える昏い瞳には、深い疲れの色が滲んでいた。

 彼女こそ、ニンジャイーターに仕える『六道衆りくどうしゅう』のまとめ役。

 結界成立以前の古くよりニンジャイーターに仕えてきたという、永久を生きる不死身の忍者。

 姿かたちこそ童女のそれであるが、その実は老獪なる化外者けがいもの


天是てんぜ殿……しかしこやつが先に」

「ふん。まるで子供の言い分だな、リッキー」

「なにを!」

「やめいと言うておるじゃろうが。頭領様の御前ぞ。静かにせい」


 童女――――天是は、視線を簾の方へと向けた。

 相も変わらず響くのは、野生の獣もかくやという女の絶叫。

 快楽と苦痛と恐怖がない交ぜになった、壮絶なる断末魔。


「…………もうじきに壊れる・・・であろう。しばし静かに待たんか」


 二人、同時に舌打ち。

 ニンジャイーターを引き合いに出されてなお、争いを続けるつもりは無い。


 しばらくの間、重たい沈黙が……否。女のおぞましい嬌声だけが、部屋に響く。

 それもやがて、最後にひときわ大きな絶叫が上がると――――ぱたり、静かになった。

 女の影がしばらく痙攣したかと思うと、ぐったりと倒れ込んで……動かなくなる。


「……壊れおった。どうなっている、天是」

「は。頭領様の精力に耐えうる女子おなごなど、そうはおりませぬ故……致し方なきことかと」

「で、あろうな。つまらん……よい。ジャッカル、片付けておけ」

「御意」


 ぱちん、指を鳴らす音。

 同時に虚空より姿を現すは、全身を強化外骨格で包んだサイボーグ。

 球体めいてつるりとした頭部に付属したカメラアイはなにを見ているのか。

 ただ静かに、簾の向こうの女だったもの・・・・・・を担ぎ上げると、またどこかへと消えていく。


 それと同時に、簾が持ち上がり――――影の姿が、露わになった。


「さて――――――――よく来たな、アシュラ・リッキーよ」

「ははっ……!!」


 リッキーが素早く跪く。

 天是は涼しい表情の裏で怯えた冷や汗を流し、ヤマブキはとろんとだらしのない恍惚を顔に映す。

 声ひとつ、姿ひとつで、奇妙なほどに重たい緊張が場を包んだ。

 重たい。

 その全てが、あまりにも。

 堂々とあぐらをかくその男は、まったくの全裸体である。

 しかしその、隆々と鍛え上げられた巨体も、雄々しく反り立つ雄のシンボルも、なにもかも、重厚な存在感を示している。

 ヤマブキは頬を紅潮させ、桃色の吐息を零しながら、潤んだ瞳の熱っぽい視線をその股座に向けていた。淫売――――と、罵ることはすまい。

 彼女とて、想像を絶する修行を積み無双の達人となった歴戦の忍者。

 並大抵の敵であれば呼吸の間に首を刎ね、たとえ山を七巻き半するような怪異であれ始末してみせるだろう。その程度には、優れた女である。

 そのヤマブキが、ただ女である・・・・が故に間抜けな雌犬に堕しているのだ。

 それほどまでの格の差が、両者の間に横たわっている。

 こうまで堕ちるに足る経緯が、彼女の正気を破壊し、蹂躙している。


 名を、改めてここに記す。

 男の名はニンジャイーター。

 この世界の理であり、法であり、神である忍者。

 奈落忍法道を支配する悪鬼、それそのものである。

 きまぐれひとつで、リッキーの命など吹いて消すこともできるだろう。自然、背筋が凍る。


「どうも――――貴様に任せた仕事が、滞っているようだな」

「も、申し訳ありません。少々、その……げ、現在ゲニンバチを放って連中の拠点を探っております! すぐにでも吉報をお届けできるかと……」

「ふむ。構わんがな……貴様の仕事が遅れれば、儂の面倒が増えるだけのこと。それはそれで、構いはせん」


 ニンジャイーターは本当に、さして興味もなさそうにあくびをひとつ。

 ……それが、恐ろしい。

 それが本当に恐ろしい。

 興味がないのだ。

 どうでもいいのだ。

 構いやしないのだ。

 アシュラ・リッキーがどれだけ無能で、どれだけ役立たずで、どれだけ成果が無くとも――――その時は、無能な怪人を喰らって自分が出ればそれでいい。

 その純然たる事実を、大した感慨も無く心の内に置いている。

 それがリッキーには恐ろしかった。

 全能の忍者たるこの御方にとっては、部下などただ自分がをするための存在に過ぎない。

 なにせ喰って力に変えてしまえば、力の総量は同じなのだ。

 いちいち全てを自分でやるのが面倒なだけで、面倒を厭わないのなら、生かす意味もないのである。

 情は無い。

 有用性を示す意味も、実のところさほど無い。

 神はただ気まぐれに、生殺与奪の権利を手の中で転がしているだけなのだから。


「だが……今の儂は、消化・・で忙しくてな。しばらくはこちらで手が離せん。儂が自ら動けば、あの不肖の娘をうっかり喰らってしまうやもしれぬしな。もうしばらくは、貴様に任せておこう。精々励むがよい」

「は、ははッ!! 仰せの通りにッ!!」


 ひとまず、首は繋がった。

 ニンジャイーターの食卓の上で、食べる順番は後回し。

 神は先日喰らった忍者の力を消化するために、休んでおられるのだ。

 喰らった力も即座に全てを使いこなせるわけではなく、完全に定着させるためには、消化・・に集中する必要があるらしい。そのおかげで、アシュラ・リッキーはひとまずの生存を許されている。


 リッキーは内心で、かつての宿敵――――そのひとり、ウマニンジャーを想った。

 先日ニンジャイーターに喰われた、終生の宿敵のひとりを。


 今回の神は、消化にそれなりの時間がかかっている。

 やはりあの男は強い忍者であったのだろう。

 それだけに、消化に抗い続けているのだろう。

 宿敵の強さの証明に対する僅かな誇らしさと、宿敵の死と敗北に対する一抹の寂しさと、宿敵に間接的に助けられた運命の皮肉が、同時にリッキーに去来する……




「――――――――ウマニンジャーも霧隠才蔵も凡百の範疇だったが、やはり松尾芭蕉がな……俳聖の生涯をしゃぶりつくそうとなると、骨が折れるわい。ふはっ」

「――――――――――――――――。」




 ……その屈折したセンチメンタルすら、どうでもよいことだと思い知らされて。

 アシュラ・リッキーはそれでもなお、黙してひれ伏すことしかできなかった。

 外骨格に包まれた巨体が、ひどくみじめで矮小なものに思えた。

 くす、とヤマブキがリッキーを嘲笑っていた。

 言い返すこともできないことが、またみじめであった。


「……ああ、そうだ。ゴームめがなにか面白いものを作ったと言っておったな。試させてやるのもよいか。そちらで話を聞いておけ」

「…………かしこまりました」


 それきり、ニンジャイーターはリッキーへの興味を失った。

 ……否。

 そんなもの、最初から無かったのだろう。

 重苦しい視線は、両脇に控える美女と童女へと向けられた。

 同時にびくりと跳ねた両者の肩は、かたや歓喜と法悦と期待に満ちた雌のそれ。かたや、怯えと畏れに満ちた弱者のそれ。

 いずれにせよ、奴隷のそれである。

 この世界にいる全てが、所詮はそうであるのだが。


「さて……やはり抱くなら頑丈な女に限るわ。ヤマブキ、天是、近う寄れ。情け・・をくれてやる」

「はっ、はいっ♡ ありがとうございますぅ♡ ヤマブキをお使いくださいませ♡」

「は、はは、ありがたき幸せにござる……い、命の精をお注ぎくだされ……」


 かつて高潔なる達人であったヤマブキは、快楽の煉獄に屈した。

 永久を生きる不死なる天是は、魂の捕食という真なる死に怯え懸命に媚びを売っている。

 あまりに、みじめである。

 誰も彼もがみじめだ。リッキーに限らず、この場にいる誰も彼も。


 否――――この世界にいる誰も彼もが、やはり一様にみじめなのだ。

 全て、やがてはこの悪神に喰らわれる運命にあるのだから。


 上がり始めた嬌声とむせかえる雌の匂いを背に、アシュラ・リッキーは音もたてずに退室する。

 ……ただ、虚しい。

 無性にただ、虚しかった。

 その感情に蓋をする。

 成果を上げねばリッキーが喰われるのだ。

 冷酷無比なる処刑忍と言えど、あるいはだからこそ、虫けらのように殺され喰われるのは酷く恐ろしかった。


「――――――――どえりゃあ絞られたようだの、リッキー」

「…………ゴーム博士か」


 そこに声をかけてきた男がいた。

 鉄の仮面をかぶり、深緑の外套を羽織った、奇妙な風体の男である。

 ゴーム博士――――あるいはDr.ゴーム。

 天才的な頭脳による科学技術に加え魔法まで駆使する、六道衆に名を連ねる忍者のひとりである。

 ゴーム博士はどこか間の抜けた訛り声で喋りながら、馴れ馴れしくリッキーの背を叩いた。


「まー命はあるようだからな。ちょーっと睨まれるぐれぇはてゃぁしたこともにゃあでよ。命あっての物種だな」

「……やかましい。無駄話をしにきたわけでもないだろう。なにか面白いものを作ったと言っていたな。話してみろ」

「へっへっへ、せっかちな奴だなおみゃあはよ。しょうがにゃあで話したるわ」


 愛嬌のある、ひょうきんな笑い。

 ……しかしその仮面の奥でぎらつく瞳は、情熱に燃えている。


「実は俺様が最近作っとった新技術が、とうとう完成したんだわ! そんでデータが取りてゃぁからよ。ちょーっと出番代わって欲しいんだな」

「なに? ……馬鹿を言え。これは俺がニンジャイーター様に任された仕事だ。貴様にやるものか」

「まーまーそう言わんでちょ! 手柄はおみゃあさんのものにしたるでよ。ええだろ?」

「ぬ……それなら……」

「今よ、ラセンの奴に頼んで、あの船守とその仲間たちを、探してもらっとるでよ。まー時間の問題だで。なぁに新技術っつっても試作品一号はてゃぁしたもんでもにゃあで。どうせ勝ちゃせんでよ! ちょーっと様子見させてくれりゃあ、後はおみゃあの出番って寸法よ。あいつらの実力がどんなもんか、おみゃあさんも知りてゃぁはずだで。な!」

「…………………………情報は、共有しろよ」

「よっしゃ! 交渉成立だな。任しといてちょ!」


 あるいは、忍方戦隊と戦う恐るべき処刑忍であれば。

 本来はこのような誘いに乗ることは、なかったのかもしれない。

 己が見定めた獲物は自らの手で決着をつける、狩人の矜持が本来の彼にはあったのかもしれない。


 けれどそんなものは、もう必要ないのだ。

 今彼の胸中にあるのは、喰われて死ぬのは嫌だという恐怖。

 そこから逃れたいという焦燥。

 手段を選ぶ矜持など犬に食わせ、ただ貪欲に成果を求めるのみ。


 ここは奈落忍法道。

 その法則は、喰うか喰われるか。

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