明日から夏休み。


 で、今日は終業式。


 1年間で日本全国の小学生が最も心踊らせる登校日の筆頭かもしれない。

 

 ナミも例外ではなく。

 例えその理由が、「かわいいメイちゃんを相手にたくさん遊んで、いつもより凝った料理も作れる。せっかくなので片付けも、あ、シンク下の整理も徹底的にやろうかな」という、いささか所帯染みたものであったとしても、楽しみなのは一緒。


 けれど今年は、それ以上に安心の方が大きい。


 一週間ほど前に、大きな事故に巻き込まれそうになった、仲良しの南海ちゃん。


 幸いケガもなく、それは一安心だったけど。


 ワゴン車が空き店舗のシャッターに突入して、両者がぺちゃんこになってしまうような衝撃の場面を目の前にして。


 あとほんの1分か30秒早くそこを通りかかっていたら、その間に挟まれて……車やシャッターと同じ運命を辿っていたのかもしれない、そんな状況にひどくショックをうけていた。


 めったに見たことがないくらい大泣きしていた南海ちゃんを心配して、翌日早く家を出て、学区端の南海ちゃんの自宅まで迎えに行った。


 思ったより落ち込んでいなくて、少し安心したけれど。


 大変だったのは、そのあとだった。


 学校に着いた途端、押し寄せてきたクラスメート。


「大変だったね」

「ケガしなくてよかったよ」


 南海ちゃんが無事だったことを喜び労る声が次々と降りかかり、ほんの少し困ったような顔をしながらも「ありがとう」と微笑んでいた南海ちゃん。


 心配してくれているのは分かるけど、何でみんな知っているんだよ?


 何となくイラッとしたナミ。


 南海ちゃんのことは、新聞にもニュースにも名前は出ていない。

 そもそも巻き込まれそうだったことも、伏せられていた。


 学校に程近い商店街での事故なので、おそらく関係者には連絡が行っているし、目撃者の中には児童やその保護者などもいたとは思う。


 朝の学活で、南海ちゃんが巻き込まれる寸前だった、とは言わなかったけど、大きな事故があったので夏休みまで朝は集団登校になる、と先生から連絡されたし。


 それでも、みんなが南海ちゃんを思って優しい言葉を掛けるだけなら、別によかったんだけど。


「……ナミくん、あのね」


 昼休みに図書室へ行って帰ってくると、教室の入口でクラスメートの大江しずかさんが、おずおずと声をかけてきて。


 名前の通り、物静かな大人しい女の子で、ナミだけでなくクラスメートにもなかなか自分から声をかけてくることはなかったんだけど。


「あのね……、その、南海ちゃんが……困っているみたいで」

 そう言って、室内に視線を送って。


 そこには。

 教室の真ん中で、南海ちゃんを囲んで質問責めにしている、主に女子の面々。

 よく見ると他のクラスの子も混じっている。

 

「ね、それで? 大きな音がしたの?」

「他に人いなかったの? 怖かった?」


 興味津々な態度を隠そうともせず、目をキラキラさせて。


 困ったように「突然で……あんまり、よく覚えてなくて……」と答える南海ちゃんの様子が、おかしい。


 苦しげに、顔をこわばらせて。


「南海ちゃん」


 ナミは強引に割り込んで、適当な言い訳をして南海ちゃんの手をつかんで集団から引っ張りだし。


 近くで見ると、額に汗が浮かんでいた。握った手も汗ばんで、指先も、冷たい。

 その顔の青白さから、決して真夏の暑さのための汗ではなく……冷や汗だと思う。


「南海ちゃん、今日も買い物に行くから」

「あ、うん、お母さんに言っておくね」


 ナミが行くと伝えておくと、南海ちゃんのお母さんはお買い得品を取り置きしておいてくれる。

 おかげでパンの耳だとかお気に入りの調味料だとかを、お得な値段で買えるのだ。


 でも今日の目的は違う。南海ちゃんには言わないけれど。

 

 この日も南海ちゃんのお母さんは、商品入れ替えで値下げしていた醤油を取り置きしてくれていた。


「あ、ナミくん、朝はありがとう」


 お迎えの礼を述べた南海ちゃんのお母さんに、ナミはこっそり昼間の様子を伝えた。

 そして、よければ明日も迎えに行くと。


「ありがとう。でも、とりあえず明日は、普通に登校させてみるわ」


 少し顔を曇らせて、南海ちゃんのお母さんはナミの申し出を固辞した。


 次の日。

 学校で待っていると、明らかにぐったりした顔で南海ちゃんが登校してきた。


「おはよう、ナミくん」

 そう挨拶する南海ちゃんの声に、いつもの精彩がなく。


 とにかく、ナミは南海ちゃんから目を離さないように心がけた。


 さすがに小学生とはいえ、男子のナミが女子の南海ちゃんにベッタリというわけには行かないため、閑さんが協力してくれた。

 南海ちゃんが困っている時はすぐにナミに知らせてくれて。

 静かで大人しい女の子であるのは変わらないが、思いやりのある閑さんは、実は芯のある女の子で。

 目立たぬように、けれどしっかりと南海ちゃんを見守っていてくれて。

 

 そして、南海ちゃんの異変を確認した南海ちゃんのお母さんが、ナミのいる登校班に入れるよう学校に交渉し、朝はナミがスーパーに迎えにいく、という図式が出来上がった。


 折しもハルが一足早く夏休みになったので、メイちゃんの保育園のお迎えはハルに頼んで、帰りも南海ちゃんに同行し。


(瑛比古さんの名誉のために付け加えると、ナミがお迎えに行かなくても、瑛比古さんは自分で迎えに行くつもりだったし、メイちゃんが三歳まではそうしていた。明知探偵事務所も、それが可能なようにバックアップしていてくれたし。仕事で遅くなりそうな時は延長保育も活用して。遊びたい盛りのナミに必要以上に家事育児の役割を追わせる気はさらさらなく。けれどナミがお迎えに行くからとその役目を強引にもぎ取った形なのである。一人で家で過ごすのは寂しいと言って。なので、瑛比古さんとしては、助かる気持ちと申し訳ない気持ちとで、色々葛藤があるのも事実で)


 そんな一週間を過ごし、南海ちゃんの表情は、かなりよくなってきている。


 正直、すぐに夏休みなのだから休んでもいいじゃないかな、と思ったりもしたが、逆にそのまま学校に行きづらくなってしまうかも、とも考えた。

 

 もし、どうにもツラそうなら、休むように言おうと思いつつ、毎朝迎えに行って。


 けれど、これで夏休みに入り、2学期が始まる頃には、みんなの熱も冷めているだろう。


 南海ちゃん自身も落ち着きを取り戻せるだろうし。


「ナミくん、今日はお店でお昼食べるよね?」

 前日の約束の確認をしてきた南海ちゃんに、ナミは笑顔でうなづいた。


「それでね、お昼ごはんのあと、時間ある?」

「あるよ。一緒に宿題する?」

「うん、あ、そうじゃなくて……宿題もしたいけど、行きたいところがあって。すぐ近く。一緒に行ってほしいんだけど」

「いいよ」


 どこ、とは訊かなかった。

 けれど、南海ちゃんのほっとした顔を見れば、それがとても大切な用事なのだと思えた。


 どこかは分からないけれど、それが南海ちゃんを笑顔にしてくれるのなら、何でもする。


 密かに決意して。


 そして、無事に2学期は終業した。





 


 ナミくんが一緒行ってくれる!


 突然の申し出を、快く引き受けてくれて。

 それも、細かいことは、訊かずに。


 何て説明したらよいか、南海さん自身もよく分からなかったから、ありがたかった。


 場所、ではなく、理由が。


 あの日、お稲荷さんにお詣りをした一瞬が南海さんを救った。

 それは、ひいおばあちゃんが言っていたように、その道を通る人をお守りくださっている神様のおかげなんだ、と思ったから。

 だから、お礼に行かなくちゃ、と思った。


 けれど。


 そう思っていても、なかなか足が向かなかった。


 一人であの近辺に近付こうとすると、足が震えた。集団登校で、半分目をつむって、息をひそめて何とか通り過ぎて。


 ナミと2人の時は、理由を付けて遠回りして。

 それも、ナミは何も文句も言わず、付き合ってくれた。


 けれど、お礼に行かないと、というどこか強迫めいた焦りが、南海さんの心の奥底に燻っていて。


 それが、ようやく叶う。


 従業員控え室で、お母さんが用意してくれたお昼ごはんを食べて。


 お店のお惣菜コーナーでも販売している、スーパータケウチ伝統の、特製おいもコロッケに、タマゴサラダ。あとは従業員用に準備してある白いごはんに、おばあちゃんお手製のお漬物。


「うわぁ、揚げたてのおいもコロッケ! すごい贅沢!」

「あら、ナミくんだってお料理出来るじゃない?」

「やっぱり、家で揚げるのと、何か違って。それにスーパータケウチの揚げ物は、変な油臭さがなくて、美味しいです」


 ナミくんに誉められて、お母さんも嬉しそう。

 スーパータケウチのお惣菜コーナーでは、揚げ物に使う食用油は傷む前に新品に入れ換える。

 コストはかかるけど、安全で美味しい食材を自信をもって提供する、と言うのが創業者のひいおばあちゃんから受け継いでいるスーパータケウチの理念なのだ。

 早くにひいおじいちゃんが亡くなったあと、子育てしながらスーパーを切り盛りしてきたひいおばあちゃんは、「人様に後ろ暗いことをして儲けたりしたら、いつか巡りめぐって自分達にそのしっぺ返しがくるんだよ」と、儲けはキチンと考えつつも、胸を張って出来る商売をしてきたし、おじいちゃんやお父さんも、それを見てきた。


 決して経営は楽ではないけれど、その信頼が、今のスーパータケウチを支えている、とお母さんが話してくれた。


『それを分かってくれるような商売上手だけど誠実なお婿さんが見つかるといいんだけどね』とも。


 そう言えば。


 本来お店を継ぐはずだったお父さんのお兄さん、南海さんから見ると伯父さんは、その理念が相容れず、家を出ていった、って聞いた。

 近くに住んでいるので、一応親戚付き合いはしてるけど。

 ものすごく頭のいい人で、でも儲けの少ない商売のやり方を否定して、自分で会社を起こして。


 ナミくんも、頭がいいから、ね。


 その伯父さんと同じ考えだったら、困るな。


 ついそんなことを考えてしまい、1人で顔を赤らめてしまう南海さんだった。

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