第四節 親子の縁

第9話 切るべき縁

「そろそろ依頼人の方がいらっしゃる頃ですよ」

「わかった」

 夕刻は過ぎ、外は薄暗くなってきている。暖簾をしまった布屋の戸を、しばらくしてからコンコン、と叩く音が聞こえた。雪が立ち上がり、戸を開ける。

「失礼します。縁切りの依頼をしております、暁月春(あかつき はる)です」

 その声を聴き、鼓太郎はすぐに立ち上がった。雪が言葉を発する前に、鼓太郎ははくはくと口を動かして目を見開いている。

「あ、暁月……!?」

「南里……! どうしてここに……!」

 布屋の入り口に立っていたのは、鼓太郎と同じ東演の制服をまとった女子生徒だ。

「なんと、お二人はお知り合いでしたか。暁月さん、まずはこちらに」

 雪がにこやかに案内し、暁月は椅子に腰かけた。依頼内容を詳しく聞こうと雪がたずねていった。

 暁月は一度鼓太郎を見てから少し気まずそうに視線をそらし、ぽつりとつぶやく。

「依頼だが、私と母親との縁を切って欲しいんだ」

「母親だって?」

 暁月は普段通り男勝りな口調から、少しだけ息をひそめるように声を出している。誰に聞かれているわけでもないが、話題が話題だからだろうと、鼓太郎は思った。しかしその内容には物申したくて反射的に声が出る。

「そう。もう完全に切り離して欲しい」

「何を、馬鹿なことを言っているんだ」

「南里には関係ないだろう、少し黙っていてくれよ。本当になんでここにいるんだ」

 聞かれるのが嫌そうに暁月は鼓太郎を睨みつける。鼓太郎はさらに眉をひそめて言った。

「関係なくない。俺はここで縁切りの家業を手伝っているんだ。口を出す権利はあるはずだぞ」

「なっ……! どうして南里がここを手伝っているんだ?」

「まあ、いろいろなご縁があったのさ。それよりどういうことだ。母親との縁を切りたいだなんて」

「言葉のままだよ。あんな奴とは金輪際関わりたくないね」

 鼓太郎は眉を吊り上げて机を軽くたたいた。育ててもらってなんということかと荒く息を吐く。

「南里には分らないよ。君のお母さんは優しいし、お祖母さんもいい人じゃないか。うちの母親とは大違い。もう、母親とは顔を合わせるのもうんざりだ」

 ふんっを顔を横に向けた暁月に鼓太郎はまた一言言おうとして、一つ違和感を感じてそれを踏みとどまった。隣に座っている雪が静かすぎるのだ。

「雪?」

 呼んでみると雪は黙ったまま目を合わせてくる。その目を見て、鼓太郎は少し落ち着いた。

「依頼は母親との縁切りですね。今見たところ、暁月さんにつながっているものの中に、特に悪縁には見えません。この中のどれかがお母様と繋がっていて、それを切ることになります。つまりは、普通の縁を切るということです」

 雪の口から出てきたのは、冷静な第三者の意見だった。鼓太郎は戸惑いながらもその言葉をかみ砕いていく。

 雪はこの依頼を受けるつもりのようだとわかり、鼓太郎は裁ち屋のあるべき姿について考えた。

「普通の縁を切るなんて、裁ち屋は悪縁を切るのだろう?」

「はい。でも依頼された方が本当にお困りなら、悪縁以外も切ることがあります。これが綾瀬家の生業だからです」

「そんな……」

 鼓太郎は暁月に繋がっている縁がいつの間にか見えていることに気が付いた。太さや繊維は異なって見えるが、すべて黒に見える。その中に、これまで見てきた禍々しい糸は見えない。悪縁がなさそうだということは、鼓太郎にもわかった。

「ですので暁月さん、実際にどのようにお困りなのかお聞きしてもよろしいでしょうか? 普通の縁を切るというときは、少々細かな話を聞く必要があるのです」

「え? ああ。もちろん。……三か月くらい経つだろうか、母親が急に意味不明なことを言うようになった。仕事をもらえなくなったと帰ってきた次の日からだ」

「そうでしたか……」

 雪は手もとの紙に文字を書いていく。暁月はその書く速さに合わせて話を続けた。

「自分作ったくせに食事がまずい、道を歩いているだけで笑われる、私を見ると息が苦しくなると。特に酷い日は何もしていないのに叩かれたこともあった。父親は遠くに仕事に出ていてしばらく帰ってこない。母を支えられるのは私しかいないと思っていたよ。……最初はね」

 叩かれたという言葉に鼓太郎は少し怯んだ。鼓太郎が母親から何もしていないのに叩かれた経験は思い当たらない。自分に当てはめて考えたらなんと恐ろしいことかと思う。

 同時に、三か月前からの暁月の様子を思い出してみた。ここ最近は試験があったせいか皆が疲れているようだった。暁月も漏れなく含まれていて、元気がなかったと思う。しかしその原因が学業だけの問題ではなかったとは。

「それが続いて、ずーっと続いて、私もだんだんおかしくなりそうになってきた。食事の味は前と変わらない。外で笑われてるわけでもない。でも母親は悪い方に決めつけて、おかしくなっていく。学校で学ぶことも大事だが、そんなのどうでもよくなるくらいになってきて、傍にいるだけで気分が沈む。誰に言ったらいいのかもわからないし」

 制服をぎゅっと握りしめて暁月は絞り出すようにそう言った。鼓太郎は言葉に困ったと同時に、どうにかしてあげたい気持ちに包まれる。

「すまない暁月。その、事情を知らずに。しかし縁を切るまでしなくても逃げる方法はないのか」

「そんなとこ、思い当たったら行ってるさ。逃げ場はないんだ。耐えるにも、限界がきてる」

 暁月の顔が随分やつれている。その表情に鼓太郎は見覚えがあった。ちょうどひと月前くらいの自分の姿。棚越の不良達に目をつけられていた時だ。

「それはそれは。大変だったねぇ」

「時枝さん」

「少し話が聞こえてしまって。私も縁切りだから、許しとくれよ」

「ええ、構いません」

 奥から出てきた時枝の風格に暁月は一瞬圧倒されたようだが、また母親のことを思い出したのか少し伏し目がちになる。鼓太郎はどうにか縁を切らずに解決できないものかと考えた。母親が暁月自体に手を挙げている以上、彼女をすぐにでも助ける必要はあるが、やはり親子の縁を切る行為は躊躇われる。

「このまま見過ごす気はないが、別の方法はないだろうか」

「ないからここにきているんだ。もう、あの人のことは好きでも何でもないよ。一思いにやってくれ」

「暁月、なんてことを……」

「まあまあ、鼓太郎。少し落ち着くんだ。雪。あんたはどう思う?」

 時枝は雪に尋ねる。少し考えた後、雪は小さく言った。

「……暁月さんの気持ちは、わからなくもないです。僕もあまり、両親とうまくはいっておりませんから」

「そうなのか……? 綾瀬の家では縁切りが生まれれば、それはもうお祭りのように宴をするのかと思っていたが」

「立派に役目を果たせれば、そうなるときもあるのかもしれません。最近の綾瀬ではそのような空気はないようですね」

「そう…か」

「でも僕は、今こうして時枝様と鼓太郎様と一緒にいられるのがとても居心地がいいのです。僕の場合はこれでよかったのかと思います。だからこのご依頼は、暁月さんのお母様にお会いして、もう一度考えたいです」

 雪は一瞬顔を曇らせたが、すぐに笑顔になる。鼓太郎も一緒に微笑みながら、雪の強さに心を打たれていた。

 出逢った頃よりもっと、雪の力になりたいとより思うようになっていることに気が付いた。

 答えを聞いた時枝は満足そうに頷き、体の向きを変える。

「それで、最後にもう一度お聞きするけど」

「は、はい……」

 時枝は暁月をしっかりと見る。急に布屋はしんと静まり返り、緊張が走った。

「縁を切るといいうことは、金輪際の関りを絶つことだ。それは今の状況を打破する手段の一つになる。それは保証しよう」

「はい」

「でもね。一度切った縁はもう戻ることはないのさ。これっきり。本当に後悔しないかい? これは取り返しがつかないことなんだよ」

「それでも私は、もう嫌だ。一緒にいると、生きたくなくなっていく。もう十分耐えた。体も心も限界だ。……今の私に思いつくのはこれしかないです。後悔はしません」

「わかった。じゃあ今から行こうか。すぐにでも対処したほうがいいからねぇ」

「わかりました。それではご案内をお願いいたします」

 時枝の言葉に雪だけがしっかりと返事をする。鼓太郎は縁を切ってよいのか、まだ半信半疑でいた。

 時枝がついて来てくれるとはいえ、実際に縁を切るのは鼓太郎だ。自らの行いがどうなってしまうのか。もう少し考える時間が欲しいとも思っていた。


ーーー


「ここです。私の家」

暁月を案内役に、鼓太郎、時枝、雪は彼女の家に向かっていた。向かう途中で何度も、機嫌が悪かったら距離をとるように暁月から忠告を受ける。それほど狂暴化しているのに、ひとりで耐えていた彼女を想うと鼓太郎は親子の縁を切ることも必要な場合がある気がしてきた。しかし本当にいいのかという疑問も、一拍遅れてやってくる。

「ただいま」

「春……どこ行ってたんだ。夜に出掛けるなんてどうかしている」

 すぐに機嫌の悪い母親がものすごい形相で玄関に顔を出した。見知らぬ顔が後ろにあっても表情は崩さない。

「お客さんか?」

「そう」

「夜分にすみません。暁月の知り合いで、話をしていたらこんな時間に」

 鼓太郎が一歩前に出て笑顔を浮かべる。暁月の母親はさらに機嫌を悪くしていた。

「なんだよ、あんたたちも笑うのか、私を」

「え?」

「笑うなっ!!!!!! そんなに可笑しいのか!!!!!」

 母親は突然、近くにある花瓶をひっくり返した。破片と濁った水が飛び散り、枯れた花が流れてくる。随分と前から放置していたのだろうか。足元に気を取られているうちに、母親はこちらにどんどん近づいてきている。

「な……あれは……」

 彼女が全身見える位置に現れて鼓太郎は一歩引いた。腰から天井にかけて、図太いドロドロとした糸が繋がっている。鼓太郎の腕よりも太く、片手ではとても握れないほどの大きさだった。


続く

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