第一話

──汝、敵を前にして退くことなかれ。

『騎士の十戒』

Book Cover for Leon Gautier's "La Chevalerie"



第一話



 結婚──女の子ならだれしも夢想するものだ。

 ある日とつぜん白馬にのった王子様が自分を迎えにやってくる。これまでの平凡な生活から、幸せで優美な世界へ連れていってくれる……。

 現実の世界ではめったになくても、一度は夢に見るのだ。自分を愛してくれる理想の相手を。



 真っ赤なリボンに結ばれた招待状。

 これが最初で最後のチャンスだと思った。一目会って話すだけでいい。『想像していた女性と違う』、そんな会話でいいから。


「これは姉のグレイスに来たものだろう?」

「でも“クニス家のご令嬢”としか書いてないわ。お父様お願い……私に行かせて」


 アネットは勇気を出して父にすがりついた。こんな風にねだったのは子供の頃以来だ。真っ赤なリボンに結ばれた招待状が父の手元にあった。今朝、クニス家に届いたものだ。

「いいじゃありませんか」

 二人の会話に、扉の向こうから現れた女性が割って入る。「アネットも年頃ですわ。本人が望むなら、行かせてもいいんじゃないかしら」

 渋い顔をしていた父がたじろいだ。

「あなたは過保護すぎるんです。ねえ、アネット?」

「ありがとうございます、お義母様」

 アネットは女性に頭を下げた。いつもは厳しい義母からの援護に、びっくりしながらも頬が緩む。慣れないおねだりをした手は緊張で汗をかいていた。

「だが……家格がつり合う相手ではないし、歳も離れている。行ったところですぐ断られるだろう」

 父はまだ頷かなかった。

「本人が行きたがっているのです……それにエドモンド、私たちだって歳が離れているではありませんか」

 義母に微笑みながら言われて、父はきまりの悪い顔をした。アネットの実母が他界したあと嫁いだ義母は物怖じしない性格で、父は美しい彼女に頭が上がらなかった。

「い、いいだろう…」

「お父様、ありがとうございます!」

 アネットは目の前がぱあっと明るくなり、こっそり踊り出したくなった。

「そうと決まれば忙しくなるわね。アネット、朝食の前に洗濯と掃除をやってちょうだい。仕事が遅いと一人前のレディにはなれないわよ」

「はいっ」

 アネットは大きく返事して駆け出した。




 ──赤いリボンのついた招待状。

“クニス家のご令嬢へ、アーサー王の甥ガウェインが求婚いたします”

 と書かれていた。

 本来なら田舎領主のクニス家に届くようなシロモノではない。しかもガウェインといえば王の甥。この国で最も高貴な独身男性だ。

 この手違いのような招待状はひそかに女性たちのあいだで噂になっていた。実はクニス家に届いたものが初めてではない。美しいと評判の令嬢に届き、そのすべての令嬢が会ったあと断られていた。

 それでもいい。たった一度、すてきな騎士様にレディと呼んでもらえれば。それを一生の思い出にして誰かに嫁ぐことができるから。

 乙女たちは純粋なあこがれを募らせた。

 ──サー・ガウェイン。

 誇り高い騎士様が、たったひと時でも自分をレディ扱いしてくれることを夢見て。



「お母様、信じられない!どうしてアネットが行くの? 私が行きたかったのに!」

 アネットが行くと聞きつけて興奮した愛娘に、ジェイダは言い聞かせた。

「しっ。聞いて頂戴、グレイス。いくら素敵でも、身分が高くて女性から人気がある殿方は危険よ。結婚を断られてしまえば噂が広まって笑い者になるわ」

 結婚は女性が持っている最大のカードなの。私のように上手く使いなさい。

 ジェイダは娘にささやいた。

「エドモンドは再婚だし高い身分ではないけれど、お金持ちだから贅沢に暮らせるのよ。きっと貴女の美しさを聞きつけて招待状が来たんでしょう。アネットが行ったら、笑い者どころか馬鹿者扱いね。身の程を知ればいいのよ」

「そうよね。あの子って、ほんと馬鹿だわ」

 母につられてグレイスはくすくすと笑った。




 アネットは花に例えるなら野花のような少女だった。のどかな田舎で育ち、世間知らずでちょっと臆病。宮廷に仕える騎士様のそばで咲くにはまったく場違いな花だった。

 数日後、アネットは馬の背にあった。向かう先はサー・ガウェインの領地。着いたら、1週間ほど彼の館で過ごすだろう。そうやって招かれた令嬢たちは皆、夢やぶれたが──でもアネットは、最初から「いい思い出にしよう」と思っていた。

 彼女は馬に揺られながら、自分の立ち位置を考えた。

 ──ええっと。

 クニス家の領地は王都から遠いし、領地経営はうまくいっているけど、わざわざ選ぶほどの家柄ではないでしょ。美人のグレイスなら玉の輿もあるかもしれない。でも私は目立つ容姿ではないし才能もない……。せめて家事が上手くおなりなさいと、お義母が掃除・洗濯・台所仕事をまかせてくださった。そのおかげで、今着ているドレスも手直しができた。

 古臭いのは分かっていたけれど……


「見てよ、あれ。あたしのお婆ちゃんが着てたドレスにそっくりだわ」

「容姿も地味ね。ほんと田舎くさい。匂ってきそう」


 馬を降りてすぐ、召使いたちに悪口を言われるとは思っていなかった。アネットは田舎育ちだから目も耳もいい。眉を寄せて聞こえていると伝えたのに、召使たちは笑うばかりでおしゃべりをやめない。『どうせ1週間ほどしたら帰る』と甘く見られているのだろう。

 ──こんな人ばかりなのかな……。


「お待ちしていました。“クニス家のご令嬢”」

 憂うつな気持ちは、館の入り口に立っていた男性を見て吹き飛んだ。

 ──このかたが、サー・ガウェイン…!

 アネットは人生の中でこんなに美しい人を見たことがないと思った。物語の王子様みたいだ。彼の金髪を照らすために太陽はあって、立派な体格はまさに彫像のよう。アイスブルーの優しい瞳に朗らかな声。

 アネットはこの男性のまえに立つのが恥ずかしくなって、思わず顔を伏せた。

「どうかされましたか」

 ガウェインはそんな彼女を心配したのか、手を差し伸べてじっと見守っている。「……ご令嬢?」

 ──ダメだ、こんなことしたら失礼になっちゃう。

 アネットは勇気をふりしぼって顔を上げた。ガウェインと目が合う。その瞬間はじめての感情が蓋を開けてあふれ出した。初恋という切ない感情だ。

 だがガウェインの口からこぼれたのは、思ってみない冷たい言葉だった。


「きみは……本当に“クニス家のご令嬢”?」


 その瞬間、アネットはガウェインが迎えるつもりだったのは“義姉のグレイス”だと痛いほど理解した。はっ、と彼も失礼なことを言ってしまったと気づいたらしい。

「……はい、サー・ガウェイン。令嬢の“妹の”アネットです」

 アネットは震えていたが気丈にわらった。

 胸を高鳴らせたことさえ恥ずかしかった。自分が呼ばれるわけないのだ。




 ──どれだけ時がたったのか。アネットは数秒を数時間の長さに感じた。もう少しそのままだったら、耐えられなくて泣き出しただろう。夢から一気に現実へ引き戻されたのだ。一瞬でも花よめ候補として扱って欲しいと思った自分が、考えれば考えるほど恥ずかしかった。

 やがてガウェインは落胆を一切感じさせない声で、『部屋へ案内します』と言った。案内されるまま無言でついて行き、立派なホールを過ぎて階段を上る。着いた部屋はとても立派だった。アネットの家が入ってしまうぐらい広く、壁の装飾や精巧な家具もため息をつくほど美しい。

 部屋に入ると、ガウェインはアネットに優しく言った。

「……ご令嬢。到着されたばかりでたいへん申し訳ないのですが、陛下に呼び出されてしまいました。もしかしたら数日戻ってこないかもしれません。お詫びに、ご滞在いただく間は何でも召使いに言ってください」

 小さな子どもに言い聞かせるように言われて、アネットはもう彼の中でそんな扱いになったのだなと冷静に思った。ぐっと涙を抑えて、心配をかけないように笑って見せた。

「ありがとうございます、サー・ガウェイン……」

「………」

 アネットのぎこちない笑顔をみたガウェインは、ちょっとだけ強張った顔をして、礼をすると部屋を退出する。

 遠ざかっていく後ろ姿を、振り返ってくれないかと見た。だが扉はあっさり閉まった。




「………」

 アネットはぼうぜんと扉を見ていた。サー・ガウェインはもう行ってしまった。そんな彼女に、案内の時から付いてきていた召使いが挨拶をした。

「はじめましてアネット様、エミリアと申します。こちらにいらっしゃる間は、お世話させていただきます」

 “ここにいらっしゃる間は”を強調された気がする。

 言葉に刺(とげ)を感じたが、そんなこと気にする余裕はなかった。アネットは一目で初恋をして次の瞬間にふられたのだ。召使いに「ありがとう」と言うだけで精一杯だった。

 召使いが部屋から出ていくとベッドに倒れ込んだ。きれいに整えられていたベッドは重い体を受け止めて沈みこんだ。

 ──ああ、なんて馬鹿だったんだろう。

 花よめ候補として扱って欲しいと思った自分が、もはや恥ずかしさを通り越して恐ろしかった。舞い上がっていたのが馬鹿みたいだった。




■□■□■




 到着して早々放置された花よめ候補に、召使いたちがぞんざいになるのは目に見えていた。あきらかに求婚相手として扱われていないのだ。そんな小娘を丁寧にもてなす義理はない。

 しかも召使いたちは、アネットが田舎娘で文句を言う勇気もないと侮っていた。表面上はガウェインの求婚者であることのやっかみもあっただろう。これまで迎えた令嬢にやれなかったぶん、うっぷんを晴らすかのような扱いが待っていた。


 田舎では見たことのない料理。──でも時間が経って固く冷たい。

 豪華で広い部屋。──見えるところは綺麗でもはじには塵が落ちている。


 アネットは特別なもてなしを望んでいなかった。ここに来る前は、清潔とはいえない田舎を駆け回り、一切の家事をやっていたのだから。

 でも田舎には思いやりの心があった。豪華ではないけれど、温かい料理に、体調を気にかけてくれる家族みたいな召使いたち。美しく贅沢な物にかこまれた中で、睨まれるような冷たい扱いがいっそう際立った。

 それでもアネットは黙って過ごすつもりだった。だが数日が経って、我慢ならないことが起きた。

「………」

 アネットが衣装棚から取り出したのは、きちんと洗われていない下着だった。ドレスも乱雑に扱われ、袖がすこしほどけてしまっている。

 ──汚れた服を着て我慢しろということか。見た目には分からなくてもあきらかな侮辱だ。服をにぎる手にぎゅっと力が入る。

 ……しかたない。自分でやろう。

 アネットは普通の令嬢とは違った。洗濯物をかかえると部屋を出た。



 さすがにドレスを着て洗うわけにいかず、粗末なシュミーズ(肌着)で洗い場に行った。だれも彼女を見て令嬢だと気づかなかった。新入りの召使いだろうと、館のはじにある井戸で洗うようあしらわれる。だがアネットは言い返すことなく井戸に行き、冷たい水で服を洗い始めた。

 澄んだ秋の空気のもと、服をすすぐ音が響く。辺りの木の葉は色とりどりだったが景色を楽しむような心模様ではない。

 もともとアネットはよそ行きの服を持っていなかった。義姉グレイスには服のデザインやサイズが合わないと言われてしまい、持っていけたのは亡き母が遺した衣服だけだった。

 幸いにして背丈はほぼ同じだったし、父が大切にのこすよう召使いに言っていたおかげで染みや虫食いもなかった。だからアネットは、亡き母を思い出しながら袖を通したのだ。古いデザインだと分かっていても立派な服のつもりだった。

 ……それが、こうやって。

 アネットは唇を噛みしめた。冷たい水なんか気にならない。令嬢なのに洗い物をしている自分の姿さえも。

 でも母を侮辱されたのだ。ついに、ぽろりと涙がこぼれた。とめどなく涙は溢れる。洗い物をしながら冷たい手で涙をぬぐい、悔しさで上気した頬はあかくなっていた。


「っ……」


 ──私が、身の程知らずの夢を見たから。

 洗い終えたら荷物をまとめて家に帰ろう。サー・ガウェインが戻るのを待ってお礼を言おうと思っていたがもういい。私に会わずに済んだら彼も喜ぶかもしれない。

 ──せめて一度だけでも、名前を呼んでもらいたかったな。

 そんなアネットの望みは、思わぬ形で叶った。


「アネット嬢? ここで何をやっておいでですか」

「…サー・ガウェイン…!」


 洗濯物から顔をあげると、ガウェインその人と目があった。相変わらず美しい。いや、見惚れている場合ではない! アネットは、今度は恥ずかしさで赤面した。

 こんなはしたない姿をサー・ガウェインに見られてしまうなんて。

「何をしているか教えてください、アネット嬢」

「……っ」

 聞きだそうとそばに近寄ってきたガウェインは、赤くなり体を小さくしたアネットの様子をみて、ようやく黙っている理由を理解した。

「これは失礼した」

 目を逸らすと、自分がまとっていた上着をアネットにかけてくれた。




 アネットが説明する間もなく、ガウェインはすぐさま召使いを全員呼び集めた。冷たい秋空の下で召使いたちの表情は硬直している。彼らを前に、ガウェインは重々しい口調で切り出した。


「私は“彼女を丁重にもてなすよう”言ったはずだ。それがどうしてこうなった? 専属の召使いに命じたエミリアはいるか」

 周りからの視線に促され、エミリアが進み出る。ガウェインの厳しい気迫に押さえつけられるように、彼女はひざまずいた。

「君はアネット嬢の性格と立場を利用して、彼女を侮辱した。もっと他にも酷いことをしたのだろう。なにか申し開きはあるか?」

 震えながらエミリアは首をふる。よろしい、とガウェインは言った。「もう結構だ。明日からは出仕しなくてよい」

 すると、彼女と一緒になってアネットを笑った召使たちが声を上げた。

「お待ちください、ご主人様! エミリアは8年もここで働いているんです。いくらご令嬢に無礼をしたとしても、ご慈悲をいただけませんか」

 アネットはさすがに気の毒になった。…自分は招かれた客に過ぎないのだ。彼女の行為は責められるべきだとしても、ガウェインの処置はすこし厳しすぎると思った。

「…“ご慈悲”だと?」

 だがガウェインは信じられない、というように声を冷たくした。それはいつも優しさをまとっている彼ではなく、誇り高い騎士としての姿だった。

「お前たちは命令に背いただけでなく、このガウェインが招いた女性をぞんざいに扱い、彼女の尊厳を傷つけた。 

 騎士として、女性をおとしめることは最低の行為だ」

 堂々とした口調で言い、ガウェインはすばやく動いた。制裁をくわえるのかと思ったアネットは硬く目をつぶった。

 ……だが何の音もしない。おそるおそる目を開けると、ガウェインは粗末な服を着たアネットの足元に深々とひざまずいていた。


「──アネット嬢。召使いの不手際は主人の咎(とが)です。どうか私に償いをさせてください」


 ためらいは一切ない。むしろアネットや先ほど騒いでいた召使いの方がうろたえていた。サー・ガウェインが年端のいかない少女に許しを求めるなんて。

 だがガウェインの一切ためらいのない行動は、逆に彼の高潔さや騎士としての誇りを感じさせるものだった。

 アネットはうろたえながら、急いでガウェインを立ち上がらせようとした。

「サー・ガウェイン……ど、どうかお立ちください。貴方様がそう言って私の尊厳を守ろうとしてくれただけでじゅ、じゅうぶんです」


 どうしたらいいか分からなくなり、真っ赤になって口ごもった。人に──ましてや騎士様に──こんなふうに言ってもらえたことは無かったからだ。


( …優しい言葉をかけて貰えた。それだけで感謝してもしきれない… )


 アネットは他人からの優しさに慣れていなかった。いや、むしろ自分が雑に扱われることに慣れてしまっていた。当たり前だと思えば「悔しい」と思わなくて済むから。だから相手の失礼な態度に気付いても、諦めてしまっていた。

 義母や義姉に使用人扱いされ、それを父がかばってくれなくても。自分は「平気だ」と言い聞かせて。

 ──でも。かばってもらえるのがこんなに嬉しいなんて……。


 アネットの心の中で大きな変化が起きていた。いま感じている嬉しさを忘れたくない。だからもう、雑に扱われるのを我慢するのは止めよう。

 自分はサー・ガウェインに、一度きりでも大切に扱われた女性なのだから。

 こうも思った。サー・ガウェインのためなら何でもできる。見返りが一切なくても、彼のために役に立ちたい。1秒でも長くそばにいて、彼の姿を目に焼き付けたい。


 アネットの初恋はこうして彼女を変え始めたのだ。



<続く>

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