プロローグ4 移住の時

 さて、もし移住が詐欺でなく本当ならばだ。

 僕は実家のある田舎を離れて移住する事になる。


 今の僕は窒息寸前状態だ。

 原因は実家だけではない。

 職場もだ。


 職場では七光り採用なんて陰で言われている。

 しかしそう言っている奴らもコネ採用。

 というかここの役場の連中はほぼ全員コネ採用だ。


 そして今時表計算ソフトすら使えない馬鹿ばかり。

 パソコンのタッチタイプでさえ満足に出来ない奴多数。


 馬鹿ばかりだから仕事が進まない。

 進まないでは済まないから僕が片付ける。

 気づいたら課の仕事の半分以上が実質的に僕の分掌になっていた。


 うちの課では課長だけがその辺を把握している。

 彼はこの役場の中では能力的にかなり優秀な方。

 家のコネや序列ではなく実力で課長に昇進した人だから。

 本人曰く『逃げるのに失敗した』かららしいけれど。


 更に実家関係もこれ以上いると面倒な事が起こりそうな気配。

 結婚しろと家の老人共から圧力がかかりはじめている。


 その辺の話が最近まで煩くなかった理由は簡単。

 2年前に見合い即婚約が失敗した事件のおかげだ。


 この時は不意打ちだった。

 見合い、それが良ければ婚約なんて予定を前日に知らされたのだ。


『明日見合いだから散髪に行ってこい』


 そんな台詞で初めてそんな事が行われようとしているのを知った。


 御相手はこの狭い区域では名家と言われる家の御令嬢。

 話によれば短大英文科出で英語が得意な才媛だそうだ。

 その短大はFランで、本人も大学時代に英検3級落ちたレベルだけれども。

  

 幸いな事に彼女は頭だけでは無く性格も素行も今ひとつだった。

 今ひとつというか今3つというか、生まれ変わってやり直せと言うべきか。


 当日、現場で両家の親と本人だけになったのを見計らい、前夜調査した結果を披露した。

 彼女がラブホからアップした画像数枚、それぞれ違う彼氏といちゃついているものをはじめとしたSNS履歴を。


 結果、その後は周囲からの結婚圧力が減少。

 しかし僕の30歳誕生日を前に再び圧力がかかりはじめた。

 そろそろまた不意打ちで見合いが組まれかねない。

 本人の同意なしで、見合いしただけで既成事実にして婚約なんて事まで。


 大学時代は良かったな。

 そんな事をふと思う。

 遠方で一人暮らしをして実家を離れていたから。

 遠方の大学に進学したのはただ実家周辺の田舎から逃げる為だったのだけれども。


 実家周辺の田舎では大学なんてインテリが行くところという認識しかない。

 大学も東大京大早慶に旧帝大、あとはただ大学という認識があるのみ。

 中●大学と中●学院大学の区別もつかない。

 ●にあてはまる漢字は想像に任せる。


 そんな中、名家の箔付けに相応の大学という事で、何とか4年間、遠方へと脱出出来た訳だ。


 しかし4年で脱出は終わり、また田舎に戻ってきてしまった。

 今思うとあの時に遠方に逃げてしまうのが正解だった。

 大学4年間で気が緩んでいたとしか思えない。

 遠方へ逃げるにも先立つものが無かった。 

 そんなのはきっと言い訳だ。


 まあそんな訳で今の僕は煮詰まっている。

 周囲も僕自身も。

 だからこそ移住準備に力が入る。


 さて、場所も予約した事だ。

 次はオース共通語の勉強をしよう。

 僕は語学は苦手としているが仕方ない。

 これも全て脱出する為だ。

 

 最初はちひがどうなったかを確かめる事だけが目的だった。

 しかし今、目的は更に2つ増えた。

 ひとつはこの息苦しい環境から脱出する事。

 もうひとつはWebに記載している通りの異世界に行く事だ。


 ◇◇◇


 そしてちひのメールから1ヶ月と少し過ぎた9月半ば。

 僕は残りの夏季休暇をまとめて取った。


 それ以外にも職場で色々細工をした。

 たとえばそれ以降の月曜から金曜までを6週間分、年次休暇として勤務予定に入力済みだとか。


 これらの休暇は当然上司の決裁を受ける。

 僕は主任だから係長、課長代理、課長が順番に決裁。

 そしてうちの役場は資源節約という事で全てが電子決裁だ。


 しかしこの連中、課長以外はパソコンをほとんど使えない。

 電子決裁も基本的にめくら判というか見もせずチェックするだけ。


 実際ほとんどの書類はそんな処理で済む。

 そんな電子決裁の中に休暇届を紛れ込ませておいた。

 案の定課長代理まではあっさりノーチェックで通過した。


 課長だけはパソコンを一通り扱える。

 家内の仕事内容も全て把握しているし決裁もしっかり確認する。

 ほとんどの部下が無能なのを知っているからだ。


 だからあらかじめ話しておいた。

 もう我慢できないから他へ逃げると。


「その方がいい。今思うと私も逃げた方が良かったと思う。後悔してももう遅いけれどな。君は新天地で頑張ってくれ」


 怒られるどころかむしろ励まされてしまった。

 結果、僕は週休日等を含めると10月終わりまで休みとなっている。

 書類上は正規の決裁を経ているので問題ない。


 その休み初日の午前5時過ぎ。

 怠惰な同居老人達が起きるより早く僕は起きて準備を開始。

 まずは自動車のトランクに隠してあったグッズを自分の部屋へ運び込む。


 パソコンは昨日夜にデータを完全消去しておいた。

 スマホも初期化して今はメールも何も入っていない状態。


 向こうへ持っていくものをアイテムボックス魔法で収納する。

 ベッドも寝具一式含め、更に僕自身の服もロッカーや洋服ダンス事全部。

 練習用の魔法陣設置済みの僕の部屋内ならこの程度は収納可能だ。


 なお移住事務局に預けてある移住用に購入したものは、異世界へ転移時に僕のアイテムボックスに追加される予定。


 残念ながら用意したグッズ、必要条件は満たしているが十分条件は満たしていないという感じだ。

 これはひとえに資金不足が原因。

 理由は家の老人達に搾取されて貯金が少ない為だ。

 でもこのまま搾取され続けるよりはここで逃亡する方がマシだろう。


 なお自分以外の生物は持って行けない。

 だから種麹だの植物の種とかはなし。

 本当は持って行ければ何かと便利なのだろうけれども。

 ただ持って行けないという理由は理解出来る。

 移住先惑星の生態系を壊しかねないから。


 必要となる手続き関係は全て事務局に委任済みだ。

 退職、スマホ契約解除、預金口座解約、転出届から自動車の登録抹消まで考えられる手続き全て。

 委任状も何通も作成して送付済みだ。


 事務局はこれらの手続きを全て代行した後、僕の残った預金と役場の退職金等をヒラリアで使用可能な通貨に両替し送付してくれる予定。

 実家に残すのは登録抹消した12年落ちの中古車だけだ。


 多少の騒ぎにはなるかもしれない。

 しかし実家の老人達がどう騒ごうと心は痛まない。

 その程度には見放しているし恨みもある。

 

 職場の方は課長がなんとかしてくれる予定だ。

 係長と代理も形式的には決裁している以上、文句は言えまい。


 さて、まもなく6時になる。

 事務局に移住転移を予約した時間だ。

 靴まで履いたフル装備で部屋の中央に立つ。


 確か転移時には目をつむっておいた方がいいとあった。

 そろそろ6時ちょうどだろう。

 僕は目をつむる。


 ふっと足元の感覚が消失した。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る