第17話

 夜が明けても、人々はみな一様に冴えない表情をしていた。晴天であるにも関わらず、流れる空気はどんよりと重く湿気ている。

 鬼が近くをうろついている。その恐怖が、次に来る陰陽師に希望を託し、人々を静粛にさせていた。

 若い武士は一人、草を掻き分け道なき道を歩いていた。後ろには、武士が一人付いて来ている。例の男から、足を受け取った武士だ。

「今度の陰陽師は、どんな人だろうな?」

「どうでしょうねえ……」

 武士の問いかけに、若い武士は上の空で答える。

「こうなった以上、俺たちはどうすることも出来ない。次の陰陽師にしっかりやってもらわないと、夜も眠れない日が続くだろうな」

「眠れなかったんですか?」

「あれでぐっすり眠れる方がおかしいだろう」

「そうですか? じゃあ私がおかしいということになりますか」

「お前は強いからだろう。とにかく、お前が見たのが確かに鬼だったのなら、あの陰陽師は噂通りではなかったということだ。まだ鬼は近くにいる。俺は怯えて暮らすことしか出来ないんだ」

「でも、もう男を取り逃がしたことを責められることもない」

 若い武士は言って、「良かったですね」と心のこもらない言葉を投げかける。

「例の男が鬼の化けた姿だったのなら、あなたが見たものは全て無意味です。もう二度と、やいやいと言われることもないでしょうね」

「そう、だな」

「今度は、人の仕業だと言っていた私が馬鹿にされる番です」

 若い武士は、どんどん歩いて行く。武士は、小走りで付いて行くも、しだいに息が上がってきた。対して、若い武士は淡々とした様子で汗一つかいていない。

「お前は一人でどこへ行くつもりだ」

「どこって」

 若い武士は足を止めた。

「どこだって良いでしょう? 私の保護者ですかあなた。まさか、私の後を付けて、例の謎の男を逃がした失態が消えたことを良いことに、手柄を横取りするつもりなんですね?」

「手柄って、鬼を捕まえるってことか? そんなこと、俺には」

「でも私には出来ますから」

「何を根拠に」

「私はあなたと違って強いんです」

 若い武士の声色は、普段よりも低い。苛立ちが募った声に怯んだようで、武士は少々歩みが緩む。

「……お前、今日は機嫌が悪いな」

「放っておいて下さい。一人で考えたいんです」

「しかし、危ない」

「危ない? 私がですか?」

「あ、いや、うーん……。お前は確かに鬼のように強かった」

「でしょう? 放っておいて下さい」

 武士は、立ち止まった。もう若い武士の後を付いてくる気はないようだ。

 若い武士はそれを確認すると、さっさと歩いて行く。そして、藪の中で立ち止まった。

「確かに、こんなの途方に暮れるな」

 若い武士は辺りを見回すと、木の枝を一本手に取り、おもむろに辺りを叩きながら進んだ。長い間そうしていたら、「おい」と声がかかった。

 若い武士は木の枝を地面に突き刺すと、「いたんですか」と枝にもたれかかるようにして言った。

 そこに立っていたのは、諦めて帰ったはずの武士である。

「何がしたいんですか、あなた。大人しく陰陽師が来るのを待っていたら良いんですよ」

「それはこっちが言うことだろう。お前、こんなところで何を探しているっていうんだ?」

「そっちからは、何をしているように見えるんです?」

 武士は、鋭く睨む若い武士から逃げるように顔を逸らし、言った。

「まさか、女の身体を、探しているのか」

 若い武士は、笑みを零す。

「……だったら、どうって言うんです?」

「お前が見たのは、鬼ではないのか」

「……鬼ですよ。鬼に見えました」

「なら、なぜ」

「なぜ探しているのかって? 聞きたいんですか?」

 武士は、一歩後ずさる。若い武士は、地面に突き刺していた木の棒をぽいと捨てる。

「一人にしてくれと言ったのに、どうして付いて来てしまったんですか?」

「どうしてって……」

「私を一人にすると、都合が悪いんですか? 私が強いことは、そっちだってよく知っているはずでしょう。むしろ自分がお荷物になるとは思わなかったんですか?」

「そんな言い方はないだろ」

「私、探しながら少し考えていたことがあって」

 武士は憤慨したように、「どんなことだ?」と苛立った声を上げる。

「美しい男から足を受け取ったという話そのものが、虚言なのではないか」

 緊張感の漂う風が吹いた。

「俺を、疑っているのか」

「はい、今疑い始めました。それ以外に、しつこく付いてくる理由が分からないので。正直、あなたのことは、そういうことをしそうな人だと思いました。他に見た人がいないんですから、そう思われても仕方がないでしょうね。そうだとすれば、何のために嘘を吐いているのか。一つ、自分が女を殺したから。二つ、身近な人が女を殺してしまい、庇おうとしている。どちらかであると考えます。可能性が高いのは、後者でしょうか。どちらにせよ、人間の風上にも置けない」

「お前、鬼の仕業だと言っていたろう」

「それはそれ、これはこれ、です」

「それを言うなら、こっちだってお前の行動はおかしいと思っている。鬼を見たくせに、女の身体を探すなんて。そんなの、きっと食われてるだろう」

 若い武士は、ふん、と鼻で笑う。

「……以前、あなたは私を殺人犯だと言いましたね」

「……ああ、言った」

「今でもそうだと?」

「……可能性は、あると」

「なら、こんなところで二人きりなんて、殺されるとは思わなかったんですか。私はあなたより強い」

 若い武士は、腰の刀に手をかけた。

 武士は、額から汗を流す。慌てて腰に手を当てるが、へっぴり腰になっている。若い武士の覇気に、すでに圧倒されていた。

「お、お前は認めるのか、自分が女を殺したと」

「まさか。疑われるとは心外です」

「違うのか?」

「私が清廉潔白であることは、私自身がよく知っています」

「こっちだってそうだ。私は嘘など吐いていない……仲間を斬るつもりか?」

「返答によっては、斬る」

 両者の瞳がぶつかる。斬り合いのような静寂が流れた。

 すると武士が、観念したように両手を挙げた。戦ったところで勝ち目はないと判断したようだ。

 若い武士は刀に手をかけたまま、鋭く言う。

「認めるか、虚言だったと」

「断じて虚言ではない。ただ、お前のような美しい男に斬られて死ぬのも、一興かと思ってな」

「…………」

「仕方がない。こうなれば、斬られて身の潔白を証明するしかない。一思いにやってくれ」

 武士は若い武士に近づいて、両目を閉じた。このまま若い武士が刀を抜けば、一振りで武士は斬られてしまうだろう。

 すると、若い武士の表情が変化した。刀から手が離れる。すると、降参していたはずの武士が、猪突猛進、瞬時に刀に手をかけ、若い武士へと襲い掛かる。

「何っ」

 気の緩んだ瞬間を突かれ、若い武士は地面に倒れた。倒れながら相手の刀を交わすが、交わしきれずに肌から血が滲む。

「なんて言うと思ったか!」

 武士は、若い武士へ馬乗りになり、目の前に刀をちらつかせる。すでに、勝者の表情を浮かべていた。

「初めて、初めて勝ったぞ俺は! ははは!」

「くそっ!」

 若い武士は顔を歪めた。それを、武士は楽しそうに見下している。

「そうだ! 俺は、お前のこんな顔を見たかったんだよ! いつも涼しそうな顔しやがってよお! 俺はこんなところでくたばる人間じゃないんだ! 俺は何もしてないんだからな! 嘘だって吐いてない! ずっと耐えて生きてきたんだ! そろそろ報われるべきだ!」

 若い武士は、ぎりぎりと唇を噛み締めている。

「そうだ、お前を犯人に仕立て上げればいいんだよ! みんな、言わないだけで疑ってるんだ! お前のその美しさ、その強さ、まるで人間じゃないしな! お前の正体は、鬼なんだ!」

「……ちょっと、落ち着いたらどうですか」

「いいねえ、その顔。そうだな、折角だ、殺す前に一回試してみるか。そこらの男なら論外だが、お前のように美しい身体となら、一回くらい」

「殺す」

 若い武士は、地を這うような低い声で言うと、上に乗っていた武士を思い切り蹴上げた。武士の身体は吹っ飛び、木にぶつかって気を失った。

「そういうこと言う奴が一番嫌いなんだよ俺は! 気色悪い! いっぺん死ね!」

 若い武士は、そのままずんずんと藪の奥へ進んでいこうとして、ふと振り返った。気を失っている武士へ近づくと、「死んでないよな?」と口元へ手を近づける。男は息をしていた。あまりの衝撃で気を失っているだけだ。

 若い武士は、怒りが収まらない様子で拳を握り締めると、「もう一回」と言って、男を殴った。

「小者が」

 そう吐き捨て、一瞥すると歩き出す。

「さすがにこいつじゃない、か…………馬鹿げてやがる」

 若い武士は、女の身体を探しに、藪の奥へと進んだ。

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