第3話

「鬼の仕業だって? 何と馬鹿げたことを言うのだ」

 宮中警固の武士の一人が、憤慨してそう言った。

「でも、都ではそんな噂で持ち切りで」

「噂は噂だろう。そんな噂より、足を持ってきた男というのはどこにいるんだ? まだ見つかっていないだろう」

 声を詰まらせるのは、あの日、謎の男から足を受け取った例の武士である。頭を抱え、「すまない」と詫びる。

「呼び止めたんだが、風のようにするりと消えてしまったんだ。すまない、俺があの時しっかりと捕まえておけば」

「起きてしまったことは仕方ありません。ではもう一度、男の人相を教えて下さい」

 静かに腕を組み話を聞いていた若い武士は、淡々と言う。足を受け取った武士は頷いた。

「ああ、そうだな。傘で顔を隠していて、はっきりとは見えなかったんだが、ただ、ちらっと見えた瞳は、女と見紛うようだった。いや、女よりも美しいような……あれが普通に歩いていれば、よく目立つだろう。見つけるのは難しくない、と思っていたが」

 武士の顔が暗く沈む。若い武士は、飄々とした態度で手を組んだ。

「しかしまだ見つかりませんねえ。見間違いでないのであれば、とにかく顔の良い男を片っ端から尋問する、という手もなくはないですが、顔の良い人間がまず見つからないわけですから。かなりの美形だったんですよね? 本人は庶民だと名乗っていたそうですが、そうとは限らないわけですし、もうこの近くにはいない可能性もあります」

「正直、もう一度見ても確実にこいつだ、とは思えない気がするし……見えたのは、ほんの一瞬だったんだ」

「そこは覚えててもらいたかったですね。声に特徴はなかったんですか?」

「普通の男の声だった。今聞いたところで判別は付かんだろうな」

「すでに次の一手がない、ということですね。困りました」

 暗く沈んだ顔の男が、よりいっそう沈んでいく。若い武士は考えに耽るように、空を見つめている。

「顔の良い男か」

 周りにいた武士たちは腕を組んで、皆一様に眉間に皺を寄せた。そこで、全員が一様に、ちらと一人の人物を盗み見た。

 敏感に視線を感じ取った若い武士は、嘆息した。

「やだなあ、言っときますけど、顔が良いって言っても、私ではありませんから」

「自分で言う奴がいるか」

 小突かれて、若い武士は口を尖らせた。

「私は昔から、男にしておくには勿体ないと言われ続けていますので、一応」

 若い武士が淡々と言う。ちらと若い武士を見ていた武士たちは、さっと気まずそうに目を逸らす。

 この場に、若い武士の容姿について賛同する武士しかいないのは、若い武士の容姿がそれだけ美しいからである。

「ちらっとしか見えなかったとは言っても、さすがにお前だったら分かるだろう……たぶんな」

 足を受け取った武士は、そう言って笑う。若い武士は、つられるようにして微笑んだ。

「ならいいんです。あらぬ疑いをかけられたくはないので」

「お前のことを疑う奴なんておらんだろう」

「そうですね。このまま鬼の仕業という噂が広まり続けるのも良くないですし、早いうちに解決出来ないものか……」

 若い武士はそう言って、「あ」と声を上げた。

「見つかった女房の、他の部分はどこにあるんでしょう? 見つかったのは右足だけです。左足、胴体、頭……鬼に食われるわけもあるまいし」

「どこかに隠されているかもしれんな。しかし、探すのは厄介だぞ」

「ですよねえ。ぱっと出てきてくれたらいいのに。そしたら、鬼の仕業なんて言い出す奴も減るかもしれませんよ」

「他に消えた女もいるしな。連続殺人ってやつか」

「私はそう思いますよ。鬼の仕業だなんてよりは、よほど良い考え方だと思いませんか? そういえば、今夜は、陰陽師が夜を徹してまじないをやるそうですね。そんなことをして何になるんだか。鬼の仕業であるわけがないのに」

 若い武士は不服そうに言った。

「まあまあ、やってもらうに越したことはないだろう」

「足を包んでいた布もありきたりなものですし、手がかりは一つもないんです。えっちらおっちらしている間に、また女が一人二人と死んでいくかもしれないんですよ?」

「そりゃあ、そうだが……」

 武士たちからは、煮詰まったような空気が醸し出されている。若い武士は小さく嘆息した。

「まあ、こうしていても埒が明きませんね。ちょっと、歩いてきます」

「どこへ行く気だ?」

「ちょっとした気晴らしですよ」

 にっこりと微笑むと、若い武士は歩き出した。

 考え事をしている風であったが、歩みはきっぱりとしている。すれ違う人が、その美しさに振り向くことも、若い武士にとっては日常茶飯事だ。誰の視線も気にすることもなく歩き、しばらくして、歩みを止めた。とある人物を見つけると、こぼれるように微笑んだ。

「やあ」

 若い武士は、少年武官に対して手を振った。相良の君の昔馴染みである少年武官と、この若い武士は、年頃も同じということがあってか、顔を合わせるたびに親し気である。

 少年武官は振り向くと、柔らかく微笑み手を振った。

「今日は良い天気ですねえ」

 そう言った若い武士に対し、少年武官は「そうですね」と返す。

「それにしても、大変なことが起こりましたね」

 若い武士が言えば、少年武官は真剣な顔で頷いた。

「鬼の仕業というやつですか。宮中噂で持ち切りですよ」

「そうですよね。鬼が女を食ったとか、そんな話をあちこちで聞きます。みんな、すっかり怯えてしまって。ほら、女の足を持ってきた男の話、知っていますよね? 大層美しい容姿をしていたそうで……男から足を受け取った奴がずいぶん落ち込んでいますよ。少なくとも、そこで男の正体を明らかにしておけば、こんな風になることはなかったでしょうから」

「仕方がないですよ。その男だって、捕まりたくはないでしょうから、必死で逃げたんじゃないでしょうか」

 見目麗しい二人が話していると、よく目立つ。行き交う人々が、二人の様子をちらちらと伺うようにしているが、二人は慣れているのか、特に気にも留めていない。

「あの男はいったい誰なんでしょうね?」

 若い武士が言うと、少年武官は手を組んだ。

「鬼が化けた、という噂を聞きました」

「それって、どうなんでしょうね。私は、そうは思っていないんですよ」

「――人間の仕業、ということですか」

 少年武官は、人目を憚るようにして言った。若い武士は頷く。

「そうです。少なくとも私は、鬼などいないと。その美しい男が殺したんです。人間の仕業ですよ」

 少年武官は「そうなんですね」と小さく頷いた。

「確かに、信じている人は多いですけど、実際に鬼を見た人がいるわけではありませんし……」

 そこで口を閉ざすと、少年武官は「手がかりはないんでしょうか」と問いかけた。

「残念なことに。美しい男だった、というだけですよ。他に見た人もいませんし」

「それだと、見つけるのは骨かもしれませんね」

 若い武士は、じっと少年武官を見つめた。

「どうかしました?」

「いえ、私と拮抗するほどに美しい男なんて、そうそういないよなあ、と思いまして。しかし、あなたを疑うのは筋違いですよねえ。私は、これほど穏やかで優しい人間を見たことがありませんから」

「そんな。優しくなんて、ありませんよ」

「そうなんですか?」

「ただ、その、大人しくしているだけで」

「私には、そうは見えませんが……ところで優しいと言えば、相模の君も、大層心を痛めておられるのでは?」

 両手を胸に当てつつ若い武士が言うと、少年武官は困ったように微笑んだ。

「そうでしょうね。先ほど、少し話をしてきましたけど……」

「あんな美しい方と昔馴染みなんて、羨ましいばかりです。私など、声をかけることすら出来ないのに」

「はは、そんなことないでしょう。相模の君も、素敵な方だと言っていましたよ。話をするのが恐れ多いと」

「あ、本当? まあ、顔が良いのは自覚しているんですが、それもお互い様ですし」

 若い武士は頬に手を当てると、深いため息を吐いた。

「早く正体を明らかにしてしまわないといけませんね。相良の君も、安心して眠れないでしょう」

 少年武官は、若い武士の言葉に同意した。

「そうですね」

「何としてでも男を捕まえないと」

 若い武士が意気込んだ時、後ろから声がかかる。

「話し中に、すまないな」

「中将様」

 少年武官の上司である中将が、そこに立っていた。髭を蓄えた中将は、人の良さそうな笑みを浮かべている。

「ちょっと、来てくれるか」

「あ、はい。すいません、私はこれで」

 少年武官が頭を下げる。

「では、私も戻ります」

 若い武士はそう言って歩き出した。難しい顔で腕を組み、先ほどまでいた、武士たちの集まりの中に戻るのである。

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